見世物小屋の影無し男 其ノ壱
八月十日
芥部辰之助氏、自殺す――
文壇の天才として知られる芥部辰之助(四十五)氏は八月十日未明、神田区の自宅書斎にて自殺を遂げた――
現場には大量の睡眠剤が発見された――
(八月十一日刊行 日ノ出新聞より抜粋)
『商店街で私をみた。贔屓にしている呉服屋の着物を羽織り、ただ歩いている。あれは私だった。私はここにいるはずなのに、私が見た私も、また私だったのだ』
(十月三日出版 著:芥部辰之助『絶筆』より抜粋)
◇◇◇◇◇
切れかけた電灯が不気味に点滅する。薄暗いその部屋で、ぶ厚い眼鏡をかけた男は口を開いた。
「……鬼門くん、今月末締めの記事、まだ書けてないだろう」
「え……なんでばれたんですか」
男の言葉に、ぱっつりと切り揃えられたおかっぱ頭の女――鬼門シゲルは潰れた蛙のような声を出した。
「毎日毎日芥部先生の死因について調べていたらそりゃばれるよ。……いいかい? 芥部辰之助は自殺だ。警察だってそう言ってる。だからこれ以上の調査は無駄だよ」
諭すような口調に、シゲルは思わず反論する。
「でも大乗先輩、さすがにあの最後の作品はおかしすぎますよ。なにか怪異が関係してるはずです。その尻尾をつかんで記事にすれば、きっと雑誌の売上も上がります」
「売上が上がるのは良いことだけど、それで他の記事が書けないんじゃ本末転倒だろう? 月刊雑誌『無垢』は日本のさまざまな怪異や謎を記事にしてるんだ。『かも』とか『はず』だけじゃ大量の時間は割けない」
「そ、それだと雑誌が――」
「――鬼門くん」
シゲルの言葉をさえぎる声は優しかった。
一つ息を吐いて、大乗是清はぶ厚い眼鏡を持ち上げる。目元には濃いクマができていた。
「僕だって、この雑誌が打ち切られるのは辛い。きみと同じで学生のころから愛読していたからね。でも時代は変わるんだ。今の帝都では、怪異と謎よりも服飾の方が求められてる」
大乗の言う通り、月刊雑誌『無垢』は廃刊が決定していた。理由は簡単、売れない――ただそれだけだ。
文明開化によって、日本の土地も人も法律も大きく変わってしまった。着物を着ていた男性は洋服に身を包み、一部の女性は男性と同様に職業婦人として働いている。シゲルもその一人だ。恩恵を受ける面も多いが、今回のように廃れるものも存在する。シゲルにとってこの目まぐるしい変化は正しいものなのか、区別がつかなかった。
「どれだけ頑張ったところで上の決定は覆らないさ。それに……今回がこの雑誌で最後の執筆になるかもしれないんだ。締め切りに間に合いませんでした、じゃきみも記事も報われない。……だからはい、これ」
シゲルの前に一枚の書付が差し出される。そこには雑な筆跡で『午前零時、浅草はずれの天幕』と記されていた。
言葉として理解はできるが、文脈が繋がらないそれにシゲルは首をかしげる。
「これは?」
「記事ネタだよ。どうせ芥部先生の方ばかりでネタ探しもやってないんだろう?」
大乗はお見通しだとばかりにため息をついた。
「浅草のはずれに見世物小屋があるらしい。そこでは各国の珍獣を扱っているそうだ」
「珍獣? それじゃあうちの雑誌には合わないんじゃ……」
「記事にしたいのはそこじゃない、そのあとだよ」
そう言ってにやりと口角をつり上げる。痩せぎすの彼にはこういう笑い方がよく似合った。まるで悪霊のようだ。
「『影無し男』って知ってるかい?」
「……『影無し男』?」
「そう。その男はなんと七尺ほどの上背があり、人間離れした動きは恐怖で客を震わせるらしい」
七尺か、とシゲルはだいたいの大きさを想像してみる。だが、そんな人は生まれてこの方見たことがないため失敗した。現在、男性の平均身長は五尺四寸と少し程度だと言われている。到底信じられる大きさではなかった。
