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1話 追いかけっこ

 フィフィス共和国建国500周年に寄せて。


 大陸歴540年。

 大陸にフィフィス共和国が建国され、500年という年月が経った。これは、人類が魔物という脅威から解放されて500年の年月が経った、と同じ意味である。

 人類が平和を享受して500年。

 その時間の流れの中で人類は大きく繁栄してきた。魔法技術の発展や人口の増加と人々の生活水準の向上。ある出来事の以前と以後ではまったく違うものとなった。

 ある出来事とは言うまでもなく、『勇者』による魔王の討伐に他ならない。大陸歴元年は、『勇者』による魔王討伐から始まった。

 そう、『勇者』とその仲間の存在なくしてフィフィスという国はない。もっと言えば大陸全ての国もない。

 フィフィス共和国の建国に彼の子供が関わった事は誰もが知る事実だ。重要なのは、『勇者』本人では無くその子供が関わっている事だ。建国当時、『勇者』は61歳。当時としては高齢だがまだまだ元気な事は日記に残っている。

 そして、その日記には国を作るために支援を求められたが断った事が書き記されている。多額の報酬や職位も提示されたようだが、どうやら、彼には名誉欲あるいは自己顕示欲と呼べるものが欠落していたようだ。

 結局、その息子達がフィフィス共和国建国のための重要な仕事を担い、その子孫が今もこの国を支えている。

 では、『勇者』とはどのような存在だったのだろうか。

 この寄稿文を通して読者に伝えたいその点だ。昨今のヒュードラル大陸の国家間の関係は複雑化の一途をたどり、戦争や紛争が起こっている。魔物の脅威と戦っていた人々はこんな未来のために命をかけたはずがない。

 特に、『勇者』という人物については多くの伝説や物語(中には事実無根の俗説や作り話)があるせいで、正確にその人物像を知るものは多くない。

 今一度、彼が何を成したのか、何を思っていたのかを知ってほしいと私は願っている。私は、個人的な友好を通じて『勇者』が書き残していた日記を、子孫であるローランド家の当主から借りる事が出来た。

 その全てを本にまとめることは出来ない。何しろ、一部の研究者には有名なことだが、彼は日記を付けることを趣味としており人生のほぼ毎日を日記に記録しているマメな人間だった。

 その彼と、後に妻となる彼の仲間の日記を借りることが出来た。

 彼らの日記をここにまとめ、当時の人々がどのように今に残る平和を勝ち得たのか知ってほしい。

 改めて知ってほしい。

『勇者』、いや、ラグナ・ローランドという青年が何を思っていたのかを。



○白竜の月22日 ラグナの日記

 

 魔王を討ち取って二週間が経った。

 日記を書くのは4日ぶりだ。こんなにも日記を書かなかったのは初めてだ。ナヴィラに文字を教わってから毎日のように日記を書いていたから、6年近くほぼ毎日日記を書いてきた。

 でかい蛇(筆者注:〈山呑み〉の事。ハイスタイン国軍を半壊させた大蛇)を倒した後、3日ばかり日記を書けなかった事はあった。あれは敵の毒で酷い目にあった時だ。手が痺れてペンが持てなかった。あと、カムイと二日間斬り合って日記を書いている間がない時もあったな。

 今回は、とにかく疲れた。

 魔王を討ち取って、大混乱に陥ってる魔軍の領地を脱出して、人類軍の陣に駆け込んだ。あの時に助けてくれた魔王軍の亜竜部隊には感謝しか無い。

 気に入らないのは人類軍のお偉方だ。

 何度も魔王を倒したと言っているのに全く信じてくれなかったのだ。

 何十年も大陸を覆っていた黒雲が晴れたというのに、ノモト連合国の将軍は「たまたまじゃないのか」などと言いやがるし。

 仕方ないのでもう一度魔王城に進入して転がっていた魔王の首から角を切り取って、「これが証拠だ」と言ったら、誰も魔王を見たことがないので判断がつかないと言い返された。

 むしろ、独りで魔王城に再潜入したことを仲間に怒られてしまった。

 みんなが疲れていたから独りで行ったんだ、と抗弁したらますます怒られた。マーヤに「もう口利いてやらん」と言われた。

 へこむ。でも怒ったマーヤも可愛い。

 最終的には天龍の巫女のお告げで魔王が討ち取られたと確認が取れた。

 なんだよ馬鹿野郎。

 しまいには魔王の角を記念品にするから寄越せと言われた。

 既にキュウゾウが武器にするからと加工屋に持ち込もうとしていたので困ったが、「あれは死んでいるとは言え魔王の体の一部。強力な呪いを生む可能性があるから」とナヴィラがやんわりと断ってくれた。

