狐の寂しさ 1
「人間について分かったことをって、何を書けばいいんだろう……」
師匠からの課題は、予想以上に難しい。これはかなりの難問を出されたのではないか。まず人間の生態についてまとめてみた。
一、人間は二本の足を持って歩くことができる。
師匠に冊子を見せると、師匠は「直立二足歩行ですね」と言った。当たり前のようだが、妖怪のぼくたちにとっては驚きである。足自体がない妖怪だっているのだから、立派な特徴だ。
二、人間の寿命は、七十歳ととても短命な生き物だ。
そう言うと師匠は「人間にも個体差がありますが、だいたい七十年くらいですね」と言って、「よく観察していますね」と言葉を付け加えた。
師匠とそんなやりとりを二月もやっていたら、冊子の折り返しまできてしまった。そんなに書いたのかと思うのと同時に、書くことがなくなって困ってしまった。
はあっとため息をつきながら、とぼとぼと帰路に向かうと、数ヶ月ぶりにあの高齢の人間が祠の前で参拝していた。ああ、何だ。やっぱりただの気まぐれで参拝にこなかっただけかと、不思議と安心する。しかし安心はすぐに違和感を覚えた。
あの人間は、あんなにも弱々しかっただろうか。
腰が以前より曲がって、小柄なのに余計に小さく見える。なんだか、少し風に吹かれたらポキッと枝が折れそうな弱々しさだ。
すると春にして少し寒い風がひゅーっと吹いた。風が吹くと同時に、人間はケホケホと苦しそうに咳き込みだした。大丈夫だろうか、なんとなく心配を感じつつ様子を窺う。そのときだった。
「おばあちゃん!」
あのとき人間を迎えきた若い女が、咳き込んでいる人間に駆け寄ってきた。
「おばあちゃん、もうあんまり無理しないでよ。私の心臓に悪いから」
若い女が泣きそうな表情で、人間の背をさすっている。その様子に力なく人間が笑うと
「さっちゃん、ごめんね。でもお稲荷さんに……、最後にご挨拶しないと思ってね」
とすまなそうな顔をしながら言った。それよりも人間は、気になる言葉を言っていた。
最後?
もうこの人間は参拝に来ないのだろうか……、どうして?
ぼくは冊子をぎゅっと持ちながら、じっと二人の人間の様子を窺う。
「最後なんて言わないで、病院に行けば治るよきっと。だからまたお参りに来よう」
若い女がそう言いながら、顔くしゃくしゃに歪めている。気を抜いたら泣き出してしまいそうな、そんな表情だ。
「そうね、またお参りに来ればいいのよね、さっちゃん。じゃあ行きましょうか」
人間はそう言って、頭を少し下げて若い人間の女と共に家に帰った。
「またお参りに来ますね」
帰り際、人間がそう呟いていたのをぼくは聞き逃さなかった。『またお参りに来ますね』という言葉は、嬉しいはずなのに、胸の奥が締め付けられるような寂しさが広がった。
人間はまたお参りに来ないだろう、とそんな気がした。