ジェヴォーダンの獣 其ノ壱
色づいた木々は葉を落とし、今では寒々しい見た目になってしまっている。すっかり帝都も冬の色に染まったものだ。
月刊雑誌「無垢」もすでに二冊刊行されている。それは、太宰がいなくなって二ヶ月経ったことを示していた。
シゲルの日常は何も変わっていない。彼がいなくなったとて、とくに困ることもなく時間は流れていた。日本の怪異や謎をどこからか聞きつけ、調査し、記事にする。
人付き合いの良し悪しによって生活が崩れてしまうほどもう若くない。そのあたりはしっかりと割りきっている。しかし、納得しているかは別だ。なぜ、何も言わずに姿を消したのか。その点については今でも腹が立っている。もちろん、彼なりの理由があるのだと思うが、ちゃんと伝えてもらわなければわからない。
シゲルは窓の外に目を向ける。雪がちらついていた。やけに寒いと思っていたが、これは寒くて当然だ。
「……『わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後』」
――こっちの里では雪が降っています。あなたがいる里に降るのはもっとあとでしょうね。
本で読んだ歌の意味を思い出す。昔の人はなんというか、当たり前のこと一つ言うだけで大げさだと思う。もっと簡単に、わかりやすく言えばいいものを。
回りくどい言葉選びをわざとしてくる「影無し男」を思い出しながら、風邪などひいていなければいいな、と考えた。
最近の帝都では、ある事件が多発していた。
内容としてはなんてことない、ただの傷害事件だ。しかし、あまりにも被害者の特徴が偏っていたため、帝都で暮らす人々の目に嫌でも止まってしまう。
それは――黒い断髪の女性だけが襲われる、というものだった。
命に危険があるような怪我を負うわけではない。手や足、その他部位など一部分に軽い傷を負うそうだ。そして、被害者はみんな口を揃えてこう言う。
――鼠色の髪を持った大柄な男に襲われた。
思い浮かぶのは見慣れた顔。いや、でもそんなはずはない。なぜなら彼に利がないからだ。黒い断髪の女性だけを狙ったとて何も得られない。
会社の一室。切れかけた電灯が点滅する薄暗い部屋で、シゲルは一人頭を掻きむしった。
別に彼が容疑者になったわけでも、指名手配されているわけでもない。しかし、確実に動きにくくはなるだろう。日が高いうちから買い物に行くことなど間違いなくできない。真綿で首を絞められる一歩手前、今の彼はそんな状態だ。
考えたところで何もできないことなんてわかっているが、心配くらいはする。思わず長いため息がもれた。
「鬼門くん、ちょっといいかな」
「……大乗先輩、お疲れ様です」
「うん、お疲れ様」
大乗は人の良さそうな笑みを浮かべ、シゲルの向かいの席に座る。目元の濃いクマがやけに目立った。その顔を見れば、嫌でもわかってしまう。
「……呉葉さん、まだ見つかってないんですね」
「そうだね。見つかってない」
ふぅ、と困ったように大乗は息を吐く。
鬼無里村で「鬼の頭」を燃やし、宣言通り彼女は消えてしまった。しかし、大乗は未だに探し続けている。そのため、無理な日程調整をすることも多く、最近では仮眠室の常連になっているようだ。
「……大変、というか、辛くないですか?」
ふと、そんなことを尋ねてしまう。
いけない、何を言ってるんだ。そんなの、辛いに決まっているだろう。すぐに謝罪し、自分の口を物理的に塞ぐ。
そんなシゲルを見て、大乗はおかしそうに笑った。
「謝らなくていいよ。それに、好きな人と離れて辛いのは本当のことだしね。誤魔化すようなことじゃない」
「あ、相変わらず、ど直球な発言ですね……」
「そうかな? 自分ではわからないものだね」
そう言って、大乗はまた笑う。
呉葉を探し始めてから、この人はよく笑うようになった。吹っ切れた、と言うべきだろうか。
「でも、こんな僕を呉葉は好きになってくれたからね。今の僕のままいれば、きっと彼女の方が先に諦めて出てきてくれるんじゃないかと思ってるんだ」
「そんな犬猫みたいな……」
「実際似たようなものだよ。僕が切れる手札はか弱い僕自身くらいしかないからね。睡眠食事を削って彼女を探し回っていれば、心配性の呉葉は怒って出てきてくれるはずだ。それまではお互いの我慢勝負だね」
大乗の言葉を聞いて、シゲルの顔が引きつる。
彼女はなんとも重く面倒な男に惚れられてしまったようだ。……いや、重さでいったら彼女も彼女で同じくらいかもしれないが。
「――と、そうだ。僕の話は置いといて。鬼門くん、きみの話をしよう」
大乗は一つ手を打って話題を変える。
