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「あの串団子がか?」

「あの串団子がです」


 話を聞いた天野は、すぐさま近くにいた警官に「その串団子を調べろ。あぁ、毒が仕込まれてる可能性があるから注意しろよ」と指示した。


「それから串団子を売ってる露店も調べろ」

「はいっ」


 二人の警官がバタバタと露店のほうへ走って行く。残った警官の一人は、おそるおそるといった感じで串団子を保管袋に入れていた。


「本当に団子に毒が入っているのか?」

「団子ではなく、あの串のほうですよ」

「串? 串に毒が仕込まれてたってことか?」

「あの串はキョウチクトウの枝です。知りませんか? 暑い夏に花を咲かせるっていうんで庭木にも使われている植物ですよ。通りに植えられているものもありますがね」

「その枝に毒があるとして、串に使ったくらいであんなふうになるもんなのか?」


 天野の質問に「えぇ、なりますね」と東雲が答える。


「キョウチクトウは植物そのものだけじゃなく、根を張っている土にも影響を与えるくらい大層強い毒を持っているんです。なんたって燃やした煙も危ないってくらいですからね。そうそう、官軍と幕府との戦争のとき、枝を箸代わりにした兵士が中毒を起こしたことで有名になった植物もあれですよ」

「あぁ、あの話の植物か」


 二人の背後に立って話を聞いていたアルバートは「やけに詳しいんだな」と感心していた。東雲は自分のことを「しがない物書き」だと言うが、まるで医者か学者のような口振りで話している。それに、警部だという天野も東雲の言葉を疑うことなく受け入れているように見えた。


(そもそも、どうして警察が一介の作家の言葉にこれほど耳を傾けるんだ?)


 それとも、この国ではこれが普通なんだろうか。「そういえば本国には探偵が警察に協力する小説があったな」ということを思い出しつつ、二人の様子を注意深く観察する。


「警部、あちらの女性ですが男性の許嫁だそうです」


 警官の報告に三人の視線が女性に向いた。少し離れたところで女性が別の警官に話を聞かれている。上品な洋装や雰囲気から華族か富豪の娘に違いない。遊びに来たところで男性が串団子を買い、毒を持つ串が使われていると気づかずに口にしてしまったといったところだろう。


(それにしては悲しんでいるように見えないが)


 うろたえているように見えるが悲しんでいるようには感じられない。それがアルバートには不思議でならなかった。


(許嫁なら、倒れた男に泣きながら縋りつくくらいはしそうなものだが……)


 それともお国柄の違いだろうか。そんなことを考えていると「そういえば」と東雲が声を上げた。


「あの男は病気持ちのようですよ」

「病気? それじゃあ毒で倒れたんじゃないのか?」

「いえ、あれは間違いなく毒による中毒症状です。毒の匂いもしましたから間違いないでしょう。ただ、わずかですが吐瀉物に混じった血から病気の匂いがしていました」

「病気?」

「一瞬梅毒かと思いましたが、それに似た性病か何かでしょう。梅毒の可能性も否定はできませんが」

「性病か……。許嫁殿は知っていたのかねぇ」

「どうでしょうね。まぁ、それが今回の出来事に関係しているかはわかりませんが」

「そのあたりを調べるのは俺たち警察の仕事だな」

「ごもっともです」


 そこまで話した東雲が「では、僕はこれで」と天野に挨拶した。


「おう、今回も世話になったな」

「とんでもない」

「また何かあったら頼むよ」

「よしてください。僕はただの一般人ですよ。そうそう現場に出くわすはずないじゃないですか」

「よく言うよ。今回で何度目だ?」

「たまたまですよ」


「それじゃ」と軽く頭を下げた東雲が、ざわめく人混みの中にするりと体を滑らせた。


「東雲さん、待ってくれ」


 呼びかけても振り向くことすらない東雲の後ろ姿に、慌ててアルバートも人垣の中へと入る。見失うわけにはいかないと人混みに紛れる長い黒髪を必死に追いかけ、何とか小径へと抜け出した。少し前をてくてくと歩く東雲の肩を掴み「待ってくれ」と声をかけるとようやく歩みを止めた。


「やれやれ、まだついてくるんですか」


 わざとらしいため息に怯むことなく「もちろん」と答える。その言葉に東雲の眉がわずかにひそめられたものの、諦めたのかさっさと歩き出した。もちろんアルバートも逃がさないとばかりに隣を歩く。