「それ本当に人間ですか? 欧州の猿とかではなく?」
「一応は人の形をしてるって話だよ。『見た目は人だが、異常なほど強く、影が無い! その男は一体何者なのか、見世物小屋の座長はどこでそんな男を見つけたのか!』ってね、うちの雑誌にうってつけのネタだ!」
興奮してきたのか息が荒くなっている。電灯の点滅も相まって犯罪者だと言われても信じてしまいそうだった。
一方で、シゲルはそこまで乗り気になれない。なんというか噓くさいのだ、情報全てが。それにしても、右も左もお上さえも文明開化の波に乗っている現在では、見世物小屋なんて違法すれすれのものではないのか。
しかし相手は先輩。心の内を吐き出すこともできず、シゲルは書付を受け取った。
◇◇◇◇◇
夜も深くなったころ。浅草はずれの天幕で、粘りけのある鮮やかな赤が飛び散る。
それが血だとわかったのは、真っ白な虎と対峙していた男の腕が、暴力的なまでに鋭く大きい爪で抉られる瞬間を見ていたからだ。
シゲルはそれだけで痛みを感じたような気になってしまう。しかし、顔を引きつらせた彼女とは反対に、見世物小屋全体は震えるような歓声で埋め尽くされていた。
ひょろりと縦に長い男は腕が抉られたことなんて気にせず、観客席と舞台を仕切っている金網を足場代わりにして大きく跳躍する。かなりの数の照明が設置してあるにもかかわらず、男の影はいっさい見当たらなかった。
一瞬のうちに身長に見合った長い手足は舞うような動作で白虎へ巻きつき、鼠色の髪は安っぽい電灯の光を吸い込む。獣の苦しそうな唸り声が腹の底まで響いた。すると間髪をいれずに、男は前に倒れ込む勢いで背負い投げのような動きをする。人の三倍はありそうな白虎は空を飛び、シゲルの反対にある金網に叩きつけられた。
それを見た観客は、血に沸いていた先ほどまでが嘘のように静かになる。
「――ご覧になりましたでしょうか! 本日の目玉も大目玉! こいつが噂の『影無し男』でぇございます! 南の亜州からきた白虎なんざ猫同様! ちょいと首根っこつかんで投げてやりゃあこの通り! 子猫のように静かんなっちまう! さあさ皆さん、拍手喝采を何卒! 何卒よろしくおねげぇいたします!」
息をすることを思い出したように観客が盛り上がる。司会の口上も相まって、火傷しそうなほどの熱気が見世物小屋全体に広がった。
そんな中、前後左右にもまれながら、シゲルはどうにかして「影無し男」を視界にとらえる。ぼろきれのような麻の着流しに血が滲んでいた。しかし、まるで痛みなど感じていない様子で、重そうな瞼に半分ほど隠されたすみれ色の瞳はぼんやりと宙を眺めている。
「狸か狐か、はたまた別の化物か、謎に包まれた『影無し男』はここでしか見れやせん! 次回もどうかお見逃しなく!」
司会は深々と頭を下げる。どうやら今日の見世物はここで終わりのようだ。
出口へ向かって人が動き始める。シゲルもその波に乗って進み始めたが、「影無し男」の姿を少しでも目に焼き付けるよう振り返った。
視線の先には、大きな身体を猫のように丸め、舞台袖に向かってゆっくりと歩を進める男。
――その姿に、思い当たるものがあった。
己の身体より大きい存在すらも長い手足を駆使して獲物にし、強風に揺られてしまうほど軽いのに決して堕ちない堅牢な城を築きあげる。
たとえるなら、まるで――
「――蜘蛛みたいだ」
刹那、すみれ色の瞳を持った蜘蛛がこちらを見た気がした。
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