第8話 その一
「友だちつくろうよ」
大学の食堂、大勢の人が行きかうなかで、桐谷と瑞希は向かい合っていた。
桐谷の前には290円のカレー、瑞希の前には怪しまれないように桐谷が汲んできた水があった。未来から来た彼女には実体がなく、物に触れることができない。そのため、間違って人に触れられないように、椅子の先端に座っていた。
瑞希の言葉に、桐谷は口に運ぶスプーンの動きを止める。
「友だち、つくろうよ」
聞こえていないと思ったのか、瑞希はもう一度言った。桐谷は黙って口にスプーンを入れて、安っぽい味のカレーを咀嚼した。何度か噛んでから、やっと飲み下す。
「それが、人を殺さないための方法?」
「まあ、そうだね。殺人と孤独には、ある程度の相関があるから」
「孤独じゃなければ人を殺さないってことか?」
「たいていの場合はね」
あまり人のいるところで話す内容ではないが、周囲の学生たちが桐谷に注意を向けることはなかった。みな自分の人生を生きるのに必死で、他人の会話に耳を傾ける余裕はないようだった。桐谷はちらりと周囲を確認してから、瑞希に言う。
「言ってることは分かる。でも僕には無理だ。友だちなんて、もう何年もいない。それよりかは、もっと違うことに意識を向けた方が殺人を犯すリスクは減るんじゃないか?」
桐谷の言葉に、完全に周囲に溶け込んだ瑞希は真面目な顔で答えた。
「たしかに別の方法もあるよ。でも、それは対症療法でしかない。根本的な部分で殺人から遠ざけるためには、もっとも効率的なやり方を試す方が簡単だと思う」
それに、と彼女は続けた。
「それが、桐谷くんの幸福につながるって私は信じてるから」
そう言って、瑞希はふんわりとした微笑みを浮かべた。まるで、柔らかな朝日のように。瑞希の顔を見ながら桐谷は、昨日のことを思い返した。
昨日、桐谷は桜の木の下で、瑞希の提案に乗った。殺人を犯さない人生を選択した彼は、瑞希に言った。俺はどうやったら人を殺さないのか、と。瑞希はその場では答えなかったが、今日の朝、桐谷の部屋に現れた。そして『君が人を殺さないための方法を教えにきた』とドラマのセリフのように言った。
そして今、瑞希にその答えを聞かされている。
殺人を犯さない人生を選択すると決めたとはいえ、桐谷にとっては気の進まない方法だった。
「確かに友だちがいるというのは幸福な状態なのかもしれない。でも最後に友だちがいたのは中学生のときだ。もう友だちの作り方も忘れたよ」
「じゃあ教えてあげる。友だちを作る方法は、二つ。友だちになれそうな相手に話しかけて、相手の話を聞くこと。それだけで、友だちはできるよ」
桐谷は黙ったままカレーを平らげ、返却口にトレーを返す。
次の講義に向かう準備をしてから、桐谷は立ち上がって出口に向かった。
「僕には無理だよ」
瑞希は人に当たらないように、桐谷の背後をついてきた。
「傷つきたくないだけでしょ?」
「そうだな」
「そのせいで、十人以上の人が傷つくんだ。死んでしまうくらいに」
「なかなか辛辣だね」
「事実だよ」
桐谷は息をすって、大きくため息吐いた。そして、人と目を合わせないために下げていた視線と顔を上げた。慣れない視界の中で、何人もの大学生とすれ違った。
瑞希は少しだけ、笑った。