 ナヴィラはいつも口が回って助けてくれる。ありがたい。


 まあ、とにかく。

 魔王を討ち取った。

 人類の勝利だ。

 魔軍四天王も、大元帥も七悪魔も、倒したのだ。あとは地方にいる大暴龍イビスや獣牙連隊を初めとする魔軍の小数派閥の勢力もあるが、それは各国の騎士団や傭兵に任せよう。

 そこまで出張ったら却って角が立つ、とキュウゾウに言われた。全ての手柄を奪ってしまっては妬み嫉みを生む、との事、らしい。

 よくわからないが、キュウゾウが言うのならそれが正しいのだろう。

 戦勝パーティが夜通し開かれている。

 各国の騎士団長や国王にスピーチを求められたが、酒の勢いで誤魔化した。今も頭が痛い。酩酊しないキュウゾウの酒豪っぷりが羨ましい。

 ナヴィラも怪しげな雰囲気を醸し出しながら各国の姫や女王と談笑していた。俺はあんな香水臭い女といたらますます頭が痛くなってしまう。

 出された料理も上品なものが多くて、周りの様子を見ながら食べるのに疲れた。魚の塩焼きとかの方が食いやすくていい、とグチったら眼を丸くされた。貴族連中はああいったものは食わないのか。美味いのにもったいない。

 魔王を討ち取った時の話を何回も話す事になったので、思い出さなくってもすらすら喋れるようになってしまった。

 雷神の魔剣で結界をぶった斬って、炎神の魔剣で心臓を焼き切っただけなのだが。あとは無我夢中でよく覚えていない。

 マーヤにグチったら「何、お姫様に自慢話出来た報告?」とスネられた。

 スネたマーヤも可愛い。

 まあ、いい。

 今日の日記はここまでだ。

 明日、明日はパーティもないから時間はある。明日こそ。

 マーヤに告白するんだ。



○白竜の月22日 マーヤの日記


 私の名前はマーヤ。名字は無い。

 ラグナに倣って日記を始める。アイツはナヴィラに文字を教わった際に練習として日記を書き出したらしいが、私はただの暇つぶしだ。

 私はハジャ国の山奥で生まれ育った。詳しい者はそれだけでピンと来ると思うが、私は暗殺者として育てられた。

 ヒュードラル大陸で各国がひしめき合っている中で、ハジャ国は弱小国だった。

 正規軍に十分な装備や補給すらおぼつかなかったため、わずかな人数と装備だけでも戦えるよう、諜報部隊の整備が進められた。生き残るために戦う力を養うのではなく、生き残る術を磨き続けた国、と言える。

