ジェヴォーダンの獣 其ノ参
会社にて、昨夜あったことを手帳に書き付ける。
蕎麦屋の夫婦を狙った獣、あいつは嫁である断髪女性を狙っていたのだろう。おそらく、この事件の真犯人はあの獣だ。しかし、ここで疑問が浮かび上がる。被害者が口を揃えて言っていた「鼠色の髪を持った大柄な男」という証言だ。あの姿を見たら「男」ではなく、「獣」と言いそうなものだが……。夜であることも相まってろくに見えていなかったのか。それとも、まだ何か見落としている点があるのか。考えてみるが、寝不足ためか頭が回らない。
一旦休憩を挟もう、と腰を上げると、同僚の男性から声をかけられる。話を聞けば、異国の人が社の前でシゲルを呼んでいたから応接室に通したという。
異国の友人など存在しないが……。そう思いながらも、同僚に礼を言って応接室に向かった。
取材対象や商談相手を招くことが応接室の基本的な用途である。決して、美しいものを観賞するための部屋ではない。しかし、こればかりは仕方ないと思えた。向かった先である応接室のソファには、金髪の美しい男性が座っていたからだ。
長い足はソファには収まらず、窮屈そうに縮こまっている。この男性に、シゲルは見覚えがあった。昨夜太宰と共にいた人だ。
獣や太宰の方にばかり気が向いてしまいよく観察できていなかったが、なんと美しい人だろうか。思わず見惚れてしまう。彫りが深く、足がとんでもなく長い。肩甲骨まである金の髪は糸のように細く輝き、新緑の瞳は春の暖かさを感じさせる。何の飾り気もない漆黒の神父服に身を包んでいるが、それがより素質の良さを引き出していた。肩幅が広いが、顔がきれいなので二十代半ばほどの女性にも見えてしまう。
呉葉も非の打ち所がないほどに美しかったが、あれは日本風のものだった。この人は彫刻のような異国の美しさである。
扉についた小窓からの観察を止めて部屋に入ると、異国の男性は花が咲いたように破顔した。
「オニカド先生!」
距離を詰められると彼の身長の高さがよくわかる。おそらく、太宰と同じくらいだろう。勢いよく立ち上がったため、十字架の首飾りが揺れて安っぽい電灯の光を反射する。
「会えてよかった、昨日は挨拶もできなかったので」
男性はシゲルの手を取り、力強い握手をする。驚いてろくに声が出ないでいると、彼ははっとしたように少し距離を取り、己の胸元に手を添えた。
「申し遅れました、ボクはルーメン・オブリ。異国の地で神父見習いをしています」
金髪の男性――ルーメンは、シゲルの手を取り、そのままソファに向かう。そして彼女を座らせると、自分もその隣に腰かけた。三人掛けのためそこまで狭くはないが、なぜ隣に座る必要が……と考えてしまう。異国の人にとってこれは普通の距離感なのだろうか。不快ではないが、あまりにも近いと何をするにも不便ではないか。そんなことを思っていると、ルーメンは唐突に謝罪を始めた。
「お忙しいにもかかわらず、急に来てしまい申し訳ございません」
「いえ、それは気にしないでください。あ、私の自己紹介がありませんでしたね、失礼いたしました。もうご存じのようですが、記者の鬼門シゲルと申します」
ルーメンと膝を突き合わせるような形で座り直し頭を下げる。すると、
「……太宰さんに聞いた通り、丁寧な人ですね」
彼はそう言って嬉しそうに微笑む。なんとなくそんな気はしていたが、やはりこの人は太宰と一緒に行動しているようだ。
「来ていただいて早々質問となってしまい恐縮なのですが、彼……太宰も『黒い断髪女性傷害事件』を追っているんですか?」
「追っていないと言えば嘘になりますが、本腰を入れているかと言われれば違いますね。彼はボクに協力してくれているだけです」
「協力?」
そう問えば、ルーメンは聞き取りやすい流暢な日本語で答える。
「ボクはある生物を追って日本まで来たんです。それがオニカド先生も昨夜に見たあの獣――『ジェヴォーダンの獣』。ボクの国では伝説上の生き物だったものです」
「伝説上の生き物だった、とは?」
「はい、言葉通りになってしまうのですが……。ボクが生まれる前に『ジェヴォーダンの獣』は討伐されたはずでした。しかし、最近になってまた現れたのです。近隣の畑を荒らし、家畜や人を喰らう獣が」
「それが昨夜のあれってことですか?」
まだ記憶に新しい獣の姿を思い出す。たしかに、あの鋭利な牙を前にしたら家畜など簡単に引き裂いてしまうだろう。ルーメンはうなずき話を続ける。
「これは推測ですが、我が国では害獣討伐が盛んになってきているので、命の危険を感じた『ジェヴォーダンの獣』は貿易船にでも乗り込んだのでしょうね。そして、遥か離れたこの土地まで来てしまった。……どうして断髪の女性だけを狙うのかはわかりませんが」
ルーメンは頭を下げる。美しい金糸がふわりと揺れた。
「自国で生まれたものがみなさんを不安にさせてしまい誠に申し訳ございません」
「そんな、謝らないでください! ……それにしても、その獣はずいぶん知恵があるんですね、十歳かそこらくらいの。貿易船に乗り込めば安全とわかっていたんですかね?」
「おそらくは理解していたでしょう」
彼が頭を上げた。急に現れた美しい顔に面食らってしまう。
「『ジェヴォーダンの獣』は捕食する際に頭部から噛み砕くといいます。普通の獣は動きを封じるために足などから狙うはずなのですが」
「それを聞くと、断髪の女性だけを狙うという点も理解した上で実行しているんでしょうね」
あの獣はそこまでの知能を持っているのか。そう考えていると、ルーメンが口を開く。
「ただの獣であれば捕獲するのは簡単です。しかしやつには知恵がありますから、こうやって自由に帝都を移動できても操作は難航中です」
「太宰に手伝ってもらっている、というお話でしたね」
