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第7話 友だち

 弟は五歳のままだった。

 桐谷が八歳のときも、十歳のときも十三歳のときも。

 

 よだれや鼻水を自分で拭くことができず、その顔は常に体液で汚れていた。暇になるとその液体をもてあそび、周囲に悲鳴をあげさせた。年齢に対して幼稚な言動は、小学生からしたら馬鹿にする恰好の的だった。弟本人は馬鹿にされていることも知らず、戦隊ものの必殺技を叫んで応戦した。その顔は、暴力を振るわれない限り、常にくしゃくしゃな笑顔だった。

 桐谷に対してのいじめが始まったのは、そんな弟を上級生からかばった直後だった。小学五年生だった桐谷は、まず教室で隔離された。「あいつに関わると弟のが移る」。そんな幼く暴力的な考えは、それこそ伝染病のように学校中に広がった。友だちだったクラスメイトも、登下校を共にする仲間からも、桐谷は一メートル以上近づかれることはなくなった。まるで、目に見えない風船のような膜が、桐谷を覆っているみたいだった。

 一般的ないじめと同じように、精神的ないじめの後に、物理的ないじめが始まった。上履きが無くなり、廊下で足を引っかけられ、公園ではサッカーボールの代わりに蹴られた。

「ごめんね。でもしょうがないんだ」

 入学からずっと仲が良く、毎日のように遊んでいた友人に、そう言って顔面を蹴られたとき、桐谷は諦めた。人を信頼することを、人を好きになることを、そして何よりこれからの人生に期待することを。その友人なら守ってくれると期待しなければ、まだ自分が友だちであると期待しなければ、ここまで傷つくことはなかったのだから。人生全てに期待しなければ、傷つくことはない。それが、以後、桐谷優太の人生の指針となった。

 中学生になってもいじめは続いた。数学の問題が高度になっていくのと同じように、いじめの方法は高度になっていった。より刺激が強く、より大人にばれないように。桐谷はそのことを大人に相談しようとは思わなかった。相談するほどのものじゃないと思った。物理的な傷の痛みは、数日もすれば治ったから。


 三春千夏みはるちかに出会ったのは、彼が二年生のときだった。春と夏の境目に、彼女は桐谷のクラスに転校してきた。身長が低く、可愛らしい顔と、愛嬌のある笑みは子犬を連想させた。東京から来たという彼女は、クラスの注目を集め、その少し大人びた仕草と明るさからすぐに人気者になった。

「桐谷くん一緒に帰ろうよ」

 そして、彼女はどうしてか、桐谷と関わりたがった。

 授業でとり残されている桐谷とペアを組み、同じ委員会に入って、登下校を共にした。

 最初は「良い子アピール」に自分が使われているのだと桐谷は疑っていたが、純粋なその笑みや言葉から次第に気を許すようになった。また、桐谷と仲良くすることで彼女にいじめの矛先が向くことはなかった。人気もあるが東京から来たということが、中学生にとって、一つの正しさとして機能していた。不思議なことに彼女と関わることで、桐谷に対するいじめは弱まった。

「優太くんは卑屈になりすぎなんだよ」

 ある日の帰り道、隣を歩く千夏が言った。

 その頬は夕陽に染まり、微笑んだえくぼに小さな影が落ちていた。

「ほんとうの君は誰にも嫌われてないんだよ。だけど君が嫌われてるって強く思いこんでるから、自然と周りの人も卑屈な君が嫌いになってくの。だからもっと堂々としてればいいんだよ」

「まあ、確かにそれはそうなのかもしれない。……でも、どうして千夏は、卑屈な僕と関わってくれるの?」

「そういうとこなんだけどなぁ。……ふふ、まあいいやっ」

 千夏はにっこりと、夏の太陽みたいに笑った。

「優太くんと話すの、私、好きだから」

 卒業まで、桐谷と千夏は仲の良い友だちを続けた。

 休日にはショッピングモールで買い物をしたり、学校帰りには千夏の家で勉強やゲームをした。


 友だちという言葉を聞いて、思い出したのが三春千夏の顔だった。

 そして彼女といた中学時代が、桐谷にとって最後の幸福な時期だった。

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