「前回もそうだったが今回も素晴らしかった。いったいどこでそんな知識を? やはりただの作家とは思えないんだが」

「しがない作家ですが、ネタとしていろいろ調べたりはするもんです。そのとき見知った知識がたまたま役に立っただけのことですよ」

「たまたまとは思えないな。まるで医者か植物学者のようだった」

「残念ながら、そのどちらでもありませんがね」

「そうだろうな。たとえ医者だったとしても、見ただけで病気を見つけることは難しいはずだ。植物学者だったとしても、遠目で見ただけで毒を持つ植物が串に使われているなんて判断できるとも思えない」


 アルバートの指摘に金縁眼鏡がちろっと視線を向ける。


「以前のハーブティーなら香りで判断できなくもないだろう。だが、匂いがしない菓子の串が何の植物から作られたか普通はわからないはずだ。それをきみは見ただけで判断した。いや、見たんじゃない。匂いを嗅いで確信した。違うか?」


 問いかけに答える声はない。アルバートのほうも答えが返ってくると思っているわけではなく、注意深く東雲を観察しながら世間話のように話を続けた。


「毒に詳しいことも興味深いが、一番興味を引かれたのは匂いについて言及したところだ」


 てくてくと歩き続ける東雲の横顔に変化はない。


「先ほどの男性について、きみは『吐瀉物に混じった血から性病の匂いがした』と言った。匂いがする毒物ならそういう判断もできるだろうが、病気の匂いを血から嗅ぎ取るなんて話は聞いたことがない。どういうことなんだ?」


 東雲の足がほんの一瞬遅くなった。そのことにアルバートも気づいたが、歩みを揃えながら言葉を続ける。


「今回もだが、ガーデンカフェでもきみが匂いを嗅いでいたことには気づいている。あのときはハーブティーの匂いを嗅いでいるのだと思っていたが、今回は違う。もしかして、きみは毒や病気の匂いがわかるんじゃないのか?」


 東雲の足が止まった。正面を向いたまま口が開く。


「さて、何をおっしゃっているのやら」

「そもそも見ただけで毒かどうかわかるはずがない。ガーデンカフェではあのレディが心臓を患っていたと言っていたが、それを初見で見抜いたのも不思議な話だ。あれも何かしらの匂いでわかったんだろう。違うか?」

「はてさて、僕にはとんとわからぬ話ですね」


 どうやらとぼける気でいるらしい。しかし、それこそが隠したい気持ちの表れではないかとアルバートは考えた。


(よくわからないが、匂いに敏感ということか?)


 それとも鼻が利くということだろうか。どちらにしても普通の人間とは思えない嗅覚だ。「これはますます興味深いな」と思っているアルバートの目の前で東雲がくるりと踵を返した。そのまま狭い入り口の建物へと入っていく。


(ここは……書店か?)


 入り口のそばには小さな棚があり、古めかしい本がずらりと並んでいる。状況から書店だと判断したアルバートだが、脇にある看板の文字は見慣れない形のもので読むことができない。


(そういえばリストに古書店が入っていたか)


 トムの報告書には二軒の古書店名が書かれていた。周囲を見渡したアルバートは、そのうちの一軒だろうと予想した。通りをいくつか進んだ先には東雲が週に二度は通う骨董店もあるから間違いないだろう。

 そこまで考えハッとした。「もしや」と思い店内に入るが、奥に座る店主らしき老人以外に人影はない。狭い店内に並ぶ本棚の間も見たが東雲の姿はなかった。


(……巻かれたか)


 馴染みの店なら従業員用の出入り口を知っていた可能性がある。おそらくそこから出て行ったに違いない。だからといって、いまから裏口に回っても見つけるのは難しいだろう。何度も待ち伏せし、そのたびに巻かれてきたアルバートには東雲を追いかけるのがいかに難しいか身に染みてわかっていた。


(だが、ここまでされると何がなんでも知りたくなるというもの)


 おそらく東雲は匂いに関する何かを知られたくないと思っている。なぜかはわからないが、それを知ることができれば彼にもっと近づけるのでははないだろうか。そう考えたアルバートの口元が楽しげに微笑んだ。


(やはり追いかけられるよりも追いかけるほうが性に合っている)


 なにより、よく知りもしないご令嬢方の相手をするよりもずっと難解でおもしろい。


「いっそ毎日待ち伏せしてみるか」


 思わず口をついて出た言葉だったが、翌日からアルバートは実行に移すことにした。

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