「はい。ボクの師匠がニホンの軍人さんと旧知の仲のようでして、手紙で今回の件の概要と協力を要請し、太宰さんにもお手伝いいただいている状況です。我が教会の神職は狩りにも参加しますので、こうやって他国の土を踏むことも少なくないのですが、ここまで友好的なのは珍しいですね」
「……なるほど、そうだったんですね」
他国の軍人と知り合いの師匠ってどんな人なのだ。想像してみるがまったくわからない。しかし、ルーメンの言葉には納得できる。昨夜の彼は、神父とは思えないほど武闘派のように見えた。そういう理由ならばうなずける。
一人首を縦に振るシゲルに、そういえば、とルーメンが声をかけた。
「この国に来て驚きました、ニホン人はとても長生きなのですね! どんな猛者でも老いには勝てないといいますが、姿が変わらずに生き続けているのはどこの国を探してもここだけだと思います!」
「え、いやいやいや」
興奮したように頬を染めて言い出すルーメンには悪いが、ここはしっかりと訂正させてもらいたい。
「日本人はただの人です。ルーメンさんが言った通り、老いには勝てないかと」
「そうなのですか? しかし、彼の姿は五十年近く前の写真と一切変わっていなかった気が……」
そう言って、彼は一枚の写真を取り出す。
「あぁ、髪と瞳の色が変わっていたのですね!」
「髪と、瞳……?」
直感があった。きっと、ルーメンは太宰のことを話している。だが、言葉の意味がよくわからなかった。うるさく、速くなる心臓の音をどうにか抑えつけて口を開く。
「……その写真、私も見せてもらっても?」
「もちろん、どうぞ」
こちらにも見えるように傾けられた白黒写真を覗き込む。それは集合写真のようだった。仲睦まじそうに、老齢の神父と学者のような見た目の男性が隣同士に座り微笑んでいる。その周りには、軍人が真っ直ぐ並んでいた。おそらく護衛だろう。シゲルの見慣れた軍服とは少し違う部分がある。どうやら古い型のようだ。そして、その中にいる異様に背の高い男。
シゲルは、その男を知っていた。髪も瞳も黒いが、このだるそうに垂れた目を見間違えるはずもない。
「…………太宰」
二十代前半、時には十代のように見える彼が、止まった時間の中で立っている。その足元には一人分の影が伸びていた。
どういうことだ。どうしてこの写真に太宰が映っている。それに、ルーメンは五十年近く前の写真と言っていなかっただろうか。わけがわからなくて目が回りそうだ。
そんな時、ふと、太宰に背負われた時の会話を思い出す。大半のことを覚えていないと言う彼が話してくれた、悲しく恐ろしい村のこと。そして、
――それ、どれくらい前に聞いた話?
――忘れちまいましたよそんなこと。教えてくれた人の顔も名前も覚えちゃいないんですから
――お世話になった人なのに?
――五十年以上は前ですからね
――うそだよ。だって太宰、どう見たって二十代前半くらいの顔してる
――見た目通りじゃないかもしれませんよ
――本当はいくつなの?
――本当に覚えてないんですよ
一歩踏み込んで尋ねた、彼のこと。
あれは嘘でも隠していたわけでもない。本当のことだったのだ。
黙り込んだシゲルをルーメンは心配そうに覗く。
「あの、顔色が優れませんが、体調でも悪いのですか?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと、脳の処理が追いついていないだけなので」
シゲルは落ち着くために長い息を吐き出す。
「ご心配をおかけしてすみません。それで……まだルーメンさんがここまで足を運んでくださった理由をお聞きしていませんでしたね。今回は一体どのような要件で?」
「あ、そうでした! 大変失礼いたしました!」
ルーメンは、照れくさそうにはにかんだ。美人はどんな表情をしても美人だと身をもって知ってしまった。
「単刀直入に言います。オニカド先生、アナタに『ジェヴォーダンの獣』の調査を手伝っていただきたいのです」
その申し出に、それほど驚きは覚えなかった。なんとなく、そうくるだろうと思っていたからだ。元々昨夜の時点でそれらしきことは言っていた。……太宰に止められていたが。
「我が国の神職にも引けをとらないその心意気にボクは感動したんです! 加えて、ぜひ近くで記者という仕事を見学させていただきたい! オニカド先生の書いた記事を拝読したのですが、どれも目の前で見ているような臨場感を味わえる素晴らしいものでした!」
「ありがとうございます」
満面の笑みでそう言われれば悪い気はしない。上がってしまう口角を抑えながら礼を言う。だが、シゲルには一つだけ懸念点があった。
「えっと、私としてはありがたいお誘いなのですが……太宰は嫌がるんじゃないですかね。昨日もルーメンさんの話を遮っていましたし……」
そう伝えると、ルーメンはきょとんとした表情で首を傾げる。美しい顔だからこそ似合う仕草だ。
「あれは……ただ心配をしているだけでは?」
「え、」
「少なくとも、ボクには嫌がっているようには見えませんでしたよ。心配はしている様子でしたが。……しかしご安心ください。あなたに怪我一つさせないと、今この場で神に誓いましょう」
こんな場所でも神に誓えるものなのか。誓いのお手軽さに驚きながらも、そうか、と安堵する。彼は心配してくれていたのか。本当にわかりにくい男だ。だが、心配ならこっちだってしているわけだからこれでお相子だろう。
そうとわかれば答えは決まっている。シゲル勢いよくルーメンに向かって右手を差し出した。
「その申し出、お受けいたします」
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