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「きゃあ!」


 悲鳴とともにガタンと物が倒れる音がした。続いてガチャンと響いた音はティーカップとソーサーがぶつかった音だ。

 突然聞こえてきた悲鳴に金髪の男が振り返った。斜め後ろのテーブルで口元を手で押さえた女性が立ち上がっている。向かい側には背中を丸めた女性が座っていたが、咳き込むような音がしたあと上半身がぐらりと揺れて地面に崩れ落ちた。


「きゃあぁ!」

「何だ!?」

「どうした!」


 異変に気づいたのか、あちこちから声が上がった。金髪の男もわずかに眉を寄せながら立ち上がる。


「近づくなよ」

「わかっている」


 正面に座る茶髪の男に頷きながら、金髪の男はぐるりと周囲を見渡した。そうして倒れた女性に視線を戻す。


「どうしました!?」

「きゅ、急に苦しそうに胸を押さえて、震え出したかと思ったら……あぁ!」


 給仕にそう伝えた女性は両手で顔を覆ってしまった。地面に倒れている女性は目を見開き、口元はわずかに開いた状態で泡のようなものがついている。誰が見ても絶命しているのがわかる表情だ。

 それまで優雅な雰囲気に包まれていた梅雨明けのガーデンカフェは、途端に悲鳴と混乱に襲われた。女性たちは震えながら口元を覆い、男性たちは連れを抱き寄せたり無意味な言葉を口にしたりと慌てふためいている。


「おい」

「大丈夫だ」


 茶髪男の心配そうな声に、金髪の男が静かにそう答えた。そうして再びカフェを見渡したところで「あそこに異国人がいるぞ」という囁きが耳に入ってきた。ほんの数人が口にした小さな声は、あっという間にさざ波のように広がっていく。気がつけば、ざわめきの中に「異国人だ」という言葉が混じっているのが聞こえてきた。


「見てみろ、金色の髪だ」

「それにあの目、まるで絵のような青色よ」

「もしやあの異国人が原因じゃないのか?」

「妖術使いというのは本当なのかしら」

「その力で何かしたのかもしれないぞ」


 金髪の男は内心「やれやれ」とため息をついた。向かい側に座る茶髪に緑眼の男も肩をすくめている。


(国が開かれて随分経つというのに、相変わらずこの国は迷信深いな)


 太陽の神の子孫が統治する日本という国は、長らく外国との交流を断っていた。三十年ほど前に国が開かれ、神の子孫も代替わりしたというのにいまだに異国人に向けられる視線は厳しい。大半は異国人を見たことがないための偏見だろうが、多くの舶来品が手に入るようになったいまでもこの有り様だ。金髪の男が小さなため息をついた。


(帝都でもこうだとすると、祖母の故郷に行くのはやめたほうがよさそうだな)


 そんなことを考えていた金髪男の視界に袴姿の男が映り込んだ。長い黒髪を後ろで一つに結び、目元には金縁眼鏡が光っている。男は倒れた女性に静かに近づくと、そばにしゃがみ込みクンと鼻を鳴らすような仕草を見せた。


「これは毒ですねぇ」


 決して大きくはない声だったが、通りがよいからかざわめいていた人々が一瞬にして静まる。しかし、すぐにあちこちで「毒?」やら「まさか」といったヒソヒソした声が広がった。


「甘いこの香りは……なるほど、ハーブティーですか」


 男がテーブルを見上げたところでガーデンカフェの入り口が騒がしくなった。「そのまま動くな!」という声とともに数人の警官が走り寄ってくる。


「おい、おまえ! 何をしている!」

「あぁ、これはお早いお着きで」

「何をしているかと聞いているんだ!」


 警官がやや乱暴な手つきで袴男の肩を掴んだ。警官は興奮気味だが掴まれたほうは慌てた様子もない。それに気色ばんだ警官が「おい!」と声を荒げたところで「離してやれ」という声がした。


「警部」


 現れたのは、くたびれたスーツ姿の中年男性だった。四十前後のその男性に警官が慌てて敬礼をしている。


「その人はいいんだ」

「あぁ、天野さんじゃないですか」

「またもや現場に居合わせるとは、相変わらず東雲(しののめ)さんは事件と縁があるようだな」

「そんな縁は求めちゃいないんですがねぇ」


 東雲と呼ばれた袴男の返事に「まぁまぁ」と笑いながら天野という名の警部が隣にしゃがみ込んだ。そうして自ら倒れた女性を検分し始める。


「傷は見当たらないな。おかしな香りもしないが……いや、何か甘い匂いがするか?」

「それ、毒の匂いですよ」

「毒?」


 驚く中年男に東雲が「植物の毒ですね」と言葉を続けた。


「やばいやつか?」

「いえ、嗅いだところでなんともなりゃしません」

「ということは口にするとやばいやつか」

「テーブルの上に残ってますよ」


 東雲が指さした先には白磁のティーポットがあった。そばに置かれた小皿には黄色い花や乾燥させた葉が見える。


「何だこれは」

「天野さんには縁遠いものでしょうが、近頃人気のハーブティーってやつです」

「縁遠いは余計だ。しかしハーブティーで死人が出るか? あれは滋養強壮だとか、そういった目的の飲み物だろう?」

「そういう目的のものもあるでしょうが、若い女性たちの間ではお洒落なカフェタイムの飲み物として人気なんですよ」


「カフェタイムなぁ」と言いながら、天野がそばにいた警官にティーポットとカップを指さしながら「中身を調べて食器類は保管しろ」と命じた。


「ということで、あの異国人は関係ありません」


 立ち上がった東雲の声は決して大きくない。しかし通りがよいからか、再びヒソヒソ話していた客たちの口を見事に止めた。


「異国人? あぁ、客に異国人がいたのか」

「いまだに異国人は妖術使いだという噂が絶えませんが、この女性の死因はハーブティーで間違いないでしょうから妖術は関係ないですね。そもそも異国人が妖術を使えるのなら、の話ですが」

