2-1
金縁眼鏡を指でくいっと押し上げた袴姿の男が無言でスタスタと歩いている。その隣を当然のような顔をした異国人が連れ添うように歩いていた。季節はすっかり夏になったというのに、今日も異国人は三つ揃えをビシッと着こなして優雅なたたずまいだ。
大通りを曲がり小径に入ったところで、袴姿の男が「はぁ」とため息をついた。
「どうして色男さんは今日も僕の隣を歩いているんでしょうかねぇ」
やや苛ついたように前髪をかき上げた東雲が、体ごと隣に立つアルバートを見る。
「友人だからだろう?」
「友人になったつもりはありませんが」
「つれない答えだな。あんなに熱心に肌を舐っていたじゃないか。それとも、あの情熱的な口づけは戯れだったのか?」
誤解を招きかねない言葉に黒目がじろりと睨んだ。そうした眼差しでさえアルバートにとっては楽しみの一つでしかない。
「それのどこが友人なんですか。まったく、余計な言葉を覚えてますます面倒くさくなってきましたね」
「勤勉だと言ってくれないか」
「官能小説を愛読する異国人を勤勉と言っていいのか悩みますが」
「もちろんきみの小説も読んでいるから拗ねないでくれ」
「……ああ言えばこう言う」
東雲が再び「はぁぁ」とため息をついた。そうやって本気で呆れている様子もアルバートには小さな喜びをもたらすといってもいい。
(さて、随分と軽口を叩き合う仲になってきたとは思うが)
内心ではもっと距離を縮めたいと思っていた。できればトムのように言い合える関係になりたい。そう考えたアルバートは三日前から東雲の待ち伏せを再開した。以前よりも頻繁に現れるようになった異国人に、東雲の眼差しは段々と険しくなってきている。それをアルバートが気にするはずもなく、連日こうして東雲を見つけては隣を歩いているところだった。
(迷惑なら行動パターンを変えればいいだろうに)
そうすれば、しばらくの間だけでもアルバートを巻くことができるだろう。それなのに東雲は相変わらず同じ店に通い続けている。
とくに訪れる曜日や時間がまったく変わらないのが骨董店だった。何か買っている様子もないのにきっちりと決まった曜日の決まった時間に通う。だからこうしてアルバートに簡単に捕まってしまう。それなのに通う曜日どころか時間さえ変えないことがアルバートには不思議でならなかった。
「会いたくないのなら骨董店に通う曜日や時間を変えればいい。それなのにいつも同じだから、こうして出くわすんじゃないか?」
「悪びれもせず、よくそんなことを言いますね」
「わたしの目的はきみに会うことだからな。そういえば骨董店と同じくらい古書店にも熱心に通っているが、どうしてだ?」
「ただで資料を見ることができるんで通っているだけですよ」
「資料?」
「一応、僕も物書きですからね。執筆のネタ探しに通っているんです」
言われたアルバートは、ふと東雲が書いている小説の内容を思い出した。
内容はもっぱら殺人事件や誘拐事件のような話ばかりで、だからといって警察や探偵が解決するわけでもない。犯人も人なのか怪物なのかわからない得体の知れない存在ばかりだからか、読み終えるとなんともいえない読後感が残る。
(だから「とんと売れない作品ばかり」か)
そういった小説を好む人もいるのだろうが、アルバートにとっては官能小説のほうがよほど理解しやすかった。それでも東雲の小説を読み続けているのは妙に惹かれるからだ。
(……そうか、東雲さんに似ているのか)
そう思った途端にストンと腑に落ちた。アルバートは昔から珍しいものや変わったものに興味を引かれる性格だった。しかも一度興味を持つと、とことん夢中になる。おかげで日本語もすっかり話せるようになり、長い船旅を押してまで日本にやって来る情熱を持つまでになった。
そんなアルバートにとって東雲はあまりにも興味深い存在だった。たとえ怪物だとしても気になって仕方がない。だからこそ手間暇を惜しんで接触を続けてきた。東雲のほうはいい迷惑だと口にするが、逃げ隠れする様子はない。顔を合わせれば呆れるものの、こうして話もする。
(わたしに心を開きかけているのなら嬉しいところだが)
こうした軽口も呆れるような眼差しも、無機質な眼差しばかりだった以前に比べれば大きな前進だろう。だが、目標の友人にはまだまだ遠い。
(気難しい犬にようやく存在を認められた気分だ)
ここまできたら、やはりとことんやってやろう。アルバートは己の好奇心に従順な性格でもあった。
「とにかく僕のことは放っておいてください。前にも言いましたが、僕の正体を知っている存在がそばにいるなんてぞっとするだけです」