 私も、その国の一人だ。

 様々な諜報部員が育てられていた中で、私はずばぬけて優秀だった。別に自慢するつもりはない。汚い仕事を引き受ける汚い人間である事に変わりはない。

 敵地への潜入と要人の暗殺を主任務とする暗殺者として、14歳まで養成所で育てられたが、私が軍に入る前にハジャ国は魔王軍に滅ぼされてしまったのだ。

 私にとって幸いだったのは、国への忠誠心が無かったことと、すでに実践レベルの技術を身につけていた事だ。

 魔王軍に滅ぼされた混乱時期に暗殺部隊の教員でもあった両親とは離ればなれになってしまった。おそらく、魔王軍に殺されているだろう。

 私は、隣国のロバイア国に流れ、ある貴族に雇われた。

 魔軍の侵攻で人類が危機に立たされている中、この貴族は自分の出世に邪魔な人間を排除するために私を使った。

 いくつかの仕事をこなしていく中で、私はある出会いを迎える(筆者注:一度「運命的な出会い」と書いたのを書き直した痕跡あり)。

 それが、ラグナ・ローランドとの出会いだった。

 当時、彼は新進気鋭の冒険者で、何体かの名のある魔物を討ち取った功績があり、ロバイア国の正規軍にスカウトされていたのだ。

 彼は、非常に目立つ容姿をしているわけではない。身長は私とそれほど変わらないし、頭髪もくすんだ赤毛で、装備も剣を除けば普通の皮鎧だ。

 だが、なんだか眼を引く何かがあった。オーラ? とでも言うのだろうか。気になってしまう。ええと。

 ・・・・・・考えがまとまらない。

 この続きは明日書く。

 今日は明日からの旅の荷造りで疲れた。

 明日は早い。早く寝よう。


○白竜の月23日

 ラグナ・ローランド一生の不覚である。これほどのミスは、タバダダン砂漠で魔物の襲撃を受けて水を失った時以来だ。

 今朝起きたらマーヤがいなくなっていた。

 いつものように一緒に朝食をとろうとしたら一向に起きてこない。不審に思いながら部屋に言ったら、荷物がなく、代わりにテーブルの上に手紙が置いてあった。

『今までありがとう。楽しかった。 マーヤ』

 しばらく呆然としてしまったが、すぐに気を取り直して仲間の元に行き、状況を説明した。

 手分けして町中を探したが見つからなかった。すでに街を出ていると思われる。

 が、どうやら彼女は日記帳を買ったと思われる。本屋の主人の証言によれば、マーヤと思しき女が日記を買っていったらしい。

 あまり物を持ちたがらない彼女にしては珍しい。

 そういえば、国の大使が何人かやって来て、「よそには話さないでくれ」と言いながら何か言っていたが難しすぎて意味を理解できなかった。

 騎士団のとくべつこもん?

 王女のむこようし?

 とか、後でキュウゾウとナヴィラに意味を聞いておこう。

 とにかく、マーヤを見つけなければ。

 幸い、彼女は飛翔魔法を使えない。この街を出たらまた別の近くの街に立ち寄るはずだ。

 馬車を使っていない様子からして、徒歩での移動だ。目的地を定めずに動くようなタイプではない。先回りは出来るはずだ。

 キュウゾウとナヴィラにも捜査を頼んだが、キュウゾウが悪巧みをしている時の笑顔で、「見つけるのはお前の役割だからな」と言って来やがった。

 んな事はわかってんだよ。



○白竜の月23日 マーヤの日記

 昨日の日記を読み返して、まとまりが無いのに自分で驚く。ラグナはどんな風に書いていたのだろうか。

 一度彼の日記を読んだことがあったが、独り言を文章にしただけのような、まとまりがないものだった気がする。だからこれでいいのか?

 日記には独特の文法とかあるのだろうか。教わった事が無いのでわからない。

 まあいいや。

 慌てていた時の事を書いている時は日記でも慌てていたし、怒っている時は文字にしても怒っていた。

 読んでいると彼の内面もよくわかる。そんな文章だった。

〈注:ここからラグナに関する文章が続くが、ペンで消されている。〉


 私の出自は暗いものだ。

 元・暗殺者。魔王を倒したパーティには不似合いな存在だ。周囲からは武道家として認識されているが、その技術はそんな綺麗なものではない。

 敵を殺す。

 最小限の力で効率よく殺す。

 単純な戦闘技術なら、パーティの中では最弱だっただろう。

 ラグナは双剣の技では世界最高峰だったし、それに加えた雷撃・爆炎の攻撃力は、魔王の防御結界を打ち破るほどだった。その時は気絶したので見ていないが、キュウゾウはしっかり見たらしい。

 キュウゾウの膂力は間違いなく世界最強だろう。超重金属の武具を扱える人間は何人かいるが、48種のそれを扱えるのは世界でもあの脳筋だけだ。

 ナヴィラは性格こそ意味不明だが、魔法に置いては追随を許さない。私は魔法は詳しくないが、アーテナ魔法院に行っても『賢者』の称号を取れるに違いない。

 じゃあ、私には何が出来るだろうか。

 今の私に、出来ることは。

 また気が滅入ってきた。

 ペンを持つ手が疲れてきた。無駄な文章を書いたせいだ。



○白竜の月24日 ラグナの日記

 マーヤはおそらく、ハパンの街に向かっていると思われる。ジュークから近く、馬車を使わない街から考えると、一番可能性が高いのはそこだ。

 何より、マーヤの性格からして間違いない。

 キュウゾウは彼女を秘密主義と言ってはばからないが、 好物は川魚。趣味は散歩。料理は苦手。スリーサイズはさすがにわからんが、胸が小さい事を気にしているな。

 結構マーヤはわかりやすいと思うのだが。まあ、とにかく。

 マーヤを捕まえる算段を取ろう。

 わざわざこっそりいなくなるほどだ。俺が追っていることを知ったら逃げ出すに違いない。そして、本気で逃げられたら見つける自信がない。

 いや、逃げられるのはいい。追えばいいからだ。隠れられたらマズい。絶対に見つけられない。

 何しろ、向こうの隠密能力は間違いなく世界最高だからだ。

 シュフリ砦を魔軍が乗っ取った時、彼女が砦に忍び込んで見取り図を作ってくれなかったら、猪野郎(筆者注・山破将軍ハンスロウの事と思われる)は倒せなかった。鼻が利く魔犬や眼が利く魔鳥が大勢いたあの砦で、一切気取られる事無く作戦を遂行した彼女だ。

