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 アルバートの作戦はこうだった。

 すでに出没する時間がわかっている店では待ち伏せし、時間がわからないリスト先にも足を運ぶ。不発に終わる可能性はあるものの遭遇率も上がるはずだ。予想は的中し、半分以上は無事に東雲を見つけることができた。そのたびに金縁眼鏡の奥が呆れたような眼差しになるが、アルバートが気にすることはない。


「これで追い回していないなんて、よく言いますねぇ」


 東雲のため息に答える声はない。非難されているというのに楽しそうな表情を浮かべる異国人に、袴姿の東雲は今日も盛大なため息をついた。


「そもそも僕のようなおじさんを追いかけ回して何が楽しいんです?」

「レディたちに囲まれるよりは楽しいな」

「やれやれ、いったいどういう趣味をしてるんだか。それとも、女王陛下の国ではおじさんに言い寄るなんて奇特なことが流行しているんですかねぇ」

「ははっ、言うようになったじゃないか」

「そりゃあ、毎日のように顔を合わせていれば軽口を叩くようにもなるってもんですよ。言われるのが嫌なら、どうぞほかの趣味を楽しんでください」

「いいや、こうして親しく話ができるようになったことがもっとも楽しい」

「やれやれ、ああ言えばこう言う。困った色男さんだ」


 心底呆れたような口振りにもアルバートの心は浮き足立っていた。トムには「なじられて喜ぶなんてどんな性格だよ」と呆れられたが、ようやく感情を垣間見せるようになった東雲にますます興味がわく。この先どんな表情を見せるだろうか。どんな言葉を口にするだろうか。想像するだけで期待に胸が膨らむようだった。


(それに東雲さんが相手をしてくれるほどの関係になったのかと思うと達成感もある)


 三日前には東雲の書いた短編小説が載っている雑誌も手に入れることができた。東雲いわく「官能小説」とのことらしいが、いまいち官能の意味が理解できない。調べたところ「官能」が男女の色事を指すということはわかったが、なんとか読み進めた小説はどこからどう読んでも殺人鬼の話だった。


(まったくもって興味深い人だ)


 二十五年生きてきたなかで、ここまでアルバートが興味を引かれる人物は初めてだった。行動も言葉も表情さえも興味深くて飽きることがない。


「以前言ったとおり、いやそれ以上に興味を引かれている。とくに事件現場でのきみは興味深い」

「やれやれ。それなら後日談を話しますから、それで満足してください」

「後日談?」


 スタスタと歩く東雲が「先日の事件の犯人ですよ」と答える。


「先日のと言うと、毒の串の事件か」

一昨日(おとつい)、犯人が捕まったそうですよ」

「誰だったんだ?」

「許嫁の女性の幼馴染みだそうです」


 東雲の言葉にアルバートが首を傾げた。


「女性の幼馴染み? なぜ幼馴染みがそんなことをするんだ?」

「身分違いの恋人のため、といったところでしょうかねぇ。ま、それだけじゃないでしょうが」

「身分違いの恋? ということは、犯人の幼馴染みとあの女性は恋人ということか?」


 アルバートの問いかけに東雲が「そのようですねぇ」と答える。


「幼馴染みの男は親の代から女性の家に仕える下働きだったそうです。年が近く小さい頃からよく一緒に遊んでいた二人は、年頃になって互いに思うようになった。ところがそこに横やりが入った」


 アルバートは「なるほど」と悟った。本国でも身分違いの恋はたびたび耳にすることで、そういった内容の小説は巷でも人気がある。しかし実際のところ恋人になるのは難しく、主人が男なら女性はよくて愛人といった形で収まるのが普通だ。


「これがただの家同士の結婚話なら、まだよかったんでしょうがねぇ。女性の家は華族に連なる家柄ながら金に困っていた。横やりを入れた男性の家は開国に乗じた商売のおかげで懐が潤っている。いわゆる成り上がりと呼ばれる家で、金は潤沢にあるが身分がない。そうした両家の思惑が絡んでの婚約なんで、幼馴染みも諦めがつかなかったんでしょう」

「いわゆる色恋のもつれという話か」

「とろこがそれだけじゃなかったんですよ」

「ほかにも何かあったのか?」


 東雲が「あの男性にはいろいろ問題があったようですからねぇ」と続けた。


「男性は郭屋(くるわや)通いで知られていたそうですよ」

「くるわや?」

「男性を相手に性を売る女性たちがいる店のことです」

「あぁ、なるほど」

「そこで性病をもらってしまったものの、そのことを隠したまま女性と結婚しようとした。それだけ男の家は身分がほしかったんでしょう。しかし女性側にとってはたまったもんじゃありません。病の種類によっては命に関わりますからね。病気のことを知った幼馴染みが、女性のためになんとかしてやりたいと思うのもわからなくはない」

