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1-3

「やぁ」

「……またですか」


 骨董店から出てきた東雲が大きなため息をついた。それを気にすることなく、微笑みを浮かべたアルバートが右手を軽く挙げながら東雲の前に立つ。

 そろそろ夏本番だというのに、アルバートは三つ揃えのスーツをビシッと着こなしていた。どこから見ても嫌味なくらい似合っている長身の男に、もはや気遣いはいらないと言わんばかりに東雲の眉間に皺が寄っていく。


「まさかとは思いますが、色男さんは僕を追いかけ回しているんじゃないでしょうね」


「とんでもない」と言いながら微笑む異国人を金縁眼鏡がちろっと見上げた。感情を読み取ることは難しいものの明らかに面倒くさいと言いたげな表情をしている。それでも東雲は何も言うことなく、いつもどおりスタスタと歩き出した。それに片眉をひょいと上げたアルバートも寄り添うように隣を歩く。


「わざわざ女王陛下が治める国からやって来たというのに、しがない物書きを追いかけ回してどうしたいんです?」

「わたしがどこから来たのか、よくわかったな」

「顔立ちと雰囲気、それに服装でなんとなく」

「そんなに観察してくれているとは嬉しい限りだ。そのまま友人になってくれると、なお嬉しいんだが」

「そんな冗談を信じるとでも?」

「本気だと何度も言っているのに信じてもらえないとは悲しいな」


 わざとらしくため息をつく異国人には目もくれず、東雲は相変わらず袴の裾を揺らしながらスタスタと動き続けている。そんな東雲の態度が気にならないのか、アルバートも同じ歩調で隣を歩いた。

 こうして二人連れ添って歩く様子は、いつしかこの街で有名になりつつあった。いまもすれ違う人たちがチラチラと視線を向けている。


(金髪碧眼のわたしは目立つだろうからな)


 もしやそのことが気に障っているのだろうか。そんな考えが過ぎりながらもアルバートの長い足が止まることはない。

 ガーデンカフェの事件現場でたまたま居合わせた二人は数日後、街中で偶然再会した。さらに数日経つと毎日のように顔を合わせるようになり、今回が十七回目の遭遇になる。

 東雲はあまり出歩くほうではない。出かける先も決まった場所ばかりで、異国人が何度も訪れるような場所でもなかった。それなのに頻繁に顔を見るようになった異国人に東雲は少しばかり辟易していた。


「僕には追いかけ回されているようにしか思えないんですがねぇ」

「気のせいじゃないか?」

「そうですかねぇ。一昨日(おとつい)は二度、昨日は三度もお目にかかっている。そんな偶然があるとは思えないんですがねぇ」


 東雲の言葉に、アルバートは内心「やり過ぎたか」と少しばかり反省した。


(こういうことは不慣れだからか加減がわからないな)


 東雲の言うとおり、アルバートは意図して東雲の前に姿を現していた。そんなことができるのも、友人であり従者でもあるトムことトーマス・ブラウンが優秀だからだ。

 偶然再会した日、ホテルに戻ったアルバートは夜のパーティに顔を出す代わりに東雲のことを調べるようにトムに頼んだ。「何だってあんな男のことを」と言いながらもきっちり調べ上げたトムは、東雲の住まいや仕事、作品を載せている雑誌から贔屓にしている骨董店や古書店まで報告書にしたためた。「シノノメ」を「東雲」という漢字で書くことも報告書で知った。「名前すら興味深いな」と、ますますアルバートが興味津々になったのは言うまでもない。

 それらの情報を元に歩き回ったアルバートは、東雲が決まった時間に出歩いているらしいということに気がついた。それ以来、偶然を装っては待ち伏せをくり返している。


(おかげで物を見るような無機質な目が、すっかり邪魔者を見るような眼差しに変わったが)


 本来なら悲しむべき変化なのだろうが、わずかに感情が見えるようになったことがアルバートは嬉しくて仕方がなかった。まるで飼い始めた犬の興味がようやく自分に向いてくれたような妙な達成感まである。


(いや、東雲さんは犬ではないが)


 そんな失礼なことを思いながら、諦めたように隣を歩く男に視線を向けた。

 相変わらずの袴姿に金縁眼鏡を掛け、長い黒髪は背中で一つに結ばれている。この国では珍しくない格好だというのに、見るたびになぜか引っかった。二十代にしか見えないのに三十六だというのが信じられないからかと思っていたアルバートだが、それにしてはやけに気になって仕方がない。


(気になるというより違和感というほうが近いか)


 しかし、何に違和感を抱いているのか自分でもわからなかった。たしかに感じるのに明確にならないせいか、気がつけば東雲のことばかり思い返している。「これではまるで恋する乙女のようだな」などと思いながらアルバートが前方に視線を向けたときだった。


「きゃあ!」


 正面の通りから悲鳴が聞こえてきた。わぁわぁと何人もの人が騒いでいる声がする。視線を向けると、ちょうど通りがぶつかる道の先に人だかりができているのが見えた。


「おい、人が倒れたぞ!」

「口から泡を吹いてるじゃないか!」

「きゃぁあ!」

「誰か警察を呼べ!」

「いや、医者が先じゃないか!?」


 悲鳴と怒号が入り混じる騒ぎにアルバートが眉をひそめた。その隣で東雲がクンと鼻を鳴らすような仕草をする。


「東雲さん?」


 アルバートの声が聞こえないのか、はたまた無視しているのか、東雲は返事をすることなくスタスタと騒ぎのほうへ歩き出した。アルバートが慌てて後をついていくと、そこはたくさんの露店がずらりと並ぶ通りだった。


(ここはたしか有名な寺院に続く参道だったか)


 寺院の名前は何だったかなと考えている間にも、東雲はスタスタと人だかりの中心へ向かっていく。「ちょっとすいませんよ」と言いながら人を掻き分け、最前列にたどり着いたところで「男が倒れていますねぇ」と口にした。


(病人か?)


