紅葉の下には鬼女がいる 其ノ壱
赤や黄色、色づく葉に人々が目を奪われる季節。そんな中、シゲルが見ていたのは押入れの中だった。
「……やっぱりない」
見世物小屋での一件以降、使用していた手帳を無くしてしまったのだ。あれには過去に調査した怪異や、不審死した天才作家――芥部辰之助に関することも書いてあったのに。見世物小屋内で落としたのだろうか。もしも本当にそうだった場合は軍によって処分されている可能性が高い。
現在は予備として買っていた手帳を使っているため、特に大きな問題はない。だからといって、仕方がないで済ませることはできなかった。もう少し探してみるか。
「ん、あれ? これって……」
押入れの奥を覗き込むと、黄ばんだ表紙の雑誌が目に入る。血が垂れたような赤い字体で「月刊雑誌無垢」と書かれていた。
月刊雑誌無垢とは、現在シゲルが勤めている会社で刊行されているものであり、彼女の書いた記事が載っている雑誌の名前でもある。
「懐かしい! これ学生時代のやつじゃない?」
下がり気味だった気分が一瞬にして上昇する。発行年月を見れば、予想通りシゲルが女学生だったころに刊行されたものだった。
頁を開くと、つんとした古本独特の匂いがする。目次を見れば、件や人魚伝説など昔話のような話が多めに取り上げられているようだった。その中でも彼女の目を引いたのは、「幻の使節団」という題名の記事だ。
あったなぁこの話、とシゲルは感慨深くなる。
彼女が生まれる数年前、岩楽使節団という米欧諸国の制度や文化調査を遂行した団体がいた。彼らの功績は大きく、こうして今の日本は文明開化の道を辿っている。日本で初めてそのような偉業を成し遂げたため、教科書にも載っていることでもある。
ここまでが、大半の人が知っている知識。しかしこの「幻の使節団」という記事は、その事実を覆してしまうようなものだった。
曰く、学校で必ず習う岩楽使節団よりもずっと前、実は他の使節団が存在したとのことだ。だが、その使節団は何か理由があり、遠い外国の地で全滅したらしい。これを政府は公にしていないそうだ。
本当か嘘かはわからないが、こういう記事はそそられる。
そんな時、玄関引き戸の格子状になっているガラス部分に影が落ちた。おそらく太宰だろう。そう思ったシゲルは、雑誌を持ったまま木製の引き戸に近づき開けてやる。
「いらっしゃい太宰。ねぇこれ見てよ、私が女学生だったころに刊行された『無垢』で……」
目の前に現れた人物を見た途端、彼女の言葉は尻すぼみになる。視界が捉えたのは長身痩躯の軽薄そうな男ではなく、平均的な体格をした眼鏡の人間だったからだ。
「え、だ、大乗先輩?」
「こんにちは、鬼門くん」
「あ、えっと、なんでうちに……いや、それよりまず上がってください」
人好きのする笑みを浮かべた彼は大乗是清という。シゲルが新人記者だったころからお世話になっている先輩だ。
「急に訪ねてしまって申し訳ないね」
「そんな気にしないでください。今お茶出すので」
大乗を招き入れ、シゲルは台所へ飛び込んだ。たしかこの間、大家さんからもらったお高めの茶葉を戸棚に入れておく、と太宰が言っていた気がする。目当てのものを見つけてお茶を淹れるが、シゲルはとんと家事をしないので丁度いい濃さもわからない。……とりあえず茶の味がすればいいだろう。
慣れない手つきでお茶を運ぶ。
「あぁ、気を遣わせたね。ありがとう」
「いえ……というか、どうしたんですか先輩。今、連休取得してらっしゃいましたよね? もしかして仕事の引継ぎとかでしょうか」
シゲルは自分の記憶を漁る。この度大乗は祖父が亡くなったため、長期で休みを取ると社内で共有があったはずだ。その日からまだ五日しか経っていない。彼の故郷は帝都から離れており、一日列車に乗らねばならないと聞いた。せっかく帰省したのだ、もっとゆっくりしてくればいいのに。
シゲルの問いに、大乗はお茶で唇を湿らせてから口を開く。
「仕事のことじゃないよ。すごく個人的なことで、きみに手を貸してほしいんだ」
「個人的なこと……ですか」
「ああ。人探しを手伝ってもらいたい」
予想していなかった頼みの内容に思わず面食らってしまう。
「……祖父の葬式から帰ってきた翌日、呉葉がいなくなったんだ」
