狐の不安 2
何故かそんな風に、ぼくは思ったんだ。普段考えないことをぼんやりと考えていたら、人間がふとぼくの方に振り返った。
「っ……」
ぼくは思わず口から声が出そうになった音を手で遮る。大丈夫。この人間には、ぼくのことは見えない。ぼくの思った通り、その人間の視線はぼくを捉えなかった。ふうっと安心して息を吐き、祠に戻ろうとしたときだった。
「そこに誰かいるのですか」
人間がふと、こちらに尋ねた。ぼくはぎょっとしてその場に固まった。間違いない、人間はぼくに向かって言っている。ぼくは、小刻みに太鼓が音を鳴らしているかのように緊張した。
人間には、関わってはいけない。ぼくたちとは違う世界に生きている存在だからと昔から同族の狐たちに教えられている。
人間に関わったら、どうなるのだろう。ぼくの体中が太鼓の振動を浴びたかのように驚き、思わず息を呑んだときだった。
「おばあちゃん。こんな所にいた、もう探したんだから」
そう言って、若い人間の女性がこちらに向かって走ってきた。
「あら、さっちゃん。こっちに来ていたのね。連絡くれたら何かおいしい物を準備したのに」
「もう、そんなこと言ってないで家に帰るよ。おばあちゃんがいなくなったって、おじいちゃん顔真っ青にしてたんだから。目の調子あんまり良くないんだから、お参りに行くなら誰かと一緒に行ってよね」
そう若い人間が言いながら、お参りに来ていた人間を連れて帰ろうとしたとき、
「また来ますね」
そう言って人間は一礼し、今度こそ帰路についた。
あの言葉通り、人間は頻繁に祠へお参りに来た。目が悪いというのに、雨の日や外がひどく寒い日も祠に通ってきた。こんなに熱心にお参りに来る人間が気になって、気づいたらぼくはずっと人間の観察をしていた。
新しい年を迎え一月が経った頃だった、ある日を境に、人間のお参りがパタリと止んだ。同族の狐たちはたいして気にしていなかったけど、ぼくにとっては大事件だったんだ。なんで人間はお参りに来なくなったんだろう。ぼくの心はすごくかき乱されて、どうしたらいいのか分からなくて、ぼうっとして珍しく薬作りを失敗した。
周囲の狐たちも驚いたのだろう。「何かあったのか」と普段ぼくに干渉しない狐たちが聞いてくる。ぼくは「心配しないで」みたいなことを言って、その場を離れた。この心の困惑を放ってはいけない気がした。そのときぼくは、初めて人間についてしっかりと考えてみようと思ったんだ。
「師匠、人間のことについて教えてください」
とぼくは、妖怪たちの相談役である天狗の師匠に会いに行った。師匠はぼくの予想外の言葉に驚いた顔をする。
「急にどうしたんだい、人間のことを知りたいなんて」
何かあったのかと顔を顰めて、師匠はぼくに尋ねる。
「なんだか、人間のことが知りたくなって。でもほかの狐たちに聞くとあんまりいい顔しないと思うから、師匠に聞きに来ました」
師匠はぼくの言葉を聞いて、困った顔をした。
「質問の答えになっていませんよ。なんで、いきなり人間のことを知りたいなんて思ったんだい。最近、様子がおかしいのと関係があるのでしょう」
どうやらぼくの不調は、師匠の耳にも届いているらしい。師匠なら、ぼくの困惑を分かってくれるかもしれない。そう思って、人間を知りたいと思ったきっかけである参拝に来ている人間のことについて話した。