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ホテルに戻ったアルバートは、早速トムと情報収集に当たった。今度こそ姉の仕業かもしれないと考えると、できる限り情報を集めなくてはいけない。それに先手を打たれたままにしておくことはできなかった。
すでにめぼしい場所に手の者を潜入させていたトムの動きは早かった。すぐさま電報を飛ばし、次々と情報を集めていく。集まった情報の中に確証めいたものはなかったものの、本国から何かしらの指示が出されていることまでは突き止めることができた。ただ、誰に対してか、どういった内容かまではわからない。
(指示を出した人物と指示を出した先がどこかだが……)
どちらも海運会社を筆頭とするいくつかの会社を経由して指示が出されている。まずは会社の上層部を疑ったほうがいいだろう。
大陸にはストリング家が支援する海運会社をはじめ、関係が深い貿易会社の拠点がいくつかある。そこから日本に何かしらの指示があったところまではわかっている。問題はその指示を誰が出したのかということと、日本のどこに伝えられたかということだ。内容はそこを突き止めれば自ずとわかる。
(やはり横濱が怪しいか……。いや、神戸経由という可能性も否定はできないな)
大陸を足がかりに日本を狙っていた本国の商人たちは、他国に遅れてなるものかとこの国が開国したのと同時に神戸の旧居留地に次々と商館を建てた。横濱港が賑わい始めてからは横濱にも商館を構えている。いずれも本国の貴族たちが多額の資金を提供しているからできることで、ストリング家もそうした会社を支援している貴族の一つだ。
姉は家名と金の力を使って神戸か横濱に息のかかった者を入り込ませているのかもしれない。もしくは両方に潜ませている可能性もある。そういった輩がこの国で刺客を雇い、今回のようなことを企んでいるのではないかというのがアルバートとトムの見立てだった。
「あんまり出歩かないほうがいいぞ。昨日襲われたばかりだろ」
「わかっている」
「って言いながら、すっかり身支度を終えてるんだよなぁ」
トムが呆れたようにため息をついた。それでも強く止めないのは、会いに行く相手が東雲だとわかっているからだ。
「ま、東雲さんがそばにいるなら大丈夫か」
「どうしてそう思う?」
「だってアルを担いで運べるような力持ちだろ? それに毒にも詳しいようだし、医学にも長けてるって話したのはアルじゃないか」
医学に詳しいとは言っていない。ただ「植物毒に詳しい人だ」と話しただけで、それをトムは勘違いしているのだろう。
(まぁ、いいか)
医者ではないが傷は治せる。しかもどんなに深い傷であっても傷跡すら残さない。腹を刺された場所もすでにわからないほどで、それが東雲の処置のおかげだとアルバートが話すと、トムは「傷痕がさっぱり消えるなんて、とんでもない医術の持ち主だな」と心底感心していた。昨日の手の甲の傷などすでに傷跡すら残っていない。ある意味、凄腕の医者よりよほど心強い存在だと言える。
「とにかく十分気をつけろよ? 雇った奴らがどういう手を使ってくるかわからないんだ。俺のほうもどこまで手を回してるかできるだけ探っておく」
「頼む」
昨日のように単発で襲撃されるのも厄介だが、集団になられると防ぎようがない。一番厄介なのはこの国の華族や警察に手を回されることで、そうなると滞在を諦めざるを得なくなるだろう。
(それは困る)
ようやく念願叶って日本に来たのだから、もう少しこの国を満喫したい。祖母の故郷に行ってみたいという気持ちも捨てきれないままで、それならいっそ富士の山も見に行くかという気持ちもあった。そのときは東雲にも声をかけるつもりだ。嫌がるかもしれないが、そこはうまく言いくるめてしまえばいい。
(いっそ東雲さんを本国に連れて行く方法はないものだろうか)
そうすればいつまでも近くで見続けることができる。人一人くらいならストリング家の財と力を使ってなんとかできるだろう。あとはどうやって東雲が逃げないようにするかだが……そこまで考え、一つの案が浮かんだ。
(たとえば恋をしたとでも言ったら多少は特別に感じてもらえるだろうか)
東雲にとって自分の血は特別なようだが、それではインパクトが足りない。その程度では興味深いあの怪物はするりと逃げ出してしまうだろう。自分の血に似たものを取り寄せようとするかもしれない。