苦しそうに大乗は言った。
呉葉とは、大乗と同棲している女性の名だ。一度だけ会ったことがある。少しきつい顔をしているが、道を歩けばみんなが振り返るほどの美人だった。
「警察に相談はしたんですか?」
「失踪したその日にしたさ。でも、ろくに相手してもらえなかった。愛想尽かされたんだろう、なんて言われたよ」
その時のことを思い出しているのか、大乗の顔に苛立ちの色がにじむ。
「彼女がいなくなってもう三日経つ。警察の言う通り、僕に愛想を尽かしただけならいいんだ。いやよくはないんだけど、まだ理解はできるから。でも一番怖いのは、彼女が危険な目に遭っているかもしれないということだ」
そう言って、彼はくたびれた背広の衣嚢から茶封筒を取り出した。
「……それは?」
「実家から送られてきた手紙だよ。呉葉を探す唯一の手がかりだ」
「なんて書いてあったんです?」
「急に美しい女性が訪ねてきて、『絶対山には近づくな』って忠告されたんだそうだ。それはもう鬼のような形相で。……僕は、その女性が呉葉だと思ってる。女性はたくさんいるけど、美しい女性となったらそうはいないからね」
唐突にぶち込まれた惚気に呆れた顔をしてしまわないよう頬肉を噛みしめる。……こういうところがあるのだ、この人は。
「でも時間的に考えて、ちょっと厳しくないですか? 先輩のご実家は帝都から列車に乗って一日かかるんですよね? 先輩がとんぼ返りで帝都に帰ってきたとしても二日は必要です。もし本当に忠告した女性が呉葉さんだったとしたら、彼女も一日かけて先輩のご実家へ向かったはず。忠告があった後すぐにご家族の方が手紙を出してくれても、届くまでに最低三日はかかります。そうなると、呉葉さんの移動時間が極端に短いことになりませんか?」
「うん、そうだよな。普通はそうなんだ」
「……普通は?」
「ああ。……これは推測なんだけど、彼女は移動手段として列車を使ってないと思う。自分で走った方が速いから」
「どういうことです?」
「実は、その、とても言いにくいんだけど……」
大乗は再度お茶を口に運ぶ。そして深呼吸をし、あまりにも言いづらそうな表情で言葉を紡いだ。
「彼女……呉葉は――おそらく人じゃない」
「…………え?」
「ぼ、僕だって変なことを言ってる自覚はあるよ! でも一緒に生活してるとなんとなくわかるんだ! ちょっとした行動が人間離れしてるというか、人にはできない雰囲気をまとってるというか……化物、いや、『影無し男』っていう若い燕を囲ってるきみならわかるだろ⁉」
「な、若い燕って、人聞きの悪いこと言わないくださいよ! 別に囲ってないです!」
「と、とにかく! そんな直感があるんだよ! 誰もいない場所を人でも殺しそうな目つきで凝視したりするんだから!」
慌てた様子の彼はそう言い終わると、色あせた畳に額を擦りつける形で頭を下げる。つまりは土下座だ。
「頼む! 探すのを手伝ってくれ! きみが書いた『こっくりさん』や『オスガタ様』の記事を見て呉葉が言ってたんだ! 腕の立つ化物を飼ってるのねって! だから、もしかしたら、その『影無し男』なら彼女を見つけられるかもしれない! 彼はきみの言うことなら聞くだろう? 頼むよ、なんでもするから!」
懇願する大乗の姿を見て、シゲルは困り果ててしまう。
太宰はシゲルの言うことを聞いて同行してくれているわけではない。詳しい理由は知らないが、おそらくは気まぐれ、または自分の仕事に関連するためだろう。実際、この家に通う理由だって都合がいいからだと彼は言っていた。頼んだとて手を貸してくれる保証はないのだ。
しかし、先輩のここまで必死な懇願を断れるほど、シゲルの神経は図太くない。彼女は唸りながら頭を掻き、難しい顔をしてうなずいた。
「……わかりました」
「ほ、本当に⁉」
「はい。ただ、一つ訂正していただきたいことがあります」
いくら先輩だといっても、見逃せないことくらいある。
「私は彼を囲ってないですし、飼ってもないです。あと、彼の名前は『影無し男』じゃなくて太宰です」
言い終わってから、訂正が二つだったことに気づいた。
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