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鶴のやという店は、外観を見る限り伝統的な趣のある料亭だった。日本に来てから二度こうした店に来たことがあるアルバートだが、どうにも畳に座るという文化には馴染めそうにない。
「畳自体は素晴らしいんだが」と思いながら出入り口で靴を脱ぎ、着物姿の女性のあとをついていく。そうして案内された部屋には立派なテーブルと椅子が並んでいた。絨毯の下は畳のようだが、異国人に合わせて洋式の部屋をあつらえたのだろう。
「なるほど、絨毯にテーブルと椅子か」
「最近はこの辺りにも増えたと聞いていましたが、ここもそうみたいですねぇ」
後ろをついてきていた東雲が「何やら赤坂辺りを思わせますねぇ」と言いながら、さっさと椅子に座った。それを見た洋装の男性従業員が一瞬眉をひそめたものの、何か言うことはなくアルバートが座るべき椅子の背に手を添える。
(わたしがここに座るとして、隣は東雲さんじゃなかったということだろうか)
果たして従業員はどこに東雲を案内するつもりだったのだろう。そんなことを考えながら席に着く。
(座席は主催者の思惑と招待された側の身分にあわせて決めるものだが……)
本国の会食では事細かに決められていた。ストリング家でも訪問先でも自分が次期子爵として見られていることは座席を見れば一目瞭然で、そのたびに将来を突きつけられているような気がしてうんざりした。同時に姉の怒りも年を追うごとに膨れ上がり、こうして遠い東の果てに来ても命を狙われる羽目になっている。
長方形のテーブルには六つの椅子が用意されていた。元々六人で会食する部屋なのだろう。東雲が座ったのは廊下に近い手前の席で、アルバートはその隣に座っている。おそらく向かい側に招待した綾子が座るのだろうが、もしかしたら向かい側が東雲で隣が綾子だったのかもしれない。
(まぁ、あのレディがうるさく言うとも思えないが)
それに綾子のほうから詫びたいと言って用意した会食だ。詫びる相手に文句を言うことはないはず。そう思いながらアルバートが廊下の先に見える庭園に視線を向けたときだった。
「アルバート様」
豪華な菊花模様をあしらった着物姿の綾子が現れた。パーティでも洋装ばかりなのに珍しいなと思いながら笑顔を向け、ちらりと隣を見る。相変わらず東雲は無機質な表情のままで、そんな東雲に綾子が視線を向けることはない。
「よかった。もしお出でにならなかったらどうしようかと不安でしたの」
「美しいレディを悲しませるのは紳士のすることじゃない」
微笑みながらの返事に「まぁ、アルバート様ったら」と言いながら綾子が頬を染めた。期待させるのは本意ではないが、どうしても叩き込まれた外面のよさが出てしまう。内心そんな自分にため息をつきながら、アルバートの興味はこの先に起きるであろうことに向いていた。
(さて、何が起きるかな)
東雲はここで何かが起きると考えている。アルバートもそうに違いないと思っていた。わかっていながらこうしてやって来たのは隣に東雲がいるからだ。
これまでの事件現場を思い返すと、何か起きたとしても興味深い展開になることは間違いない。そう考えるだけで妙に気分が高揚した。自分の身に危険が及ぶかもしれないとわかっていても好奇心のほうがそれを上回る。
(やはりわたしは少し変わっているのだろうな)
トムが聞けば「少しじゃないだろ!」と叱られそうだが、今日のこともトムには話していない。話せば確実に止められるからだ。
「今日は特別に兎の肉を用意させましたの」
アルバートの向かいに座った綾子がそんなことを口にした。
「兎の肉?」
「はい。父が特別な餌で育てている兎で、我が家では体調が思わしくないときに食べる料理ですの。『この肉を食べればどんな病もたちどころに治る』というのが父の口癖ですわ」
本国にも兎肉を使った料理はあるが、滋養強壮の話は聞いたことがない。「そういえば、侍の王が新年を迎えるときに食べていたと聞いたような」と、日本人の祖母が話していたことを思い出した。それもあっての兎の肉なのかもしれない。
(まったく興味深い国だ)
この国には大勢の神がいて物には魂が宿り、しかも鬼という怪物が営む店まで存在する。「なんておもしろい国なんだ」とますます心躍らせるアルバートの前に大きな漆箱が置かれた。