「東雲さんのことは誰にも話さないと約束する」
「そういう問題じゃないんですがねぇ」
「異国人のわたしが知ったところで問題ないだろう? そう判断したから東雲さんは自分の正体について話した。違うか?」
「これ以上追いかけ回されたくなかっただけですよ。それに、ますます妙な噂が広がっているようで迷惑しているんです」
「妙な噂?」
問いかけには答えず、東雲が再びてくてくと歩き出した。当然のようにアルバートも並んで歩く。
「そう邪険にしないでほしい。今日は東雲さんをお茶に誘おうと思っていたんだ」
「お茶ですか」
「お礼をしたいと思ってね」
「あなたに感謝されることはしていないと思いますが」
「わたしを刺した犯人を見つけてくれただろう? その礼だよ」
金縁眼鏡がちろっと隣を見た。「あれは手切れのつもりだったんですがねぇ」と言うと、微笑みながら「恋人と手を切るときに使われる言葉だな」とアルバートが返す。
相変わらずの減らず口に東雲が呆れながら角を曲がった。すると前方から「おう、東雲さんじゃないか」という声がした。見ると、皺が寄ったシャツにスーツを着た男性が目の前を横切ろうとしているところだった。
「天野さん」
「おや、隣にいるのは例の異国人じゃないか。噂どおり仲がいいことで」
「ちょっと、よしてくださいよ。こっちは迷惑しているんですから」
「噂どおりというのは?」
「なんだ、そちらさんは知らないのか。おまえさんたち、この辺りで頻繁に連れ立って歩いているだろう? あまりによく見かけるから……」
「天野さん、」
「書生と異国人はどうやらいい仲らしいって噂が広がってんだよ」
東雲が遮るのも構わず天野がにやりとしながらそう答えた。「いい仲?」と首を傾げるアルバートに「恋仲ってことだ」と天野がつけ加える。
「あぁ、なるほど」
「天野さん、余計なことを吹き込まないでください。ますます面倒なことになるじゃないですか」
「いや、わたしのほうはそう言われたところで迷惑でも面倒でもないが」
「何言ってんですか、よしてください」
「わたしは東雲さんと仲良くなりたくて、こうして毎日のように会いに来ている。ということは噂もあながち間違いではないということだろう?」
いつにも増して東雲の厳しい視線が碧眼を睨んだ。それにひょいと片眉を上げたアルバートが「いまもお茶に誘っていたところだしな」と口にする。
「はははっ、こりゃいい。さすがの東雲さんも情熱的な異国人には勝てないってところか」
「笑い事じゃありませんよ」
「まぁまぁ。そういう経験も創作の肥やしになっていいんじゃないか? 事件ばかりじゃ筆も乗らないだろうし、たまには何かを楽しむってのもいいと思うがな」
「楽しむどころじゃありませんがね」
「楽しみを求めているなら喜んで付き合うが?」
ちろっと視線を向けた東雲が「何を言っているのやら」とため息をついた。二人の様子をおもしろそうに見ていた天野がアルバートに視線を向ける。
「ま、異国人さんもお手柔らかにな。東雲さんには人嫌いの気があるからなぁ」
「人嫌い?」
「あぁ。ま、その点おまえさんくらい見た目が異国人だ! って人なら逆にちょうどいいのかもしれないが」
続けて「せっかくだから、仲を深めるためにカフェにでも行ってこい」と天野が笑った。
「えぇ、ぜひとも。東雲さんの予定に合わせるが、明日はどうかな?」
「そういう言い方は合わせる気がない人の言葉ですよ」
「行ってこい、行ってこい」
無責任に煽るだけ煽った天野は「じゃあな」と言って去って行った。よく見れば通行人たちがチラチラと二人を見ている。いまだにこの国では珍しい金髪碧眼の異国人と書生という組み合わせに興味津々なのだろう。
周囲の視線に気づいた東雲は眉を寄せ、そんな東雲の様子をアルバートは笑顔で見ていた。
「……はぁぁ。わかりました」
ついに東雲が折れた。ため息をつきながらも言葉を続ける。
「一度だけお茶に付き合いましょう。それが最後です」
「では、明日の昼過ぎに……あぁ、いっそ昼食にしようか」
「いえ、お茶だけで結構です」
「では、昼過ぎに古書店へ迎えに行くとしよう」
「……僕の行動をどこまで把握しているのか考えると薄ら寒いですね」
「大体はわかっていると思うが?」
それには何も答えず、スタスタと歩き出した東雲の姿が人混みへと消えていく。そんな東雲を見送りながら、アルバートは「さて、どこのカフェにするかな」といくつものカフェを思い浮かべた。




