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「まさか、全員の肉料理に毒が盛られているということか?」
「おそらくは」
予想もしなかった答えにアルバートは驚いた。会食ということで食事に毒を盛られることは想定したものの、全員分に仕込むなど普通では考えられない。
(そもそも、そんなことをしたら大変なことになってしまう)
誰か一人の食事に毒が仕込まれていても大事件だ。名のある料亭のようだから店の信用にも関わるだろう。父親が懇意にしている店だと綾子は話していたが、そんな店に迷惑がかかるとは考えなかったのだろうか。
(しかも全員ということは……)
綾子自身も死んでしまう可能性があったということだ。振り向いてもらえないことを不満に思っていたとはいえ、はたしてそこまでのことをやるだろうか。そこまで考えたアルバートは、祖母に聞いた「心中物」という物語を思い出した。
この国を侍が支配していた時代、そういった人形劇や演劇が人気だったと聞いたことがある。物語の大筋は本国にもある珍しくないものだったが、それを人形劇にしたところにアルバートは興味を持った。どんな様子か知りたくて人形劇の写真を探したこともある。
(ああいった物語と同じことをレディがやろうとしたとして、なぜ東雲さんの命まで奪う必要がある?)
困惑しながら料理を見た。東雲が箸を付けたのは肉料理だけのようで、ほかの料理は手つかずのままだ。その状況に「もしかして最初から肉料理を疑っていたのか?」と考えた。
「東雲さんは始めから兎肉の料理が怪しいと思っていたのか?」
問いかけに東雲が「可能性としては一番高いかと」と答えた。たとえそうだとしてもほかにも疑問が残る。
「しかし料理は店の人間が作ったものだろう? この部屋に運んで来たのも従業員だ。毒を仕込む隙なんてなかったはずだ」
アルバートの疑問にちろっと視線を寄越した東雲が「兎の肉そのものが毒だったんですよ」と答えた。
「なんだって?」
「おそらくオオカミナスビを食べさせた兎の肉を使ったんでしょう」
東雲の言葉に綾子が息を呑んだ。驚く気配を感じて視線を向けると、口元をハンカチで覆いながら目を見張っている。
(当たりということか)
だから東雲は「僕の膳にだけ仕込んだというのには疑問が残りますが」と口にしたのだ。調理の過程でも運ぶ途中でもなく、兎の肉自体に毒があるなら全員の料理に毒が入っていると考えたのも納得がいく。もしかして、それをたしかめるために敢えて口にしたのだろうか。
(たしかに東雲さんなら口にするだけで毒草の種類もわかりそうだが……)
そう思いながらも「なんて無茶な」と眉を寄せた。
「そのオオカミなんとか、というのは毒草なのか?」
「異国ではベラドンナと呼ばれている植物ですね。ほかの果実と間違えて黒っぽい実を食べて中毒を起こした、なんて話が異国にもあったと思いますが」
「わたしは知らないが、そういう毒草があるのだな」
「遠い昔は砂漠の国の女王が化粧の一つとして使っていたそうですよ。その後も瞳を大きく見せられるからと、美しさを追究する異国の女性たちの間で人気だったそうですが……あなたのほうがそういったお国で育ったのだから詳しいのでは?」
呆れたようにアルバートを見る黒目はまだ少し大きい。まるで黒真珠のような美しい輝きに思わず見入ってしまったアルバートは、「なるほど、これは美しいな」とその効用に感心した。
「しかし、化粧に使われるくらいならそこまで危ない毒とは思えないんだが」
「残念ながら、オオカミナスビは口にすれば死に至る可能性がある植物です」
「それほどの毒草を兎が食べたのか? いや、それではおかしいだろう。毒で死んだ兎の肉を料理人が使うとは思えない」
「あぁ、この植物で兎が死ぬことはありません」
東雲の説明に「なぜ」と掠れた声が重なった。視線を向けると、綾子が「どうして知っているのか」と言わんばかりの目で東雲を見ている。
「兎は死なないが、毒草を食べた肉を人が食べると死んでしまうということか」
アルバートの問いに東雲が頷いた。
「毒となった兎の肉で暗殺を試みた、という大陸での昔話を聞いたことがあります。まぁ昨今ではそんな面倒なことはしないでしょうがね。兎を介する手間を考えれば直接毒を仕込んだほうが早い。それにいまは味や匂いで勘づかれることのない毒もありますし」
毒を使った暗殺という言葉にアルバートは苦々しい気持ちになった。何度も姉に毒を盛られてきたアルバートにとって、勘づかれることのない毒というのは身近に感じてきた脅威そのものだからだ。
