第4話 春の香り
桜の季節。
桐谷が大学寮に越してきたころ、通りがかった市民公園から、華やかな喧騒が聞こえた。つられるようにして公園に入ると、満開の桜と人だかりが見えた。彼らは缶ビールを片手に、赤い顔で笑っていた。
「きみ新入生? こっちきてのもーよ」
明らかに酔いが回っている大学生に声をかけられたとき、桐谷はなにも言わず会釈をして早足で公園の出口まで歩いた。
見てはいけないものだ、と桐谷は思った。
それと同時に、少し、ほんの少し、期待した。
大学生になったらあの輪の中に、美しい桜の下に、溶け込めるのだろうか。
* * *
一月の夜の公園は、冷たく、ひっそりとしていた。
人の気配もなく、動物が鳴く音もない。暗闇のなかで、真っ黒な木々の影が静かに揺れて、かすかに風をきる音がするだけ。空の大きく欠けた三日月が、その感情を持たない植物たちに小さな光を投げている。結局、桐谷はあの日以来この公園を訪れたことはなかった。
「春になれば桜が綺麗なんだろうね」
池が見えるベンチに座ると、瑞希は桜の木を見ていった。
「池に桜の絨毯が広がる」
「そうかもね」
隣に座る桐谷は適当に返して、池に映る三日月を見た。
「それで」と、桐谷は切り出すように言った。「きみは、なんなんだ? 未来から来たのは信じてもいい。でも僕の殺人を止めるっていうのは理解できない。僕は将来、人を殺すのか?」
殺すよ。
瑞希は静かに言った。
木の葉でも落ちたのか、池に小さな波紋が浮かび、三日月が揺れた。
「きみは一年後、十六人を殺傷して、そのうち十一人が死ぬ」
まるで明日の天気を伝えるみたいに、さらりと彼女は言う。
「そして十五年後の今も、きみは、刑務所で暮らしてる」
冷たい響きだった。そこにはもちろん同情もなく、潔癖症の人がほこりを払うような無感情さがあった。
「そっか」
桐谷は、一つ息を吐いた。白い煙が暗闇に浮かんで、すぐに消える。
「驚かないんだね」瑞希は、不思議そうに桐谷を見た。「なにか思い当たることでもあるの?」
「いや」と桐谷は否定した。
十五年後の今、と彼女はいった。
つまり十五年後の未来から来たということだ。桐谷はぼんやりとそう考えた。
「なんで人を殺すのかはさっぱり分からない。人を殺したいという欲望もない」
十五年後から来た彼女を見る。その水晶のような瞳には、光が映っていた。反射するほどの月明かりも街灯もないのに。まるで太陽のように、自らの力で光っているみたいだった。
「ただ」それ以上見ていられず、桐谷は再び池の方に視線をうつす。「未来がろくでもないことは、分かってた。たとえば、殺人事件のニュースで、犯人の人物像が報道される。『暗い』『何考えているかわからない』『普通じゃなかった』。そして死んだ目をした犯人の写真が公開される。そのたびに、これは未来の俺だって思うんだ」