 東雲の後をついてきたアルバートは単純にそう思った。人垣の中央はぽっかりと空いていて、そこに濃紺色のスーツを着た男性が倒れている。革靴の近くに落ちているのは串団子で、食べている途中だったのか串の下のほうに一つだけ白い団子が残っていた。

 男性から少し離れたところに洋装の女性が立っている。どうやら男性の連れのようだが、目の前の状況に混乱しているのか話しかけられても呆然と立ち尽くしているばかりだ。


「病気で倒れたのか?」


 アルバートの問いかけに「いいえ、毒だと思いますよ」と東雲が答えた。


「毒? どういうことだ?」

「幸い命はあるようですが、毒を口にしてしまったんでしょうね」


 男性を見ると、よほど苦しいのか表情は歪み口元が濡れている。地面に転がってもなお喉を掻きむしりながらゲェゲェと嘔吐をくり返す様はたしかに毒だと言われて納得できるものだった。吐瀉物にわずかに赤色が見えるのは血が混じっているからだろう。周囲に集まった人々も男性の様子に恐れをなしているのか、誰も近づこうとしない。


「この間のカフェと同じということか」

「さて、カフェのときは誤飲だったんでしょうが今回はどうですかねぇ」

「まさか毒を盛られたのか?」


 驚いて東雲を見るが、男を見ている横顔からは相変わらず何の感情も読み取れない。それがアルバートにはかえって真実を語っているように思えた。


(まさか、こんな短期間で二度もこんな状況に出くわすとは)


 二件とも自分には関わりない出来事だが、次は自分かもしれないとアルバートは眉をひそめた。その隣でまたもや東雲がクンと鼻を鳴らしている。ちらっと横目で見れば、まるで犬のようにヒクヒクと鼻が動いているのが目に留まった。

 どうしたのだろうかと見つめていると、後ろから「東雲さんじゃないか」という声が聞こえてきた。


「これは天野さん。えらくお早いお着きで」

「ちょうどこの先に出張っていたんだ。帰ろうと仲見世を通ってたら悲鳴が聞こえたんで、飛んで来てみればこの騒ぎというわけだ」


 人混みを掻き分けて現れたのはカフェの事件現場に現れた天野だった。わずかに皺が寄ったスーツが、くたびれた公僕らしさとベテランの匂いをかもし出している。


「今日もまた現場に居合わせるとは、やっぱり事件と縁があるんだな」

「よしてください。そんな縁を結びたいなんて、これっぽっちも思っちゃいないんですから」

「それじゃあ、事件のほうが縁を結びたがってるってことか」


 にやりと口元を歪めた天野が「おっと、あのときの異国人さんも一緒か」とアルバートを見た。


「そういや、この辺りで書生と異国人が仲良く歩く姿が噂になっているって聞いたんだが、おまえさんたちのことだったのか」

「僕は書生じゃありませんよ。ついでに言えば仲良くもしていませんし、連れ立っているわけでもありません」

「つれないな。わたしは仲良くしたいと思っているのに」


 アルバートの横やりに珍しく小さく睨んだ東雲が「本気にしないでくださいよ」と天野に釘を刺す。


「わたしは本気だ」

「ほう。異国人ってのはなかなか情熱的なんだな」

「ちょっと天野さん。色男さんも、そういう言葉はお嬢さん方に言うもんです」

「わたしが仲良くしたいのは東雲さんであってレディたちじゃない」


 二日前のパーティを思い出したアルバートは盛大に顔をしかめた。あのときは三人の令嬢に囲まれて心底うんざりした気持ちを思い出す。アルバートが苦虫を噛みつぶしたような顔になったところで天野が「あっはっは」と笑い声を上げた。


「おもしろいじゃないか。こういう御仁と付き合えば、東雲さんの筆も乗るんじゃないか?」

「天野さんまで何を言い出すのやら」

「まぁまぁ。あぁ、来たな。おおい、こっちだ!」


 天野が大声を上げると、人混みを掻き分けて制服姿の警官が複数人現れた。中には担架を持った警官も混じっている。

 担架を地面に置いた警官三人がなんとか男性を乗せようと奮闘するが、暴れる男性はなかなかおとなしく乗ってくれない。それでもどうにか乗せることに成功し、落ちないように一人が脇につきながら近くの病院へと担いでいく。それを見送った天野が「ところで今回の件、どう思う?」と東雲に問いかけた。


「毒でしょうねぇ」

「また誤飲とかそういうやつか?」

「いいえ、今回は故意に毒を使ったんじゃないですかね」


 そう告げた東雲が「あれが原因でしょうね」と落ちている串団子を指さした。

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