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大通りに出てしばらくすると、東雲がクンと鼻を鳴らした。隣を見れば金縁眼鏡を支えている鼻がヒクヒクと動いている。
(やっぱり犬のようだな。しかも猟犬というより愛玩系に近い)
そんな失礼なことを思いながら、アルバートも周囲を見渡した。古い街並みのこの辺りは毒の串を使った事件が起きた通りに近い。東雲が贔屓にしている店もこの付近に集まっているため、アルバートもすっかり詳しくなっていた。「たしか、この先に大きな川があったな」と地図を思い出していると「こっちです」という東雲の声がする。
「こんな大通りで、しかも三日前の血の臭いがわかるのか?」
「わかりますよ。僕はそういった生き物なんです」
「しかし、ドラキュラにはそういった記述はなかった気がするが」
「そちらのお国の化け物のことは知りませんが、僕は匂いに敏感なんです。ある意味自衛手段でもありますからね」
「自衛手段?」
アルバートの問いかけに東雲がちろっと視線を向ける。
「あなただって病気を患った獣の肉は食べたくないでしょう?」
言われて「なるほど」と思った。食事をするときに肉の持ち主に思いを馳せたことはなかったが、たしかに病気の肉を食べたいとは思わない。
「大方の鬼は気にしませんが、従兄がげぇげぇと嘔吐する様子を見たとき僕は決心したんです。口にする血は慎重に選ぼうと」
「しかし、それでは血が飲める人間が少なくなるんじゃないか?」
「だから普段は管理された血を飲んでいるんですよ。最近じゃそういった鬼も少しずつ増えているんです」
いわゆる調理された血ということだろうか。「生の血」という言葉を思い出したアルバートはそんな想像をしたが、いまいちピンとこない。「やはり興味深いな」と思いながら隣を歩く。
しばらく大通りを進み、街並みが寂しくなり始めたところで小径に入った。古い民家が建ち並ぶそこはアルバートも初めて踏み入る場所だ。そこかしこに漂う生活感と雑多な雰囲気が小さい頃に住んでいた本国の田舎町を思い起こさせる。そんな郷愁を感じていると「ここですね」と言って東雲が足を止めた。
「ここに犯人がいるのか?」
「少なくともあなたを刺した刃物はあるはずですよ」
目の前には、やや傾きかけた古めかしい家があった。屋根の重みに耐えられなくなったのか、玄関の引き戸は少し傾き隙間ができている。いまくらいの季節はいいだろうが、冬になれば冷たい風が吹き込み家の中は寒いに違いない。
そんなふうにアルバートが家を見ていると、不意に引き戸が開いた。出てきたのは色あせた袴姿の男で、働き盛りを少し過ぎたくらいの年齢だろうか。
「っ!」
家の前に金髪碧眼の異国人が立っていることに驚いたのか、男はギョッとした顔をして足を止めた。
「あぁ、やはりこの家ですね。中からしっかりと匂いがします」
「ということは、きみがわたしを刺した犯人か」
「な、」
男は咄嗟に中に戻り引き戸を閉めようとした。そうはさせないとアルバートが革靴を隙間に差し込み、引き戸に手をかけぐいっと力を入れる。それに驚いたのか男は引き戸から手を離し、そのまま土間で尻もちをついた。
「わたしを刺したのはきみか?」
「……っ」
引き戸を開けて見下ろすアルバートを、男の黒目がキッと睨みつけるものの返事はない。
「睨みつけたいのはわたしのほうなんだがな」
「……」
「まぁいい。刺した理由を話せば警察には突き出さない。約束しよう」
「……」
「それとも警察に連行されたいのか? あぁ、この人が懇意にしている警部に話をすれば、きみはすぐさま捕らえられるだろう。わたしとしては、それでもかまわないんだが」
男の目が一瞬泳いだ。それでもアルバートを見る視線の鋭さは変わらなかった。
「さて、どちらがいいかな」
「…………全部、おまえらのせいだろ」
男がつぶやくような声でそう口にした。睨みつける眼差しに一層力が入る。
「おまえら異国人がたくさん来るようになったせいで俺たちの働く場所がなくなったんだ。どこの店も異国の言葉がわかるってだけで新しい奴に取って代わられる。舶来品に詳しい奴が出世して田舎者の俺たちは下っ端のままだ。丁稚奉公から何十年も勤めてきたってのに、最後は呆気なく捨てられてこのザマだ」
男は「全部おまえら異国人のせいだ!」と喚いてから俯いた。
「なるほど。つまりきみは異国人を逆恨みしてわたしを刺したということか」
答える声はない。男はただ「異国人なんかこの国から出て行けばいいんだ」といった内容をブツブツとつぶやいている。
「どうやら犯人の目的は思っていたこととは違ったようですね」
「それはそれでなんともいえない気持ちになるが」
「この国が扉を開いて三十年余り、最初の十年と少しは開いたと言えるほどの状態じゃありませんでした。それがここ十年ほどで急激に変わった。帝都では異国人を見かけるようにもなりました。馴染めない人たちが多いのは否めません」
「なるほど」
「大方、よく見かける異国人という噂を聞きつけてあなたを狙ったんでしょう」
「噂?」
「天野さんが話していたと思いますが?」
東雲の言葉に、アルバートは「この辺りで書生と異国人が仲良く歩く姿が噂になっている」という天野の言葉を思い出した。東雲が出歩くのは大抵決まった曜日と時間だ。それに合わせてアルバートもあの付近を歩くから狙いを定めるのは簡単だっただろう。それで後をつけられ刺されたに違いない。
(今後は少し気をつける必要がありそうだな)
だからといってアルバートの中に東雲に会わないという選択肢はなかった。
(それにしても、相変わらず淡々としたものだ)
斜め後ろをちらりと振り返り、東雲の様子を伺う。これまでの事件現場と同じように何の感情も見られない眼差しをしていた。俯く男を憐れんだり蔑んだりといった様子もまったくない。
(これが東雲さんの普通だとして、そうなるとわたしの血にだけああなるのか)
うろたえながらたじろぐ姿を見られるのは自分だけかもしれない。そう思うとアルバートの胸はますます高鳴った。東雲という稀な怪物を夢中にさせているのだと思うだけで妙な高揚感がわき上がる。生まれて初めて自分に価値があるような気にさえなっていた。
(こうなったら、とことん近づいてみるか)
そんなことを思いながら刺した男に視線を戻す。
「きみは誰かに頼まれてわたしを刺したのではないんだな?」
「頼まれなくても異国人を刺してやりたいと思ってる奴らはたくさんいるさ」
吐き捨てるような男の言葉に片眉をひょいと上げたアルバートは、用事は済んだとばかりに踵を返した。背後で「やっぱり妖術使いかよ」という囁きが聞こえたということは、深く刺した自覚が本人にもあったのだろう。
(それなのに、たった三日で元気な姿を見せれば妖術使いと言われても仕方がないか)
ますます恐れられそうだと思いながらも「そうなれば東雲さんと同類というわけだ」と、やはりおもしろくなってくる。
てくてくと歩き出したアルバートの隣に東雲が並んだ。そのまま互いに無言で大通りまで出ると「それじゃあ僕はこれで」と言って東雲が小径に入る。行き先は骨董店か古書店だろうと予想できたがアルバートが追いかけることはなかった。
空を見上げながら「さて、どうするかな」と考えた。すでに気持ちが決まっているからか、アルバートは口元が緩むのを自覚しながら晴れ渡った空を眺めた。




