序章 ソーラ・クラレス①
「不毛だわ、アロン・シュー」
ツーサイドアップにまとめたスーパーロングの黒髪をなびかせ、ソーラ・クラレスはそう言った。
「本当に、なにも生えていないのね」
昼下がりの太陽に照らされた黄土色の砂漠のなか、白いワンピースを身にまとったソーラが僕を見る。
彼女のきらめく赤い瞳に視線を返し、僕は額の汗をぬぐった。
「仕方ないよ、ソーラ・クラレス」
呼吸するたび、砂漠の熱気が体のなかに入ってくる。
「ここはカディナ砂漠。草木なんて一本もない。誰もがみとめる不毛の地なんだから」
「それにしても、あなたの格好」
黒いまつげにふちどられた大きな目を細め、ソーラが視線を向けてくる。
僕は全身を真っ黒なスーツでおおっていた。
ワイシャツだけは白だが、ジャケットもパンツも黒。黒ネクタイを首元までぎゅっと結んだうえで、フェイクレザーの黒靴をはき、靴下も黒でそろえている。中敷きさえも黒である。
それもただの黒ではない。光沢を生じさせない純黒である。
加えて、腰の黒いベルトに三つの「巻紙」をくくりつけ、僕はソーラをカディナ砂漠まで呼び出していた。
「まるで喪服ね、巻紙以外。あなたのウルフカットの黒髪と、切れ長の黒い目に、合っているような気はするけれど」
ソーラの声は、すずしい。
僕たちは二人ともこのカディナ砂漠に立って話している。しかし服装はだいぶ違う。
彼女のワンピースは長袖で、足首まで伸びたロングスカート。日焼けを防ぐ最低限の格好。
素足に、白いサンダルをはいている。
右肩から腰の左にかけた、かばんとそのひもはレモンのような淡い黄色。
腰まで届きそうなスーパーロングの黒髪が風になびく。後ろ髪は結んでいない。彼女は高めの位置にツーサイドアップを作っている。
左右に垂らした髪の根元には水色のリボンが見える。
サンダルのあいだからのぞく足の甲も、長袖の先の華奢な手も、白く透き通った小さな顔も細い首も、日に焼けた様子はない。
「暑いわね。水は要るかしら」
「ありがとう、でも自分で用意できるから」
ベルトにくくりつけてある巻紙の一つを手に取り、僕は唱える。
「青巻紙」
声に反応して、巻紙がするするとひらく。
一度ひらけば、とじるまで使い手のそばを浮遊する。
内部の白紙に浮き出た「水」という黒い文字をなぞると、その部分が青白く光り、目の前に透明な水が現れる。
ついで、巻紙の示すほかの文字列の一つ「滞空」に指をすべらせ、僕は水を空中にとどめた。
「青巻紙・封」
そう唱えると、巻紙は元の巻かれた状態に自動で戻る。
とじられた巻紙を、ベルトに再度くくりつける。
空中には、まだ水が浮く。日の光を受けて、きらきらしている。
その透明な液体を手ですくう。口元に持っていき、少しずつ飲む。
ソーラもかばんのなかから水筒を取り出し、それをかたむけて水分補給をおこなう。
「あなたの巻紙魔法、面白いわね。アロン」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。巻紙は死んだ父が四つだけ残してくれた形見だからね」
乾いた声を整えつつ、僕は答えた。
対してソーラは、僕の腰のベルトにくくりつけてある当の巻紙に視線を落とす。
「四つ? あなたが持っているのは三つみたいだけど」
僕が着ているジャケットの丈は短めで、すその下から巻紙の一部がのぞいている。
三つとも巻かれた状態で、太さは同じ。直径は、一般的な成人男性が親指と人差し指で作る円よりも少し大きい程度である。
外側の色は赤・青・黄。それぞれに紙をまとめる黒いひもが付いており、僕はそのひもの余った部分をベルトにくくりつけている。
三色の巻紙に指を這わせつつ、僕はゆっくり説明した。
「巻紙は本来、四つあった。でも父が亡くなって間もなく一つ盗まれた。赤でも青でも黄でもない、虹色の巻紙だ。それが六年前のこと。犯人は『鏡の巨像』と呼ばれる魔法使いの大怪盗。五年前まで世界中の宝物を盗んで回っていた犯罪者」
そう僕が口にしたとき、ソーラは水筒を持っていないほうの手で、かばんのひもをぎゅっとつかんだ。
僕は空中に浮かぶ水を飲み干したあと、黄土色の砂漠を歩いて彼女から少し離れる。
「君も知ってるんだ? やつのこと」
「顔見知りよ」
ソーラは水筒をかばんに収め、代わりにハンカチを取り出し、口元をふく。
「わたしは『鏡の巨像』の一人娘なんだから。なるほど、これまでなんの交流もなく、他人同士の関係でしかなかったわたしを、あなたがカディナ砂漠まで呼び出したのは、彼の情報を聞き出すためってわけ」
「そうだ。僕は、やつとの関係を調べたうえで君をさそった。魔法使い『鏡の巨像』の本名はアリアン・クラレス」
僕は立ち止まって、ソーラの表情を横目でうかがう。
「でもまさかアリアンの子どもが僕と同じ学園に入学してたなんてね。ソーラ・クラレス」
そう言われた彼女は少しうつむいて、ハンカチをかばんに入れた。
「続けて」
「このあいだ、僕は偶然、君の本名を聞いた。『クラレス』といえば、父の形見の巻紙を盗んだアリアンと同じファミリーネーム。もしかしたらと思って僕は君の素性を調べた」
「わたしの父が戸籍から抹消されていることも調査済みかしら」
「ああ。アリアンは盗みすぎた。もう世間にやつの居場所はない。でも彼は家族にだけは甘かった。だから五年前、自身の活動を停止するにあたって、犯罪者である自分の名前を戸籍から消したんだ。役人に金をにぎらせて。まあ変なうわさから身内を守るためだろうね。そして」
僕はソーラと一定の距離を保ちつつ、あらためて彼女の両目を見る。
「よく知っているだろう。『鏡の巨像』も、君と同じ、きらめく赤い瞳を持っている」
「それでわたしが彼の娘であると確信したってわけ」
このタイミングでソーラは、僕に近づく。ツーサイドアップの黒髪を揺らしながら、間合いをつめてくる。彼女の足が砂を踏むたび、白いワンピースがはためく。
「で、なにがしたいのかしら」
そんな彼女の落ち着いた声音に対し、僕は後ずさりしながら答える。
「アリアンに盗まれた『虹巻紙』を取り返したい。娘の君なら盗品の保管場所に心当たりがあるんじゃないか」
「ないわ」
ソーラの歩調が、だんだん速まる。僕もそれに合わせて後退のスピードを上げる。
「確証がなくてもいい。ほんのちょっとの手がかりだけでも」
「だから、ないって言ってるでしょ」
ここでソーラが砂を巻き上げ、視界から消えた。
次の瞬間、僕のジャケットの背中にふわりとした布のような感触が伝わった。同時に、レモンに似た香りが周囲をつつむ。
思わず振り返ると、ソーラが自身の背中を僕の背中に押し付けていた。