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【SF 空想科学】

人の生る木

作者: 小雨川蛙

 

 下界の様子を見に行ってほしい。

 青年はそう命じられ重く暗い気持ちのままに空から大地へと降り立った。

 拡げた羽を閉じて青年は辺りを見回す。

 空は灰色の雲に包まれて薄暗く、足をつけた大地はひび割れて荒涼としていた。

 建物はおろか草木もなく、動物はもちろん虫さえも飛んでいない。

「馬鹿らしい」

 ぽつりと声を漏らし青年は歩き出す。

 主は何故、このような無意味な世界の様子を見に行けと命じたのだろうか。

 数百年前に人間共が起こした核戦争によりこの星は既に死の星となっていた。

 すたすたと無情に響く自らの足音を聞きながら青年は千年前に主へ提案した言葉を回顧していた。

『今の内に人間は滅ぼしましょう。そうでなければきっと、世界は死を残して消え去ってしまいます』

 あの提案を青年の主は遂に受け入れることはなかった。

 故にこの状況がある。

「馬鹿らしい」

 かつて森が青々と茂っていた大地を青年は歩く。

「人間など造るからこのような事になったんだ」

 青年は呟くと心の中に浮かんだ主への蔑みを無理矢理押し殺そうした。

 しかし、それでもその想いは消えることなく青年の心に呟きとなって漏れ出ていた。

『人に哀れみなど持つから全ては手遅れとなるんだ』

 青年は主を信頼し、尊敬し、何よりも愛していたが人間に対する主の想いだけはどうしても理解出来ず、故にこそ三度呟くのだった。

「馬鹿らしい」


 歩き続けてどれほどの時間が経っただろうか。

 世界は灰色で覆われている上に景色に変化がなく、青年は青年で睡眠も食事も不要なため一定の速さで歩き続けていたために分からない。

 ただ一つ、青年にとって予想外の事が起きた。

 前方に木々が生えていたのだ。

 森と呼ぶにはあまりにも少なすぎる量ではあったが、それでもこの死の世界に命があった。

「馬鹿な」

 思わず駆けだした青年の足はいつの間にか雑草を踏んでおり、鼻から吸い込む空気も先ほどより澄んでいた。

 やがて、一本の木の前に来ると青年は手を当ててそれの命を感じとる。

 信じられないことにこの木は間違いなく生きていた。

 数百年も前に人間が命そのものを奪った世界で。

 半ば呆然としていると不意に声が響く。

「人間様?」

 青年がそちらを見やるとブリキで出来た女性が青年を喜びの表情をしたまま見つめていた。

「人間様ですか?」

「いいや」

 歓喜の声に現実を突きつけるのは心苦しかったが青年は答えた。

「人間ではない」

 すると女性の顔は苦笑に歪み、まるで人間が自らへ言い聞かせるように言った。

「そうですね。人間様には羽がありませんもの」

 そう言うと女性は足元にあったジョウロを掴み木々へと水やりを始めた。

「あなたはどこから来たのですか?」

 女性の問いに青年は少し迷った末に自ら住んでいた場所を伝えた。

「天にある国だ」

「まさか、天国ですか?」

 ジョウロの中身の水が途切れたのか女性は再び青年の方へ向き直る。

「知っているのか?」

「はい。昔、私を造った人間様から聞きました」

「造った?」

「ええ。人間様は私をアンドロイドと呼んでいました」

 青年は思わずため息を漏らしていた。

 少なくとも千年前にはそんな存在はいなかったはず。

 人間はいつの間にか命まで作れるようになっていたのか?

 青年は女性へ近づきその身体に触れた。

 しかし、体は冷たく、そしてそこに命はなかった。

「どうされました?」

「いや、何でもない。無礼をした」

 不思議そうな女性の声に青年は首を振って謝罪した。

 女性は困ったように微笑むとジョウロを持って歩き出す。

「どこへ行くんだ?」

「他の木にも水をやるんです。頑張ってここまで育てたんです」

「そうか。ならば、俺も手伝おう」

「本当ですか? ありがとうございます」


 女性は木々へ水をやり終えると青年に尋ねる。

「ここまで来る途中、一人でも人間様にお会いしましたか?」

「いいや。一人も会わなかった」

 続けて出そうな言葉を青年はどうにか打ち切った。

 人間どころかこの世界にはもう命さえないのだから。

「そうですか。残念です」

 女性は寂しげに笑う。

「お前はここで何をしているんだ?」

 青年が尋ねると女性は笑みを少しだけ明るくして答えた。

「人間様を育てているんです」

「人間を育てている?」

 問い返す青年に女性は「はい」と幸福そうに笑うと手近にあった木の一本を撫でる。

「この木は人間様が生る木なんです」

「人間が生る木?」

 オウム返しに呟いた青年の心にどす黒いものが微かに湧いた。

 それは誰に対する想いでもない。

 少なくとも、生きている者に対するものではなかった。

「はい。最後に生きていた人間様が言っていたんです。人間は木々から生まれるのだと」

 反射的に出そうになった言葉は女性の微笑みの前に勢いを殺され青年の心に押し留まった。

「だから私に人間の生る木を育ててほしいって。私はそう言われてからずっとこうして木々を育てているんです。初めは上手くいかなかったんですけれど、何度も何度も失敗して今ようやくしっかりと根を張るようになった」

 言葉を一度切った女性は恥ずかしそうに笑う。

「それであなたを見た時に勘違いしてしまったんです。ごめんなさい」

 彼女に青年は何も言うことは出来なかった。

 人間が生る木がないことも。

 そして、彼女がずっと騙されていることも。

「どれくらいの間こうしているんだ?」

「分かりません。私には命はありませんから時間を気にした事がないんです」

 女性は穏やかで美しくそれでいて儚さを感じさせる満面の笑みを浮かべて告げた。

「ですが、私は必ず人間様を生らせてみます。だって、そうすればまた世界は素晴らしいものになりますから」


 命のない女性と別れてからどれくらいの時間を歩いただろうか。

 世界は灰色で覆われている上に景色に変化がなく、青年は青年で睡眠も食事も不要なため一定の速さで歩き続けていたために分からない。

 主は何故、自分に下界の様子を見に行けと命じたのだろうか。

 青年は考え続けたが答えは出なかった。

 ただ一つだけ確かな予想がある。

 あの女性は人間の生る木を植え続け、育て続けるのだろう。

 命なき故に無限にも等しい時間を使い、今か今かと人間が生るのを待ち続ける。

 やがて、世界はかつての姿を取り戻すかもしれない。

 かつての世界が唯一持っていた汚点、人間の存在を抜け落したままに。

 そんな中で彼女は今か今かと人間が生るのを待ち続ける。

 きっと、永遠に。


 一瞬、主が何を思い人間を滅ぼさなかったか、そして何故自分を下界へと送ったのか、その双方の答えに思い至ったが青年はその答えを振り払った。


 今はそれを考えていたくなかった。

 少なくとも今は。


 あるいは、きっと永遠に。

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