従業員が箱の蓋を開けると、中には料理を盛った色鮮やかな小鉢がずらりと並んでいる。続けて汁物とワイングラスが並べられ、グラスにはほんのり黄味がかった白ワインが注がれた。
すべての準備を終えた従業員たちが下がると、部屋は三人だけになった。
「日本の食事にワインか」
「先日、父が屋敷にお招きした異国の方がこうしたお食事をお好みでしたの。その方はこのワインが大層お気に召したようですけれど、もしお口に合わないようでしたら別のものを用意させますわ」
「あぁいや、これで結構」
横目で見た東雲は相変わらず何を考えているのかわからない。「今日もレディは東雲さんを見ようとしないな」と思いながら、グラスを手に取り一口含む。
(悪くない味だ)
こうしてワインが飲めるのも、多くの異国人がこの国を訪れるようになったおかげだろう。だが、このワインは本国で飲み慣れたものとは違う。おそらく欧州の別の国からもたらされたものだろう。本国のものではないワインが広まるのは商売上かんばしくはないが、より美味しいものが選ばれるのは仕方がないことだ。そこは商人が努力すべき部分であり、今後改善すべきところでもある。そんなことを考えながら箱の中の料理を見た。
綾子は薬膳料理だと言っていたが、アルバートは薬膳料理なるものを知らない。見た目は以前食べた日本料理に似ていて、目にする限りおかしなところはなかった。
(何かが起きるとすれば料理だと思っていたんだが……)
アルバートの胸ポケットには念のための解毒薬が入っている。いずれもトムの兄たちが本国で調合したもので、複数の毒に対応できるようにいくつかの薬包に分かれていた。もし料理に毒を盛られたとしても大抵はこれでなんとかなるだろう。
(やれやれ、まるで姉上と食事をするときのようだな)
しかし憂鬱な気持ちはなかった。やはり隣に東雲がいるからだろうか。そんなことを思いながら器用に箸を使い、豆腐らしきものを口に運ぶ。続けて説明のあった兎の肉とおぼしき料理に箸を伸ばしたときだった。
「けほ、げほっ」
隣から咳き込む声がした。驚いて視線を向けると、東雲が口元を押さえながらさらに二、三度と咳き込む。「東雲さんのほうに毒を盛られたか」と胸ポケットに手を入れたところで、東雲が「大丈夫だ」と言うように手で制した。
「けほ……。んんっ、あぁ大丈夫、大丈夫です」
「しかし、」
口元を押さえていた手のひらを覗けば、わずかに血痕のようなものが見える。慌てて「大丈夫じゃないだろう」と言うアルバートに「いえ、大丈夫です」と東雲が冷静に答えた。そうして口直しと言わんばかりにワインをクイッとあおる。
「お騒がせしました。いや、予定どおりといったところでしょうかね」
金縁眼鏡が向かいに座る綾子を見た。つられてアルバートも視線を向けると、口元をハンカチで押さえた綾子が東雲を見ている。驚いた表情はしているものの、恐れや心配しているといったふうには感じられない。その様子にアルバートは「やはり料理に毒を仕込んだのだな」と確信しながら再び東雲を見た。
「東雲さん、本当に大丈夫なのか?」
「あぁ、はい。僕の体はそういう作りですから」
傷だけではなく毒も治せるということだろうか。たしかに怪物ならあり得そうだが……そう思いながらも急変を見逃すまいと東雲の観察を続けた。
咳き込んだからか、金縁眼鏡の奥の黒目が少し大きくなっている。それがなんとも言えない艶やかさに感じられ、思わず血を啜ったときの東雲を思い出してしまった。「こんなときに何を思いだしているんだ」と呆れていると、東雲の視線がちろっとアルバートに向く。
「刺されたことと言い今回のことと言い、噂話が原因と考えるのが妥当でしょうかねぇ」
「噂話?」
「僕を狙う理由ですよ」
再びアルバートが綾子を見た。そこには先ほどとは違い、明らかに東雲を睨みつけるような綾子の顔がある。
「大方、界隈で広がっている噂話を信じて僕を恋敵とでも思ったんでしょう。それなら手っ取り早く消してしまえばいい、そう考えたとしてもおかしくありません」
「だから東雲さんの料理に毒を仕込んだということか?」
東雲の前にある箱の中を見た。いずれも美しい色合いで毒が仕込まれているようには見えない。一口分欠けているのは肉料理だけで、それに毒が入っていたのだろう。
「兎の肉を使った料理に毒を仕込んだのか」
「さて、僕の膳にだけ仕込んだというのは少々難しいのではと思いますが」
東雲の言葉にアルバートは眉を寄せ、綾子は口元を押さえるハンカチをギュッと握り締めた。