「さて、そうすると下男が主人を思って僕を刺した、という話も疑わしいと思わざるを得なくなりますが」
金縁眼鏡がはす向かいに座る綾子をじっと見る。口元をハンカチで覆ったままの綾子も、負けじといった雰囲気で東雲を見返していた。
「刺されて死ねばそれでよし。死ななければ次の手を、といった感じでしょうか。そもそも下男が成功するとは考えていなかったのではありませんか? だから兎に毒草を食べさせ、肉の準備をしていた。男が成功すれば兎のほうは処分すればいいだけですからね」
「わたくしに濡れ衣を着せるおつもりかしら」
綾子の反論に、東雲は表情を変えることなく言葉を返す。
「もし本人の強い意志で行われたのなら、僕はここにこうして座ることはできなかったでしょう。しかし男は刺す瞬間までためらった。いかに主人の命令とはいえ殺人は大罪。成功しても捕まらない保証はない。そうなったとき、はたして主人は自分を守ってくれるだろうか……そうした迷いが刃先をためらわせ致命傷に至らなかったのですよ」
くいっと金縁眼鏡を中指で押し上げながら「おかげ様で、いまもこうして生き延びています」と続けた。
(うまいな)
アルバートは密かに感心した。傷口を見たとき、相当深いものだということはすぐにわかった。あれがためらいながら刺したものだとは到底思えない。しかし、それではこうして元気でいる説明がつかない。
(そして、この嘘は決して露見しない)
下男はとっくに金を持たされ遠くに逃げていることだろう。万が一捕まりでもすれば大変だからと帝都から遠く離れた場所で身を潜めているはずだ。そんな下男を探し出してまで真実を聞く手間を綾子が取るとは思えなかった。
(傷は大したことじゃなかったと説明し、同時にレディの心に揺さぶりをかけるということか)
さて、どう反論するだろうかと綾子をじっと見る。
「……たしかに、あの男は失敗しました」
「さて、傷は負いましたから完全な失敗ではなかったと思いますが」
「でも、あなたはこうして生きています。そして再びアルバート様と仲良く出歩いていらっしゃる」
強い眼差しが今度はアルバートを射貫くように見た。その瞳に「あぁ、そういうことか」とアルバートは悟った。
(The greatest hate springs from the greatest love……何とも厄介な感情だ)
東雲が言っていた「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉を思い出した。どうやらこの国ではよく使われる言葉らしく、いくつかの雑誌や小説でも目にした言葉だ。
(わたしへの思いは、それほど強かったということか)
だからこそ、血に濡れたハンカチを後生大事に持ち歩くようなまじないにもすがったのだろう。それでも願いは叶わず、それどころか書生らしき男との噂はますます広がっていく。東雲が言ったように綾子がつけ回していたとすれば、二人並んで歩く姿を何度も見たはずだ。
(その結果、慕う気持ちが憎しみへと変わってしまったということか)
思う相手に気づいてもらえないのなら邪魔な人物を排除すればいい。しかし命じた下男は失敗してしまった。以前と変わらない様子で出歩く東雲の隣には相変わらず思い人が寄り添ったままでいる。
その光景を見たとき、綾子の気持ちに変化が起きたに違いない。だから今回の会食を企てるに至った。ところがそれも失敗してしまった。
(しかし取り乱すことも激昂することもない)
本来、殺人というとんでもないことを暴かれれば必死に弁明したり逃げ出そうとしたりするはずだ。ところが綾子はじっとアルバートを見つめ続けている。
(本来は思慮深いレディなのだろうな)
それゆえに残念で仕方がなかった。
「今回のことはわたしの胸にしまっておくことにしよう」
それが最善だとアルバートは判断した。
「嘉村卿に伝えることもしない。わたしは日本という国が好きでやって来た、ただの旅行者だ。大好きなこの国で揉め事を起こしたいとは思っていない」
そう言ってアルバートが立ち上がると、倣うように東雲も立ち上がった。唇を噛み締めた綾子は、ただ強い眼差しでアルバートを見つめ続けている。その眼差しに不可解さと不気味さを感じたものの、二度と見ることはないだろうと席を離れた。
「残念だが、失礼するよ」
静かにそう告げると、アルバートは東雲を伴い静かに部屋を後にした。