「妖術とやらで人死にが出たら、俺たち警察はお手上げだな」

「ごもっともです。ま、そんなことは起こらないでしょう」


 金縁眼鏡がちろっと金髪男を見た。何の感情も伺えないその視線に、金髪男は「へぇ」と片眉を上げる。


(そういう視線を向けられるのはこの国に来てから初めてだな)


 大抵は興味津々といった感じか、この場に漂っているような怪しむ眼差しがほとんどだ。それなのに東雲という男は何の感情も浮かんでいない視線で金髪の異国人を見ている。金髪男にとっては、その視線だけで男に興味を持つには十分だった。

「それじゃあ、僕はこれで」と警官たちから離れた東雲に金髪男が大股で近づく。そうして逃がさないとばかりに正面に回り込んだ。


「失礼、少しいいか?」

「……何か」


 面倒くさそうな声にますます興味が湧いた金髪男は「アルバートだ」と右手を差し出した。それに「はぁ」と面倒そうに右手を伸ばした袴男が「東雲です」と返事をする。


「興味深いな」

「何がです?」

「なぜ毒だとわかったんだ?」


 アルバートの質問に「あぁ、そのことですか」と答えた東雲は、握手していた手を離し眼鏡のブリッジ部分をクイッと持ち上げた。


「先ほど警察にも話しましたが、あれはハーブティーによるものです。正確には間違ったハーブティーでしょうが」

「間違い?」

「間違ったものが混じっていたということです。昨今、文明開化だとかでハーブティーがもてはやされてますけど、この国じゃまだまだ不慣れな飲み物ですからね。ハーブとやらの種類を間違えたとしても不思議じゃありません」

「では、あのティーポットに入っていたのは毒草だったというわけか」

「甘い香りはジャスミンそっくりですが、あれはカロライナジャスミンでしょう。ジャスミンとついてますがモクセイ科のジャスミンとは種類が違います。誤飲で中毒を起こす事例は異国にもあったと思いますがね」


 そう言って歩き出した東雲の隣にアルバートがぴたりと寄り添う。そのまま連れ立つようにガーデンカフェの入り口から通りに出た。


「しかし、それほど似ているなら見た目や香りだけではわからないのでは?」

「たしかにおっしゃるとおりです。僕はカロライナジャスミンと判断しましたが、実際はゲルセミウム・エレガンスだった可能性もあります」

「ゲルセミウム……?」

「カロライナジャスミンによく似た花ですが、世界最強の植物毒を持っていると言われる植物ですよ。毒性の強さからすると、こちらのほうが当てはまるかもしれません。ただ、あの女性は心臓を患っているようでしたから前者でも十分死因になり得ますが」

「あの短時間でレディの病気のことまで見抜いたのか」


 感心するアルバートを尻目に東雲はズンズンと足を進めた。ところがアルバートもぴたりと寄り添ったまま離れようとしない。


「もしかして、きみは医者なのか?」

「いいえ、しがない物書きです」

「物書き……あぁ、作家か」

「さて、とんと売れない作品ばかりですから作家先生と呼ばれることはありませんがね」

「これほど物知りなのに?」

「僕が書くのはもっぱら官能小説ですから」

「かんのう?」


 角を曲がり小径に入ったところで東雲が足を止めた。ほぼ同時にアルバートも立ち止まる。


「ところで異国の色男さんは、いつまで僕についてくるおつもりで?」

「色男……あぁ、よく言われる。この国でそう言われたのは初めてだが」

「そうですか。それに随分と言葉が達者なようで」

「わたしの祖母がこの国の人なんだ。といっても血は繋がっていないけれどね」

「なるほど、お身内がこの国の人なら言葉が達者な理由もわかります。発音もとても美しい」

「ありがとう。読むのはまだまだだが、話すほうはほとんど不自由しない。おかげでこうして旅を満喫することもできる」

「そりゃようございました。では、よい旅を続けてください」


 そう言った東雲がスタスタと歩き出した。追いかけようとアルバートが一歩踏み出したところで、後ろから「アル!」と声をかけられ足を止める。


「トム」

「勝手にいなくなるなよ。慌てて支払いを済ませたら入り口にもいないし、探し回ったじゃないか」

「それはすまなかった。……あぁ、行ってしまったか」

「ん? 誰がだ?」

「先ほど、わたしの疑いを晴らしてくれた人だ」


 アルバートが見た小径の先に人影はない。追いかけ損ねたことを残念に思いながらトムと呼んだ男を見る。


「周辺で怪しい人影を見たか?」

「いいや。さっきのはアルを狙ったものじゃないみたいだな。ま、安心はできないけど」

「ということは、シノノメさんが言っていたようにただの間違いだったのか」

「シノノメ?」

「袴姿の男性だよ。彼はあのレディが毒草をハーブと間違えて飲んだんだろうと話していた」

「なるほど、毒草入りのハーブティーか。本国でもそういった間違いは起きるからな。おおかた取り寄せた品に混じっていたんだろう。それよりホテルに帰るぞ。念のため部屋に戻ったほうがいい。それに今夜はパーティもあるだろ?」


 トムの言葉にアルバートが大きなため息をついた。


「またか」

「諦めろ。おまえにとっちゃ私的な旅だとしても、へスティング子爵のご子息様って肩書きはこの国でも大きいってことだ」

「こんな東の果ての国にも影響力を持っているとは、まったく恐れ入るよ」


 そう言いながら一度だけ小径の奥を見たアルバートは、諦めたように大通りへと戻ることにした。

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