狐の不安 3
今回は文章量が少ないです。天狗の師匠の視点になります。
「なるほど、そのご年配の人間の女性が参拝に来なくて気になったと……」
「参拝しなくてもいいやって、どうでもよくなったのかな」
と狐の沈んだ声が私の耳に届いた。私は話を聞きながら、内心どうしたものかと頭を抱えていた。狐は子河童と違った方向に賢く、時折物事の本質を突くときがある。
しかしこの話題はひどく繊細な話題であり、私たちの在り方に直結する問題だ。
人間はいつしか私たちを畏れなくなった。昔のような自然を尊ぶ生き方をせず、何かを満たすように物を作っては一瞬で消費し、飽きては捨てていく、ひどく刹那的な生き方をしているように感じる。
あんな生き方は自分で自分を苦しめているのではないか。と最近の人間の生き方に不快感を感じながら、一方で危機感も抱いていた。
私たち妖怪は人間に認識されないと存在が成り立たないのではと。
もし人間が私たちのことを空想の存在と考え、妖怪の存在そのものを否定されたら……。
狐は無意識に昨今の妖怪の在り方について、不安を感じたのだろう。こんな危機感を感じているのは、ごくわずかの古来から存在する妖怪たちのみだ。ほかの妖怪たちは危機感を感じず、気ままに日々を生きている。
それをまだ妖怪として存在し始めてから数十年しか経っていない狐が、なんとなく不安を感じ取ったことに、なんだか悲しい気持ちになった。
さて、この狐にどう教えればいいか、悩ましい。私も何が正解か分からない。自分が分からないことを、どうやって年少の狐に教えればいいのだろう。そんなことを考えているときだった。
狐が人間を恐れながらも関心を持っているのなら、狐自身で答えを探してもらえばいい。