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「毒を持った茄子? そりゃどういうことだ?」
天野の質問に東雲が庭先を覗き込んだ。そうして「あぁ、やっぱり」と口にする。
「あそこに茄子が植えられていますが、おそらく台木に毒を持つ植物を使ったんでしょう。そのせいで茄子まで毒を持ってしまったというわけです」
アルバートと天野が覗き込むと、たしかに狭い庭先に茄子が植えられていた。濃い紫の肌は艶々としていて、美味しそうな姿でぶら下がっている。
「病害虫なんかに強くするため、ほかの植物を土台に茄子を育てる方法があるんですよ。うまくいけば美味しい茄子がたんと実るんで、こうして庭でやる人もいるようですがね」
「じゃあ、あの根っこあたりの植物に毒があるってことか?」
眉をひそめる天野に「そういうことです」と東雲が頷く。
「おそらくチョウセンアサガオを使ったのでしょう。同じナス科の植物だから継ぎやすいでしょうし、チョウセンアサガオは幕府の頃には鎮痛薬の薬草としてそれなりの量が市中に出回っていたので手に入れるのも簡単ですからね。ただし、毒性が強すぎて“キチガイナスビ”と呼ばれたりもしている代物ですが」
そう言って、またクンと鼻を鳴らした。
「もっと食べていれば興奮状態から精神錯乱に至り、最悪死んでいたかもしれませんねぇ」
「そんなに怖い毒なのか」
「根っこをきんぴらにして食べた人が危うく死にかけたって話もあります。たしか幻覚まで見えたそうですから、うっかり口にするようなものじゃないことだけは確かでしょうね」
東雲の解説にアルバートは感心しきりだった。健康な血を飲みたいためとはいえ、ここまで植物毒に詳しいのは学者並に学んだからに違いない。いっそ物書きよりも植物学者を名乗ったほうがいいのではと思わなくもないが、怪物が学者というのもおかしな話かと思い直した。
「ちょっと、いまの話は本当なのかい?」
亭主と怒鳴り合っていた女房が三人を見ている。どう返事をしたものかと天野が思案している間に、東雲が「十中八九間違いありません」と答えた。
女房はくわっと目を見開いたかと思えば憤怒の表情を浮かべた。それを見る東雲のほうは相変わらず何の表情も浮かべていない。
「あんた、聞いたかい! この茄子はあんたが植えて育てたものだろう! 自分で毒茄子を育てておいてあたしのせいにするなんて、あんたこそどういう了見なんだい!」
「うるせぇ! 俺の茄子が原因なわけあるものか! 大方おまえが何か入れたんだろうが!」
「残念ですが茄子に毒があったのは間違いありません」
冷静な東雲の言葉が亭主の怒りに火を注いだ。
「うるせぇぞ! おまえ、書生みたいな格好してるくせに学者先生気取りか! 何を適当なこと抜かしてやがる!」
「あんたこそみっともない真似はおよしよ! あんた、近所でアサガオをもらってきたって言ってたじゃないか。『これでいい茄子がたんと育つからな』って自慢げに言ってたのを忘れたのかい!」
「うるせぇ、うるせぇ! 茄子に毒なんざありゃしねぇって、育てた俺が言ってんだ! いつまでもくだらねぇことに腹を立ててるおまえが毒を盛ったに決まってる!」
亭主の怒鳴り声に女房がぴたりと口を閉じた。途端に蝉の鳴き声が響き渡り、人垣のほうからヒソヒソとした声も聞こえてくる。
「くだらないってどういうことさ」
先ほどまでと違い、地を這うような女房の声がした。女房の顔を見た亭主はグッと口をつぐみ、わずかに視線を逸らす。
「あんたの浮気は気にするほどのことじゃないって言いたいのかい? 大したことじゃないのに、いつまでも腹を立ててるあたしのほうがおかしいって言いたいのかい?」
「おい、いまここで言う話じゃねぇだろ」
