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「東雲さ、っ」


 名前を呼び終わる前に東雲が手を伸ばし、血に濡れた左手を掴まれたかと思うと引っ張られた。突然のことに痛みが走り、息を呑む。そのまま引きずられるように立ち上がったが、そうされたことに内心驚いていた。

 アルバートは東雲より頭半分ほど背が高いが、その差はそれほどでもない。だが、スポーツをやっていたアルバートは筋肉質で体重もあった。それなのに細身の東雲が片手で軽々と引き上げたのだ。どこにそんな力があるのかとアルバートが驚いていると、さらにぐいっと引かれて脇腹にひどい痛みが走る。


「……っ」


 思わず顔を歪めたが、それを東雲が気にする様子はない。ややふらついているのを無視するように手を引き、建物の影にアルバートを押しやった。そうして出口を塞ぐように立ちはだかった東雲は、無言のままスーツのボタンをブチブチと乱暴に外し始めた。


「どうしたんだ、……っ」


 わずかに体が揺れるだけで鋭い痛みが走った。そういえば刺した男はどうしたんだろうかと元いた道を見るが、東雲の体が邪魔になってよく見えない。そうこうしている間に立っているのがつらくなったアルバートは、建物の壁に背中を預けるようにしながらズルズルとすべり落ち地面に尻をついた。


「東雲さん」


 なぜか東雲がアルバートにのし掛かるような体勢になっている。呼びかけても返事はなく、無言でベストのボタンを外し脇腹あたりを食い入るように見ていた。


(いったいどうしたというんだ?)


 痛みで若干意識が朦朧としながらも、アルバートは東雲の不可解な行動の理由を考えた。傷が気になって、というふうには見えない。応急処置を、というには手荒すぎる。それに無言のままというのがやけに気になった。


「東雲さん」


 もう一度声をかけると、目の前にあった東雲の頭が動いた。さらに屈み込むように黒髪が下りていく先には血の滲む脇腹がある。


「いったいどうし、っ」


 脇腹にビリリとした痛みが走り、思わず息を呑んだ。痛みに一瞬閉じた目を慌てて開くと、まるで獣のように這いつくばった東雲が脇腹に顔を寄せている。黒髪がわずかに揺れるたびにビリリとした痛みが走ることに、アルバートはようやく痛みの原因を悟った。


(まさか傷を舐めているのか?)


 浮かんだ言葉に「そんな馬鹿な」と思った。傷は舐めておけば治るという言葉は知っているが、刃物で刺された傷に効果があるとは思えない。そもそもこれだけ出血しているのだから舐めたところで止血できるとも思えなかった。それなのに東雲はまるで獣のように傷を舐めている。


「東雲さん」


 声をかけるが相変わらず返事はない。代わりにビリビリとした痛みが断続的に脇腹を駆け抜けた。


「東雲さん」


 もう一度名前を呼ぶと、ようやく東雲の顔が上がった。その顔を見たアルバートは驚きのあまり言葉を失った。

 東雲の唇は赤く艶やかに濡れている。まるで紅をつけたような様子だが、紅の正体はアルバートの血だ。微妙な影ができているせいで金縁眼鏡の奥までは見えないものの虚ろな雰囲気のようにも感じられる。これまでアルバートが見てきた東雲とはあまりに違う様子に呆然と見つめることしかできない。


「こんなにうまい血は久しぶりだ」


 そうつぶやいた東雲の顔が再び脇腹に戻った。碧眼には屈んでいる背中と、頭を動かすたびに着物の上で蠢く黒髪が映っている。ぴちゃぴちゃと舐め取る音がするたびにその髪の毛が背中を滑り落ちた。


(いったい何が起きているんだ。それにこの体勢はまるで……)


 あらぬ想像をしたアルバートはハッと我に返った。


(わたしはいま何を……)


