表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

第6話 桜のゆめ

「まあ、なんとなく分かったよ」桐谷はごまかすよう両手を組んだ。「未来では誰も理不尽に殺されず、誰も理不尽に死なない。そのために君は僕の殺人を止めようとしている」

「それは、少し違う」

 瑞希は言った。

 その声は、誰もいない場所で鳴る鈴のようだった。

「親殺しのパラドックスは知ってる?」

「過去に戻って親を殺した場合、親を殺した自分が産まれないから、矛盾が生じる」

「そう。それと同じことが、私たちがやっていることにもいえる」

「つまり……」

 桐谷は少し考えて、その答えにたどり着いた。

「過去の殺人を止めた場合、こんどはその殺人を止める人間がいなくなるから、矛盾がおきる?」

「正解。さすが国立大学生」

 ぱちぱちと、手をたたく仕草をして瑞希は言う。

「親殺しのパラドックスが存在するかぎり、《《過去に干渉しても未来は変わらない》》」

「……じゃあなんのために?」

 未来が変わらないなら、無意味じゃないか。

 桐谷はなんどか頭のなかで思考を巡らせながら、瑞希の答えを待った。


「人が平等に生きるために」と瑞希は小さく言った。「過去への干渉は、未来が変わらない代わりに、もう一つの世界線をつくる。並行世界ってやつだね。私の世界が【A】だとすると、この世界は【A2】。私がこうして君と話している時点で【A】の世界からは離れてる」

 つまり、と今度は瑞希が言った。

「つまり。私は【A】という世界では君の殺人を止められないけど、この世界でなら君の殺人を止められる。私たちのいる【A】で殺された人も【A2】の世界でなら救うことができる」

 風がふき、さわさわと頭上の枝が揺れる。

 それによって差し込んだ月明かりが、彼女の上で不規則に踊った。

 桐谷は茫然と、瑞希の姿を見ていた。

「じゃあ、君たちは、自分の世界ではなにも変わらないことをやっているのか?」

「そうだね」

「偽善的だな」

「そうだね」

 でも、と彼女は反論した。

「それで救われる人がいるのは確かだよ。たとえ現実ではなんの変化がなくても——たとえば、子どもを殺された母親からしたら、この制度は慰めになる。自分の子どもが幸せに生きる世界があるって、そう思えるから」

「そんなの、妄想や虚構と変わらない」

「そうともいえるかもね。でも人はいつだって、現実には見えないものに希望を見出すんだよ」


 風がやむと、公園は再びしんと静まり返った。

 瑞希の瞳には光が映り、暗闇のなか、二つの星のように見えた。

「もし俺が、君の言うことを聞かないって言ったら?」

「毎日、説得し続ける」

「でも俺にそれに答える義務はない。人権社会なんだろ? 個人の思想は尊重するべきじゃないのか?」

 桐谷は暗い瞳を向けた。

 その瞳の奥では、さまざまな思考が嵐のように飛びかっていた。殺人に対する恐怖、罪悪感。救済に対する不信感、冷笑。加害者として扱われることへの苛立ち。瑞希を傷つけたいという加虐心。それらの感情が桐谷に、頑な拒絶の姿勢をとらせた。


「君は」

 瑞希は、その冷たい瞳を見つめた。

 そして氷を解かすような暖かな声で桐谷に触れる。

「このままで、いいの? 君が変ろうとしないかぎり、どの世界でも殺人犯として、暗い人生を刑務所で過ごすんだよ? 多くの人に恨まれて、誰からも愛されずに、一人で死ぬんだよ?」

「いいよ。ずっと分かってたんだ。俺の人生はクソだ」

「そんなの嘘だよ。だって君はまだ死んでない。諦めきれてないんでしょ? 幸福とか夢とか。だから生きてるんでしょ? 知ってるよ、私は。君は、ずっと」

 ふいに風がふいて、桐谷は春の匂いを感じる。

 桜の季節。

 春の匂いが胸に広がり、微かな期待が鼓動を早くする。

『きみ新入生? こっちきてのもーよ』

 顔を赤くした大学生。

 あのとき感じた期待を、桐谷は思い出していた。

 美しい桜の下で楽しそうに笑う彼らに、溶け込む夢を——。

「君はずっと、普通に生きたかったんでしょ?」

 その匂いが桜のつぼみの匂いなのか、また別のものから香るものか彼は分からなかった。ただ、そこに、確かに期待を感じた。感じてしまった。今まで見ないようにしてきた、光を、暖かさを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