「言い出したのはあんたのほうじゃないか。何度も浮気する亭主に腹を立てる女房は、そんなにくだらないかい? それでも我慢してここまでやってきたってのに、今度は毒を盛ったなんて言われて冗談じゃないよ」
女房が三和土に足を踏み入れた。それにギョッとして身構える亭主には目もくれず、脇を通り過ぎてスタスタと部屋の奥に入っていく。しばらくすると大きな風呂敷包みと鞄を持った女房が出てきた。
「おい、何やってんだ」
「浮気された挙げ句、毒を盛ったなんて疑うような男とは一緒にいられないからね」
「おい」
「あんたもせいせいするだろ? これでカフェの女給だろうが帝劇だか映画だかのモダンガールだろうが懇ろにすればいいさ」
「おいっ!」
亭主の声に答えることなく女房が家を後にした。その様子を見ていたアルバートは「どこの国も似たようなものだな」と、やや冷めた目で女房の後ろ姿を見送る。
(貴族だろうが庶民だろうが浮気はするし、その結果どうなるか考えることもない)
考えなかった結果、自分が生まれた。挙げ句の果てに命まで狙われている。生み落とされた側にとってはとんだ迷惑としか言いようがない。
「東雲さんのひと言がとどめになったなぁ」
天野が「やれやれ」といったふうにため息をついた。東雲のせいではないが、結果的に毒茄子の説明が女房の気持ちに区切りをつけることになったのは間違いないだろう。
「そうですかねぇ。どちらにしても、いずれ同じことになったと思いますよ?」
「まぁ、そうなったかもしれないがなぁ。いや、いっそこのほうがよかったのかもしれないか」
「このあと人情沙汰になられるほうが警察としては困るからな」と天野が苦笑いを浮かべる。それには返事をせず、東雲が「人間でもこうだ」とつぶやいた。
「人でない存在ならさらに相容れないのは明白だというのに」
「どうかしたか?」
東雲の声が聞き取れずアルバートが問いかけたものの返事はない。わずかに瞼を伏せる東雲の姿は普段の様子と違い、やけに愁いを帯びているように見えた。しかしそんな表情も一瞬だけで、すぐにいつもの表情に戻った東雲が天野を見る。
「さて、僕はこれで失礼しますよ」
「あぁ、今回も世話になったな」
「どうでしょうかね。あの夫婦にとっては余計なことだったかもしれませんが」
「元々切れかけの縁だったんだ。東雲さんが気にすることじゃあないさ」
天野に小さく頭を下げた東雲がてくてくと歩き出した。同じように会釈したアルバートも急ぎ足で隣に並ぶ。普段ならそれだけで呆れたような表情を浮かべる東雲だが、いまは何か考え込むようにじっと前を向いていた。
(あの夫婦が気になっているんだろうか)
いや、二人に向ける表情は無機質なもので、ある意味いつもどおりだった。人間味のある怪物だとしても夫婦の諍いに興味はないのだろう。となれば、別の何かを気にしているに違いない。
「東雲さん」
声をかけると珍しく足が止まった。やはりどうかしたのかと様子を窺っていると、金縁眼鏡がちろっとアルバートを見る。
「これ以上、僕を追い回すのはおよしなさい。できれば僕の正体も忘れてほしいところですが、口は堅いようなので思い出にするくらいなら良しとしましょう」
「どちらも難しいな」
「それに恋をしたなんて嘘をつくのもよしたほうがいい」
「まったくの嘘というわけでもないんだが」
「とにかく、もう僕には関わらないことです。それがあなたのためなんです。僕に執着したところで得られるものは何もありません。むしろ失うもののほうが大きい」
最後のひと言は、まるで自分に言い聞かせるような雰囲気だった。どういう意味か立ち止まって考えるアルバートをよそに東雲の姿が人混みに紛れていく。後ろ姿までも拒絶しているように感じたアルバートは、ただ東雲の背中を見送ることしかできなかった。