「それで毒の菓子を食べさせようとしたのか……。いや、しかしどうやって毒の菓子を渡したんだ? まさか店の商品に紛れ込ませるなんてことはできないだろう?」


 アルバートの質問に「許嫁の女性ですよ」と東雲が指摘した。


「幼馴染みに『これを食べさせればいい』と渡されたんだとか。女性は許嫁の横柄な態度を不快に思っていたそうですから、腹を下すだけだという幼馴染みの言葉を聞いて懲らしめてやろうという気持ちになったんでしょう。ところが思っていたよりひどい惨状で女性は驚いた。だから、あのとき悲しむでもなく困惑したような表情を浮かべていたんでしょうね」


 あのときの女性の様子を思い出したアルバートは、お国柄の違いではなかったのだと理解した。しかし今度は別の疑問がわいてくる。


「しかし、それではあの女性が犯人にされかねないぞ。菓子を用意した幼馴染みは、それを考えなかったのか?」


 考えていなかったのだとしたら、あまりに迂闊すぎる。もし愛する女性が警察に捕まりでもしたらどうしたのだろうか。

 その疑問に東雲は「可愛さ余って憎さ百倍と言いますからねぇ」と返事をした。


「可愛さ……なんだって?」

「愛しいという気持ちが強ければ強いほど、一度憎いと思うとその気持ちが何倍にも強くなる、ということわざですよ」


 東雲の言葉に碧眼がわずかに伏せられた。アルバートの脳裏に「The greatest hate springs from the greatest love」という言葉が浮かぶ。どの国の人にも起こり得る感情に「わたしの現状もそれが起因ならまだ救いがあったかもしれないが」と、いまさらなことを思った。


「想像ですが、女性は幼馴染みに思いを寄せながらも許嫁の金に目がくらんだのでしょう。あわよくば金を手にし、幼馴染みの愛も手にしたかった。そういう気持ちは得てして相手に伝わってしまうものです。だから、件の幼馴染みは毒の串団子を女性から渡るように仕向けた。その結果があれだったというわけですよ」


 そう言って東雲が再びてくてくと歩き出した。当然のようにアルバートも隣を歩く。「後日談は終わりましたが」と眉を寄せる東雲に「わかっている」と答えながらも長い足が歩みを止めることはない。


「はぁ。まったく困った色男さんだ」

「わたしの興味は事件に対してじゃない。きみ自身に興味を持っているんだ。そう言ったはずだが?」

「なんとも厄介な趣味ですねぇ」

「そうかな。それに、逃げられれば逃げられるほど追いかけたくなるのが人というものだ」

「そういう言葉はお嬢さん方におっしゃってください」

「生憎、追いかけたくなるほどのレディには出会ったことがないんだ」

「いかにも色男が言いそうな言葉だ」


 軽口を叩き合いながらも東雲の歩みが少し速くなる。「今度は巻かれないぞ」と思いながらアルバートも歩みを速めたときだった。


「ん?」


 トンと背中にぶつかった感触に「あぁ、失敬」と口にした。それほど細い道ではないが、男が二人並んで歩いていたから通り過ぎるときにぶつかってしまったのだろう。

 そう思い道を譲ろうとしたアルバートは、腹の右側に違和感を感じた。「何だ?」と思い右腕を上げ腹のあたりを見ようと体を少し捩る。その瞬間、アルバートの体に激痛が走った。


「な……っ」


 ガクンと膝が折れた。慌てて踏ん張ったが、そのまま地面に膝をついてしまう。その衝撃で強い痛みが走り、無意識のうちに左手で脇腹の辺りを押さえた。


「っ」


 頭上から息を呑むような音が聞こえた。視線を上げると、東雲がわずかに目を見張るような表情でアルバートを見ている。これまで見たどの表情よりも人間らしい反応に、痛みを感じながら「どうしたんだ?」と東雲の様子に意識が向いた。


「この匂いは……」


 小さなつぶやきだったが、激痛に顔をしかめるアルバートの耳にもはっきりと聞こえた。


(いま、匂いと言ったか)


 見つめる先の東雲は、気のせいでなければ若干青ざめているようにも見える。


(どういうことだ?)


 ガーデンカフェでは女性の死体を、先日はのたうち回る男性を目にしても感心したくなるほど冷静だった。どちらも平然とした様子で、どこにでもある石ころを見るような眼差しだったのを覚えている。

 ところがいまの東雲は明らかにうろたえていた。困惑とためらい、それに焦りのようなものも見て取れる。それがアルバートには不思議でならなかった。


「東雲さん」


 気がつけば左手を伸ばしていた。視界に入った自分の手が血に濡れていることに気づき「あぁ、刺されたのか」と他人事のような感想を抱く。


「……っ」


 息を呑む音が再び聞こえた。


「東雲さん?」


 さらに手を伸ばせば明らかに動揺するような素振りを見せる。しかし東雲の視線がアルバートから離れることはなく、むしろ血で濡れた左手を凝視しているようだった。


「どうし……」

「まさか、金血(コンケツ)なのか……?」


 やけに静かな道に東雲のつぶやきが広がった。

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