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朝夕はわずかに涼しくなってきたものの、夏の終わりだというのに日中は相変わらずの暑さが続いている。アルバートは「この国の夏はまとわりつくような湿っぽさがよくないな」とため息をつきながらタイを少し緩めた。
いつもなら三つ揃えをきっちり着こなすところだが、少しばかり苛々した気持ちと焦りがあるからか上着を着るのも煩わしい。そう思い、上着はホテルに置いてきた。
(時間帯だけでなく曜日も変えたか)
歩きながらそんなことを考える。というのも、ここ十日ほど東雲を見つけることができないでいたからだ。「迷惑なら行動パターンを変えればいいのに」とは以前アルバートが口にしたことだが、実際にそうされると妙に苛立ってしまう。それでも辛抱強く曜日や時間を変えて東雲の立ち回り先を見回り続けた。
今日は週に二度は必ず訪れている骨董店を確認することにした。曜日は違うが「もしかして」と思い、かれこれ一時間ほど店先を見ているが訪れる人はいない。
(念のため中を覗いてみるか)
古書店のように従業員用の出入り口を使って出入りしているのかもしれない。そう考えたアルバートは初めて骨董店の中に入った。
(……やはりいないか)
思ったより明るい店内に東雲の姿はない。奥に従業員らしき若い男がいるだけで、ほかの客もいなかった。
「おや、もしやあなたは噂の異国人さんでは?」
先に声をかけてきたのは従業員だった。シャツに着物を羽織り下も袴姿というのは東雲と同じだが、東雲よりも若く華やかな容姿をしている。
見るからに異国人という風貌のアルバートに話しかけてくる日本人は少ない。客商売とはいえ日本語で話しかけてくるというところに興味がわいた。「こういうのを怖いもの知らずと表現するのだろうな」と思いながら返事をする。
「噂というのは?」
「これは失礼しました。この界隈では有名な噂話でしたので、つい」
「あぁ、あの話か」
アルバートと東雲が恋仲らしいという噂はどうやらまだ流れ続けているらしい。「恋仲どころか友人関係すら築けていないんだが」と思いながら男を見る。すると男のほうもアルバートをじっと見ていた。
「なるほどこれは……ふむふむ。東雲さんがいつもの血にご不満なのも頷けます」
男の言葉にアルバートの片眉が跳ね上がった。
(いま、血と言ったな)
男はにこりと愛想よく笑っているが、何か思うところがあって「血」と口にしたに違いない。アルバートが訝しむような表情を浮かべたからか、男が「これは失礼しました」と頭を下げた。
「わたくし、この店を切り盛りしております若彦と申します」
「店主だったのか」
「よく驚かれます。まぁ店主といっても半分は道楽のようなものでございまして、こういった類いの商売にはとんと向いておりませんが」
骨董に詳しくないアルバートだが、店内にはそこそこの品が揃っているように見えた。ストリング家が支援する会社なら商談に持ち込みそうだなと、そばにある壺を見る。
「おっと、そちらは安土桃山の終わり頃に作られた壺でございますよ。いまじゃなかなかお目にかかれない逸品と自負しております。さすがは異国人さん、お目が高い」
「いや、買うつもりも予定もない」
「あぁ、はい、存じております。異国人さんがお探しなのは東雲さんでございましょう?」
若彦と名乗る男に視線を戻した。にこりと笑っているが、いわゆる営業用の顔に違いない。人当たりのよさそうな表情からは東雲の名前を出した意図がわからず、探るような眼差しを向ける。
「そう睨まないでくださいまし。東雲さんが来なくなった理由は異国人さんではないかと、少し前から思っていたところでございましてね。それでつい声をおかけしてしまったというわけです」
「なるほど、時間や曜日を変えたのではなく来なくなっていたのか」
「おやまぁ、もしかしてこちらに通い詰めておられましたので?」
にこりと笑う顔が段々と胡散臭く見えてきた。男の言葉には答えず静かに様子を伺う。