「……今帝都で起きている『黒い断髪女性傷害事件』。鬼門くん、きみが知らないわけはないよね」
やっぱりこの話題に踏み込んできたか、と思うことしかできなかった。
大乗は、シゲルの元に太宰が通っていたことを知っているのだ。今や帝都を騒がせているこの事件を知って、何も思わないはずがない。細く、息を吐く。
「……はい、知ってます」
「やっぱりそうか。同僚たちがこの話題について話していても混ざってこなかったのは故意だね」
「……はい」
大乗の言う通り、会社内でも事件に関しての話は頻繁に飛び交っていた。しかしその話が始まると、シゲルは必ず口を噤んで仕事をしている振りをした。できることなら耳も塞ぎたかったが、そうしたらただの変な人だ。
大乗はきっぱりと言い切ったシゲルを見て、少し考えてから口を開く。
「ふー、よし。もう単刀直入に聞こう。……この事件の容疑者、太宰さんではないよね」
「違います……とは記者として言い切れませんが、彼にはそんなことをする利がありませんし――」
「あぁいや、ごめん! これは僕の聞き方が悪かった!」
そう言って、大乗は辺りに人がいないかどうかを確認する。
「本当に申し訳ない。まず先に言っておくと、僕は太宰さんを疑っていないんだ。鬼門くんの言う通り、彼の利がわからないからね。……だからその、肩の力を抜いてくれ」
「え、あ……すみません」
知らず知らずのうちに両手を固く握りしめ、肩に力が入っていたようだ。深呼吸し、力を抜くよう意識する。
シゲルの状態を確認すると、大乗も安堵した様子で言葉を続けた。
「いや、こちらこそ悪かったよ。さっきも言ったけど、僕は本当に太宰さんを疑ってはいないんだ。呉葉のことで恩もあるし……。それに、もし彼が黒い断髪の女性を狙ってるんだとしたら、真っ先にきみが狙われないのはおかしいからね」
「やっぱりそうですよね」
「うん。でも、世間はそうじゃない。あんな髪色、帝都にはそうそういないし、みんなが彼を容疑者扱いするのも時間の問題だ。それに、きみが彼と一緒にいた場面を目にした人もいるだろう。このままだと太宰さんだけでなく、鬼門くんにまで疑いの目が向いてしまうと思う。売れっ子とは、良くも悪くも目を引くものだからね。……太宰さんに会って話を聞いたりはできないのかい?」
大乗の問いにシゲルは首を振る。もう二ヶ月会っていないことを伝えると、彼は眉毛を八の字に下げ心底困った顔を顔をした。
「太宰が犯人だとは思っていませんが、彼に会えない今、無実の確認は不可能かと……」
「そうか…………いや、そうでもないかもしれない」
「え、」
「無実の確認をするために、会う必要はないんだ!」
力強く言い放たれた言葉に困惑する。一体どういうことだ。
大乗はシゲルの方に身を乗り出すと、勢いに不釣り合いなほど小声で言葉を紡ぐ。
「こちら側で真犯人を見つけてしまえばいい」
思わぬ言葉に瞠目する。まるで悪いことでも画策しているように、大乗は小声のまま続けた。
「疑いの目が厳しくなる前に、本当の犯人を見つけ出してしまえばいいんだよ。そうすれば世間は彼を疑う余地すらなくなる。そしてきっと、そうこうしている内に太宰さんも見つかるはずだ」
そう言い切って笑う大乗には謎の説得力がある。さすが、化物を探し回っている者は言うことが違う。
「いや本当はね、この奇妙な事件のことは僕が雑誌に取り上げるつもりだったんだ。でもまぁ、それが売れっ子の鬼門くんに変更したところで誰も文句は言わないだろう」
大乗は衣嚢から一枚の書付を取り出した。
「……これは?」
「『黒い断髪女性傷害事件』の被害者が襲われた時刻をまとめたもの。……みんなだいたい夜更けごろ被害に遭ってる」
「……っ!」
言っていることを理解した様子のシゲルを見て、大乗は眉根を寄せる。
「とても危険なことだからおすすめはしない。でも、見世物小屋にも入っていったきみのことだし、止めても無駄だろうとも思っている。……だから、くれぐれも気をつけて。持っているならいっそ竹刀とか持って行ってくれ。僕の方でも太宰さんの疑いが晴れるような情報を探してみるから」
「ありがとうございます……!」
書付を大乗から受け取り席を立つ。やることは決まった。なら、仕事をすぐに終わらせて準備に取りかからなければ。
「……お互い、化物の相方を持つと苦労するね」
困ったような声音で大乗はシゲルに声をかける。彼女はその言葉に眉を下げて笑った。
「はい、まったくです」
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