(東雲さんには何がなんでもわたしに興味を持ってもらうぞ)
そうすれば正真正銘の友人になれるに違いない。いや、友人ではなく親友だ。そう考えると胸が躍る気分になった。
「アル、何かろくでもないこと考えてるだろ」
「失礼だな」
「いいや、そういう男前の笑みを浮かべてるときは大抵ろくでもないことをしでかすんだって、俺はよーく知ってるぞ」
「至って前向きで精力的になっているだけだよ」
微笑みながらそう答えるアルバートに「怖っ」と言ったトムが、まるで寒いかのように自分の体を抱きしめながら腕を擦り始める。その様子にあえて微笑みを返したアルバートは、トムの悲鳴を背中で受け止めながらホテルの部屋を後にした。そうして向かったのは東雲が贔屓にしている骨董店だ。
週二回、東雲はこの骨董店に出入りしている。現れるのは大体午前中の少し遅い時間で、昼過ぎに店を出るのがお決まりだ。それを見越した時間に骨董店に赴いた。
(そろそろ出てくる頃か)
そう思って店を見ると、ちょうど引き戸の奥から見慣れた袴姿が出てくるところだった。すぐさまアルバートの姿を見つけた東雲は、ため息をつくような仕草を見せる。
「まったく、あなたという人は……」
「友人に会いに来ただけだが?」
「友人になった覚えはないと言ったはずですが?」
「では、とりあえず非常食とでも思ってくれればいい」
アルバートの言葉に黒目がキッと睨みつけた。そうして「これだから知ってる人がそばにいるのはぞっとすると言ったんです」と口にする。
「まぁ、いいじゃないか」
「よくそんな呑気なことが言えますね」
「そうか?」
「あんな姿を見てもなお近づいてくるなんて、普通は考えないでしょう」
スタスタと歩き出した東雲の隣を、いつもどおりアルバートがぴたりと寄り添うように歩く。傍から見れば仲良く連れ立って歩いているように見えるだろうが、そのことも東雲の癪に障っていた。
そんな気持ちが表れるかのように東雲の歩みが段々と速くなる。その様子に片眉を上げたアルバートは「昨日の東雲さんはとても美しかった」とあえて口にした。
「はぁ?」
予想どおり東雲の足が止まった。そうして心底呆れたような顔で隣の異国人を見る。
「何をおっしゃっているのやら」
「思ったままの感想だが?」
「聞かされるわたしのほうが恐ろしいと感じるのはどうしてでしょうね」
「なぜだ? 美しいものを美しいと言っただけだろう?」
「あの状況を美しいなどと思う人間は、まずいません」
「それは不思議な話だ。この国の人たちは独特な美意識を持っているというのに、あの姿に美を感じないとはもったいない」
「ああ言えばこう言う……」
再び東雲がスタスタと歩き出した。巻かれまいとアルバートも寄り添うように隣を歩く。
「おかげで新たな境地に至ったところだ」
「異国の化け物を退治しようとでも思いましたか?」
「まさか。退治どころかもっと親密になりたいと思っている」
歩きながら金縁眼鏡がちろっと隣を見た。それを横目で捉えたアルバートは「さて、どんな反応を見せるかな」と思いながら口を開く。
「どうやらわたしは東雲さんに恋をしてしまったようだ」
「…………はい?」
「だから、きみに恋をしたと言っているんだ」
東雲の歩みが再び止まった。しばらくじっと動きを止めた後、おもむろにアルバートに視線を向ける。
「あなた、気でも違ったんですか」
「思いを告げたのに、そんなことを言われるとは思わなかったな」
「そもそもわたしは男ですが」
「知っている」
「ついでに鬼です」
「わかっている」
「血を啜る化け物ですよ?」
「すでに二度啜られたな」
小声で言葉を交わす間も東雲の眉は険しくなる一方だ。
「それでもなお、恋をしたと?」
「すっかり恋に落ちてしまった。あぁ、証明が必要ならいまここで昨日のように口づけてもいいが」
「結構です」
珍しく慌てたように顔を逸らした東雲が小径を曲がった。巻こうとしていることに気づいたアルバートが「恥ずかしがらなくてもいいのに」と背中にとどめを刺す。
「いったい何なんだ」
前方を見たままぼそりとつぶやいた東雲の歩みが若干遅くなる。そして「まさか」とつぶやいた。
「こいつも阿呆なのか? こんな阿呆が世の中に二人もいるなんて信じられない」
囁くような小さな声だったが、追いついたアルバートの耳にはしっかりと届いていた。
(阿呆が二人?)
