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第二章 カミングアウト・クラレス②

「あなたと会う場所にまず中庭を選んだのは、学生の多く集まるここでわたしたちへの注目度をはかって、今後の動きの参考にするためだったのだけど。裏目だった」

「時間を正午に指定したのも、あえてみんなの目にさらされるためか」


「そうよ、わたしは不毛なことはしない。でも安心してちょうだい。策はあるわ。想定以上に注目されてしまったのなら、この状況を利用するまで」

「どうやって」


「あなたは、もう知っているはずよ。わたしへの関心を失望へと確実に塗り替える、わたしにしかできないたった一つの方法を」

「まさか」


 僕には思い当たるふしが一つあった。

 ソーラは自身の黒髪に右手を置き、上目づかいで不敵に笑った。


「一緒にいるあなたも巻き添えを食うかもしれないけれど、いい?」

「僕に聞く必要はないよ。『それ』は君のものだから」

「わかってるじゃない」


 ソーラは背筋を伸ばした。

 そして両手を額の上に持っていき、左右の小指を黒髪の生え際に当てた。そのまますっと、手を後ろに動かす。髪全体がその動きに合わせて位置をずらし、彼女の頭から離れた。


 一瞬だった。

 彼女はとくに立ち上がったわけでも、みんなに呼びかけたわけでもない。ごく自然な所作の一部として、それをおこなった。


 中庭の学生たちの動きが、とまった。

 言語化できない声を漏らした者もいた。

 教室棟のあいた窓からも、動揺のざわめきが落ちてきた。

 さきほどまで見ていなかった者さえも、彼女に視線を向けている。


 そこにいる全学生のまなざしが、二つのものに集中する。

 一つはソーラの左右の手にかかえられた、スーパーロングの黒髪のかつら。その毛の一本一本が、彼女のひざをおおう群青色のフレアスカートにこぼれていた。


 もう一つはソーラ自身の頭。

 頭頂部にも後頭部にも側頭部にも毛がまったくない。

 白くて傷一つない、張りのある透き通った頭皮。

 それが正午過ぎの日光を反射して、きらめく。


 ここで彼女はおもむろに、自分のかばんに手を入れた。ハンカチを取り出し、それを使って頭の汗を入念にふく。


「気持ちいい」


 ちょうど彼女の口からその言葉が飛び出した瞬間だった。

 みんなは一斉にソーラの頭と、かつらの黒髪から目をそらした。


 各自は、また雑談を始め、昼食を再開し、魔法の練習を続行する。

 数十秒後、僕とソーラを除き、石のベンチに座っていた者たちが別の場所に移動した。

 教室棟の窓からの視線も消えた。


 もうソーラを見ようとする者は、ほとんどいなかった。それでも目を向けてくる学生はいたが、彼等も、せいぜい二秒未満の凝視をおこなう程度である。

 そんな周囲の反応をじっくり観察してから、彼女は黒髪をかぶりなおす。


「意外。笑われるかと思ったのだけど。ま、実際は、こんな微妙な反応になるわよね」


 ベンチに座ったままソーラは上体をそらし、後ろのオブジェを見た。


「ともかく策は成功のようね。みんな幻滅したことでしょう。今ここにいない学生にも、うわさが広まる。これで、わたしが誰と話していようが関心を寄せてくる人はいなくなった。あなたとも学園内で堂々と会えるわ」


 彼女の前髪が後ろに倒れ、生え際があらわになる。

 黒髪の毛先が地面につきそうだ。

 僕は声をやや大きくして、なんとなく自分のウルフカットをさわった。


「とめなかった僕が言うのもなんだけど、本当によかったのか」

「当然」


 ソーラは姿勢を戻し、もう一度、背筋を伸ばした。


「まさかわたしが目的のために仕方なくやったとでも思ってるの? 見当違いよ、それ。わたしは前から、こうしたかった。つるつる頭を隠したままだと、蒸れたときにきついし、自由にかつらも変えられない。わかる?」

「全然」


「それに、このスーパーロング、元々わたしのじゃないもの。なのに、まるでわたしから生えたものであるかのような顔をしてみんなにこの髪を見せるのは、なんか嫌だった」

「そっちは少しわかる」

「なにより、わたしはわたしの頭を誇りに思ってる。なんで隠さなきゃなんないの」


 こう言って彼女はベンチから勢いよく立ち上がった。


「じゃ、またね、アロン。約束は忘れてないでしょうね」

「次の休日、午前八時に正門で。ぼろぼろのスーツと外出許可の申請も忘れずに」


 そんな僕の返答に彼女はうなずき、ワープを連続させて中庭から姿を消した。

 ソーラが通り抜ける際、近くにいた学生たちがびくりと体をふるわせるのが見えた。

 このあと僕は教室棟を出て、西にある購買部でサンドイッチを買って食べた。

 食事中、イートイン用のスペースで、学生同士のひそひそ話が聞こえた。


「知ってる? ソーラ・クラレスさん」

「あの、かっこいい黒髪ロングの人だよね」


「実は彼女、かつらだったらしいの。いや、嘘じゃないわ。わたし、この目で」

「え、本当なの。かわいそう」


 彼女が想定するような失望や幻滅があるかは定かでないが、少なくとも今後しばらく学生たちはソーラと一定の距離を置くだろう。


(そろそろ午後の授業に向かうか)


 僕は教室棟に戻った。三階に上がり、倫理学の教室に入る。

 広さは世界史で使った教室と同じである。


 室内を見回した僕は、赤いツイストパーマを見つけた。

 それは僕の学友、ハフル・フォートの髪で間違いない。

 ハフルも僕に気付いたようだ。机にひじをついた状態で手招きしている。


 僕がハフルの隣に着席するや、彼は座っている椅子を僕のほうに近づけた。そのとき彼はカーペットが傷つかないよう、きちんと椅子を持ち上げて運ぶことを忘れなかった。


「聞いたぜ、アロン。中庭のこと」


 口角をひかえめに上げ、ハフルは僕の肩に右手を載せる。

 彼はカーキ色のブーツをはき、薄い青のシャツに紺のオーバーオールを重ね、その上に乳白色のカーディガンを袖まくりにして羽織っていた。

 なにを話すべきか僕は迷い、言葉につまった。対して、彼は青い目を細める。


「いいんだ」


 ハフルは、自身のブーツを互いにこすり合わせた。


「無理に、はき出すことはないさ」


 こちらの肩に手を置いたまま首を横に振る彼。その表情を僕は見る。


「ありがとう、ハフル。ただ、口元がゆがんでるような感じもするけど。口角が微妙につり上がって、ふるえているというか」

「あ、いや、これは」


 彼は目をそらしつつ自分の口の二つのはしを左手の親指と人差し指で押さえた。


「おまえの心中を察して、口元が、そう! いろんな感情でいっぱいいっぱいなんだよ。断じて笑いをこらえてるわけじゃねえからな!」

「君の場合は本気で言ってそうだね」

「ともかく俺は、もう、せんさくしねえ。きのう興味本位でいろいろ聞いちまったのも悪かったな。ただ」


 ハフルは僕の肩から手をどけて、椅子を持ち上げ、元の場所に戻した。


「笑い話にしたいときは遠慮すんなよ。一緒に笑ってやる」


 それから彼は倫理学のテキストをかばんから取り出し、めくった。

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