第3話 きみの殺人を止めにきた
冷たい声に、桐谷の身体が反応する。
「柔軟性がないって、よく言われない? 自分の思い込みだけで世界をみているから、人から言われたことを素直に聞けない。だから」
「うるさいよ、幻覚のくせに」
桐谷は、思わず口をひらいた。早鐘を打つ心臓をどうにか落ち着けたかったが、意識すればするほど、呼吸は浅くなり心臓の音がうるさくなった。
「やっと会話してくれた」
「会話じゃない。俺が一人で話してるだけだ」
桐谷は瑞希を見た。その目が、自分をあざ笑っているような気がして、すぐに目を逸らす。そして過呼吸ぎみの呼吸を、ゆっくりと落ち着けることに意識を向ける。大丈夫。俺はまだ、大丈夫。
「ごめんね。こんなつもりじゃなかったの。ほんとうに、きみを傷つけるつもりじゃ、なかった」
瑞希はおわびの代わりに、その場にしゃがみ込んで、桐谷の手を握るしぐさをした。しかし、その手の感触を、桐谷が感じることはなかった。幽霊のように、瑞希の手は桐谷の手をすり抜けた。
「もう一度言うよ。わたしは未来から来た。でも実体はなくて、ただの粒子だから、きみには触れられない」
「そんな話、信じられるわけない」
「まあ、そうだよね。きみじゃなくても、そう言うと思う」
一転して瑞希は優しく、幼い子どもを諭すように言った。
「だから一つ。証拠を見せるね」
「証拠?」
「そう、これから起こる未来のことを一つ言い当てる。もし当たったら信じてくれる?」
「話を聞こうとは思うかもしれない」
「よかった。じゃあテレビを見て」
その場を瑞希が離れると、遮られていたニュース番組が桐谷の目に映る。夕方の、主婦層が見る時間になったためか、地方のパン屋の特集をしている。レポーターの女性が菓子パンにかじりついている画からは、平和だという感想以外、思い浮かばなかった。
「今から一分後の6時21分。九州地方で震度五弱の地震が起こる。海岸で起きた地震で、津波は起こらないし、被害はほとんど出ない。でも地震の大きさと津波の危険性から、テレビでは大々的に報道される」
6:20。
画面左上の表示は、なかなか変わらなかった。中央ではレポーターが、おいしい、柔らかい、あまい、と大げさな食リポをしている。
6:21。
切り替わった直後は、何も起きなかった。やっぱり嘘じゃないか。桐谷がそう思い始めたころ、画面に異変が起きた。まるで、自分ではない誰かが、急にチャンネルを変えたみたいに。
「地震速報です。ただいま九州地方で震度5弱の地震が――」
突如として現れた画面には、男性アナウンサーの真剣な表情が映っていた。緊張感を含んだ声で、淡々と情報を伝えている。その内容は瑞希が言っていたことと、全く同じだった。
津波の心配はありません。数分後に報道されたその情報を聞き終えたあと、桐谷は瑞希の方を見た。床で座っていた彼女は、「どう?」と薄く笑った。
「なにしに来たって?」
桐谷は言った。瑞希が現れたときに言われた言葉を、覚えていないわけではなかった。ただ、なにを言っているのか、理解はできなかった。
「きみの殺人を止めにきた」
セリフじみた言葉を言ったあと、瑞希は立ち上がった。
「すこし、外に出よう」