「いえね、手前としましても、そろそろ体がもたなくなる頃ではと心配していたところなんでございますよ」
「体がもたない? どういうことだ?」
「ここに来ないということは、東雲さんはしばらく血を口にしていないということでございましょう? いくら異国人さんの稀な血を口にしたとはいえ、そう長く持つもんじゃあございませんからねぇ」
どうやら若彦という男は自分よりも東雲のことをよく知っているらしい。話の端々からそう感じたアルバートの目がすぅっと細くなった。まるでおもちゃを取られた子どものような感情がわき上がったことに「馬鹿馬鹿しい」と呆れながらも、苛つく気持ちを止めることができない。
そんなアルバートの様子に気づいたのか、若彦が「まぁまぁ」と宥めるように右手を動かした。
「誤解なさらないでくださいまし。手前の店は、東雲さんのような方々に新鮮で安全な血をお売りするのが生業なんでございますよ」
「……なんだって?」
「血を商売にしている店だと申し上げているんでございます。昨今では自分が口にする血にこだわる物の怪たちも増えておりましてね。おかげ様で、そちらは商売繁盛といったあんばいでございます」
そう言った若彦が棚の扉を開けて小瓶を取り出した。香水でも入っていそうな蓋付き瓶の中には真っ赤な液体が入っている。もしかしなくても血だろうかとアルバートの眉がわずかに寄った。
「いや、まさかな」
「どうされました?」
「話の流れから瓶の中身が血ではないかと思ったが、そんなはずはない」
「なぜそのように思われましたので?」
「人の血を、そうやって商品のように扱えるはずがないからだ」
東雲の「管理された血」という言葉を「調理された血」だとアルバートは思っていたが、小瓶の中身はどう見てもそのままの血だ。赤い液体が本当に血だったとしても、人の血は時間が経てば変色し固まってしまう。それなのに小瓶の中身はゆらゆらと揺れて鮮やかな赤色をしていた。
「おやまぁ、異国人さんだというのに何をおっしゃっておられるのやら」
小瓶をゆらゆらと揺らしながら若彦が小さく笑う。
「血を固めることなく遠くに運ぶ方法を編み出したのは異国人さん方じゃありませんか。人の世では、遠い場所からでも血を固まらせることなく運ぶ技術があると聞き及んでおります。もちろん手前どもの商品はそれとは少々違う手順を踏みますが、大いに参考にさせていただいておりますよ」
若彦の話に「そういえば」と過去に目にした新聞記事を思い出した。
どのくらい前か、南米大陸の医師が血を固まらせることなく運ぶ技術を見つけたと本国の新聞で大々的に報じられているのを読んだことがある。おかげで本国での医療技術も大きく変わったのだとトムが話していたのを思い出した。
「何でも血の種類も判別できるのだとか。おかげで、やれ何とかという型のほうがまろやかだとか、やれ何とかという型は精力がつくだとか、手前どもへの要望も複雑になってきておりまして」
「血の型など味に大した差はございませんのにねぇ」と若彦がため息をついた。
「なるほど、店主が血に詳しいことはわかった。血を売ることを商売にしていることも理解した。つまり店主は東雲さんが鬼だということも知っている、そういうことか?」
「はい、存じております。まぁ手前も鬼の一種ですから、どちらかといえばお仲間といったところでございましょうか」
思いもよらない言葉に、アルバートは碧眼を見開いた。
「きみも鬼なのか?」
「はい。と言ってもただの小鬼、天邪鬼という人の世に棲まうちっぽけな存在でございます」
そう言ってにこりと笑う若彦に心底驚いた。まさかこんな人の多い場所に店を構えて商売をしている怪物がいるとは思わず言葉が出てこない。
「おや、東雲さん以外の物の怪を見るのは初めてでございますか? そりゃあ失礼しました。この国にはそこらじゅうにおりますから、大して珍しくもございませんよ」
「……そんなにいるのか?」
思わず問いかけたアルバートに「えぇ、おりますとも」と澄ました顔が返事をする。