 脳裏に浮かんだのは間違いなくいかがわしいものだった。いくら腰を掴まれながら脇腹を舐められているとはいえ、脇腹を刺されているのにそんな想像をするのはおかしい。しかも相手は男、さらに十歳以上も年上だというのに何を考えているのだろうか。


(しかし、この体勢はまるで……)


 またもや不埒な想像をしてしまったからか、アルバートの体がカッと熱くなった。額からは痛みからか動揺からかわからない汗がたらりと流れ落ちる。

 東雲の頭がゆっくりと持ち上がった。そうして上目遣いでアルバートの顔を覗き込んだ。


「興奮し始めたのか。よい香りがする」


 そう言って濡れた唇を、それより赤い舌がちろりと舐め取った。


「っ」


 アルバートは思わず息を呑んだ。妖艶にも見える東雲の仕草に心臓がドクンと鼓動を強める。熱くなった血が全身を駆け巡るような気さえした。


「さすがは金血(コンケツ)だな。香りも味も最高だ」


 もう一度ちろりと唇を舐めた東雲が破れたシャツを引っ張り上げた。続けてズボンの前立てをカチャカチャと開く。

 ギョッとしたアルバートは慌てて逃げようとした。ところが想像以上の力で抑えつけられているからか逃げることは叶わず、もたれかかっていた壁をズルズルと背中が滑り落ちていく。


「東雲、さん」


 声をかけるが反応はない。かろうじて肩のあたりで壁にもたれかかっているものの、アルバートの体はほとんど地面に寝そべっているような状態だ。そんな状態のアルバートに東雲が覆い被さった。血に濡れている脇腹から際どいところまでを犬のように熱心に舐め始める。


「しのの、つぅ……っ」


 ちゅうっと吸われて言葉が詰まった。痛みと混乱でますます意識が朦朧としてくる。碧眼には獣のように脇腹を舐める東雲の姿が映っているが、それが本当に東雲なのかもわからなくなってきた。意識が段々と薄れていくような感覚がしているというのに、体だけはますます熱くなっていく。


「しの、ぃ……っ」


 傷口に舌をねじ込まれ悲鳴を上げそうになった。アルバートが慌てて悲鳴を呑み込むと下腹にも力が入ってしまい、さらに痛みが増す。思わず地面を擦るように尻を動かしたとき、腰を掴む東雲の腕に股間が触れた。そのときアルバートは初めて自分の体の変化に気がついた。


(まさか)


 東雲の腕に当たったのは間違いなく自分の股間だ。そこが緩やかに兆している。「男は死を感じるとそうなると聞いたことがあるが」と頭では冷静に考えながらも、内心大いに戸惑っていた。


(どういう、ことだ……?)


 東雲の舌を感じるたびに下半身に血が集まるのを感じた。強烈な痛みを感じていたはずが、いまは痛みよりも下肢の状態が気になって仕方がない。


「しのの、め、さん」


 気がつけば右手で東雲の頭を鷲づかんでいた。白いアルバートの指に黒髪が絡みつく。止めようとしていたはずの手が、脇腹に熱い舌を感じるたびに「もっと」とねだるように動く。

 そんなアルバートの反応に応えるように東雲の舌は饒舌なほど動き回った。丹念に肌を舐め、吸い取るように傷をすすり、同時にビクビクと震える下腹の感触を楽しむように東雲の手が傷のない肌の上を撫でる。


「しのの、…ぅっ」


 名前を呼んだ瞬間、アルバートの下腹部がブルッと震えた。股間のあたりが濡れる感触に「何ということだ」と空を仰ぐ。もはや脇腹に痛みはなく、ただ東雲の舌の熱さだけを感じていた。


(わたしはどうなってしまったんだ……?)


 もしかして刺された場所が悪く、自分は死に向かっているのだろうか。それなら痛みを感じなくなってきたのもわかる。


(だが、東雲さんのこの行為は……)


 考えようとしたアルバートは、そこで力尽きた。瞼が段々と重くなり、なんとか保ってきた意識もそこで途切れてしまった。

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