どういう意味だろうか。一人は自分だとして、あと一人は誰のことを言っているのだろう。
アルバートが問いかけようとしたとき「やぁ、東雲さんじゃないか」という声がした。小径の少し先には制服姿の警官が何人も集まり、近くにはくたびれたスーツ姿の天野が立っている。暑いからか上着はなくシャツの袖をまくり上げ、首元のボタンは二つほど外されていた。
「やっぱり事件と縁があるなぁ。東雲さんが出歩く界隈とはいえ、これはもう縁と言ってもいいんじゃないか? あぁほら、隣にいる異国人さんともすっかり縁付いてるようだし」
「……」
「おいおい、どうした? そんな苦虫を噛みつぶしたような顔をして」
「いえ、なんでもありません」
不思議がる天野の奥のほうに人だかりができている。どうやら何か事件が起きて警察が呼ばれたのだろう。周囲を見渡した東雲が「何があったんです?」と尋ねると、ため息をついた天野が「この家の亭主が毒を盛られたと騒いでいるんだ」と答えた。
「おかげで、せっかく人気の蕎麦屋に入ったってのに食わず終いになった」
続いた天野の言葉には返事をせず、東雲がクンと鼻を鳴らした。そうして事件現場らしい家のほうに視線を向ける。
(事件と関わりたくないと言う割には、毎回こうして匂い嗅いでいる)
アルバートは、そのことにも興味を引かれていた。関わりたくないのなら何もせず離れてしまえばいいのに、なぜ毒の匂いを嗅ぐのだろうか。それとも、本当はこの親しそうな警官の力になりたいと思っているのだろうか。
(もしかして、さっきの「二人」というのは……)
そう考えると、たしかにただの知り合いにしては親しすぎるような気がする。それに警官が一市民に協力を仰ぐようなことがこうも度々あるだろうか。「それではまるで本国の探偵小説のようじゃないか」と眉をひそめたときだった。
「亭主に毒を盛るたぁ、どういう了見だ!」
家のほうからそんな怒鳴り声が聞こえて来た。
「そんな馬鹿なことするわけないだろ!」
「なんだと!」
「なんだって言うんだい!」
怒鳴り合う声に三人の視線が家の入り口へと向いた。見れば、上がり框の近くであぐらを掻いた男が、引き戸の外にいる女と怒鳴り合っていた。男の体に浴衣がかけられているということは横になっていたのだろう。どうやら二人は夫婦で、亭主が女房に毒を盛られたと騒いでいるらしい。
「やれやれ、さっきからこの調子なんだ。亭主のほうは血を吐いたと言って騒いでいたんだが……あぁ、入り口にその痕跡が残ってる」
天野が指さした先の地面に、赤いものが混じった吐瀉物が見える。
「警官が到着したときには朦朧としてた意識もああやってはっきりしてきたようだし、その点はよかったんだがなぁ」
天野のため息に、東雲が「なるほど、大した量は食べなかったんでしょうね」と口にした。
「やっぱり毒か?」
「間違いないでしょう。亭主は茄子料理を食べたと言っていませんでしたか?」
東雲の問いかけに「よくわかったな」と天野が感心したように答える。
「じゃあ、その料理に毒が入っていたのか」
「いえ、茄子のほうですね」
「茄子? 茄子に毒が仕込まれてたってことか?」
「茄子自体が毒を持っていたんですよ」