「と申しましても、東雲さんのような強く美しい鬼はとんと数を減らしてしまいました。いまの人の世は手前どもには大層棲みづらく、ほかの物の怪たちも数を減らす一方でございます。国を開いてからというもの、ガス燈だの汽車だの車だの、物の怪にとっては騒がしく棲みにくい世の中になる一方でございますからねぇ」
若彦の話を聞きながら、アルバートは「果たしてここはどこなんだろうか」と思い始めていた。所狭しと並べられた骨董までもが怪物のように見えてくる。「そういえば、日本には物にも魂が宿ると聞いたことがあったか」と祖母に聞いた話を思い出した。
本国ではゴーストが現れるホテルやウィッチがいるという村に行ったことがある。しかし実際にそれらを目にすることはなく、観光客もほとんどはそうした存在を信じていない。もちろんアルバートも純粋に娯楽として楽しんだ。
ところが目の前には自分を鬼だと言う怪物がいる。以前のアルバートなら興味はわいても信じることはなかっただろう。しかし、いまは「そうに違いない」とすんなり受け入れることができた。
(東雲さんという怪物を知っているからな)
鬼という怪物は間違いなく実在する。そう思うと、まるで自分が怪物小説の中に紛れ込んだような気がしてきた。思わずぶるりと背中を震わせながら、それでも店に入ってよかったと思った。
(東雲さんは血を手に入れるため、定期的にこの店に通っていた)
そして、その血をしばらく口にしていないこともわかった。人間の食事とどの程度違うのかわからないが、おそらく空腹状態に違いない。「僕はすっかり貧血気味だ」と話していた東雲を思い出し眉をひそめる。
「邪魔をしてすまなかった。あぁ、きみのことは誰にも口外しないから安心してほしい」
「承知しております。人嫌いの東雲さんが再びそばに置くようになった御仁です。それだけ信用しているということでございましょうからね」
若彦の「再び」という言葉が引っかかった。どういうことか問いかけようとしたが、それより先ににこりと微笑んだ若彦が小瓶を差し出しながら言葉を続ける。
「こちらの血、持っていかれますか? 昨夜採ったばかりですから鮮度は抜群、もちろん身元のしっかりした人から採取した安全印でございます。こちらなら東雲さんも安心して口にすることができますが?」
「……いや、遠慮する」
さすがに血の入った小瓶を持ち歩くわけにはいかない。万が一誰かにぶつかり落としでもしたら「やっぱり妖術使いだ」と大騒ぎになるだろう。
「そうでございました。異国人さんの血の前では、どんな新鮮な血も霞んでしまうのでしたね」
「万が一ご入り用の際にはお安くしときますよ」という声に曖昧に頷きながら、アルバートは店を後にした。
通りに出ると、最後のひと鳴きと言わんばかりの蝉の声が忙しなく耳に入ってくる。いつもならうるさく感じるところだが、シャンシャンと響き渡る蝉の声に思わず肩の力が抜けるのを感じた。
(まさか蝉の声にホッとさせられる日が来るとは)
本国にも蝉はいるが、これほどうるさく鳴いて自己主張する種類はいない。そのせいか初めて聞いたときは目眩がしたほどだ。それなのに、いまは蝉の鳴き声がいつもの日常だと感じさせてくれるからか気分が落ち着く。
(……東雲さんの家に行ってみるか)
リストにあった住所は完璧に覚えている。付近まで行ったことがあるから道を間違えることもない。それでもこれまで訪ねようとしなかったのは、東雲が許容できる境界線に触れるのを恐れていたからだ。
天野だけでなく若彦も東雲は人嫌いだと言っていた。なにより東雲は怪物だ。人であるアルバートが踏み込んでいい範囲は人間より判断が難しい。そこを踏み越えてしまえば東雲は姿を消してしまうかもしれない。最後に見た後ろ姿に、アルバートはそう感じていた。
(それでもわたしはきみに会いたい)
奇妙な鬼の店主の「体がもたないだろう」という言葉を思い出したアルバートは、やや歩調を早めながら東雲の住まいへと向かった。