 隠れられたら無理。

 罠を張ってマーヤを待ち受け、一気に捕まえるしかない。

 作戦はこうだ。ハパンの街に先回りして、彼女が泊まる宿に当たりをつけ、俺もそこに宿泊する。部屋の位置も当たりをつける必要があるな。彼女が寝る時間も予想しよう。宿で寝たタイミングで部屋に踏み込んで、捕まえる。

 ・・・・・・あれ、結構穴だらけな作戦だな。

 作戦立案はナヴィラとマーヤの役割だったからな。この作戦を彼女に言えば心底呆れた顔をすることだろう。

 いや、ちゃんと詰めよう。豪華な宿は彼女は嫌うから、安めの宿だ。だが襲撃の可能性を考えて建物はしっかりした宿。

 逃走経路を考える癖もあるから、窓の位置と通りに面しているのは必須条件だ。

 あと、朝食にサンドイッチを買うのは間違いない。ハパンは川魚のイワナが有名だから、近くにそれを出す店がある宿。

 おお、結構絞れそうだ。



○白竜の月24日 マーヤの日記

 眠る前に日記を書いておこう。

 ハパンの街に到着した。

 この街に来るのは二度目か。確か、イワナがおいしかった記憶がある。明日の朝食は決まったな。近くに屋台があるのを確認した。

 一人旅は久しぶりだ。長いこと4人で旅をしてきたから新鮮な気分だ。

 野営でもないし、仲間がわいわいと騒いでいないので周囲に気を配る必要がないので楽だ。

 いや、正直に言うと仲間と旅をしていた時は周囲の警戒はそれほどしていなかった。暗殺者失格である。どんな敵が来ても彼らと一緒ならば大丈夫だ、と心から信じられたからだ。

 ラグナの剣技とキュウゾウの剛力とカンナヴィラの魔法があれば、どんな敵でも撃退出来る。

 実際、それで魔王を倒したのだから。

 いかん、せっかくの一人旅なのに。


 ラグナとの出会いについて書こうか。

 彼との出会いは、雇い主の貴族からの暗殺依頼だった。

 ラグナが功績をあげているのに嫉妬した貴族様が、ラグナの暗殺を目論んだ。

 その依頼を受けた私は何の躊躇もなく彼の命を狙ったが、悉く失敗した。

 毒も罠も襲撃も何故か彼には効かなかった。ナヴィラが魔術的な加護を施していた可能性はあるが、まさしく神に愛されているとしか言い表せないほどの幸運だった。

 食事に仕込んだ猛毒は彼が偶然せき込んで吐き出し、通り道に崖崩れの罠を仕込めばラグナを狙った魔物がそれにかかったし、最終手段の寝込みの夜襲で彼に捕まってしまった。

 その捕まったのも、ラグナがトイレに起きたからだ。

 後に聞けば「あの日は何となくコーヒーを飲んでしまって寝付きが悪かったからな」とへらへら笑って返された。

 子供か。お前は。

 まあとにかく(筆者注:これはラグナの口癖である)、夜襲に失敗した私は捕まった。自決を計ったがそれも毒針の毒が突然の雨で溶けてしまい、失敗。

 ラグナは、ナヴィラに言われるまで私に命を狙っていた事に気づかなかったし、暗殺者の私を解放しようとして窘められてもいた。

 口封じしなくてもいいのか、と賢者がラグナに問うていたのをよく覚えている。

「くちふうじってなんだ? 彼女の口をどうするんだ?」

「殺さなくてもいいのか?」

「ええ? こ、殺す?」

「彼女は暗殺者だ。ここで逃がしてもまた狙ってくるよ。依頼人はきっと貴族だろうから、次の刺客が送られてくるぞ」

「んー、人の命を奪うのは良くないからなあ」

 間の抜けたやりとりをする二人に私は呆れてしまった。どうせこいつらは放って置いてもどこかでのたれ死ぬ。

 特にこの平和ボケした剣士は。

 そう思っていた私の縄を、ラグナは呆気なく斬った。

 そして、今でも忘れない一言を私に向けた。

「一緒に来る?」

「は?」

「ちょうど男二人の旅に飽きてきていてさ。女の子がいると華があって助かる」

 華は華でも毒華だ。

 だが、私は自然と頷いた。

 互いのことは何も知らないし、何も知られていない。

 そんな仲間に、私は入った。

 それからいくつもの困難にぶち当たっていくが、私はこの決断だけは間違っていなかったと自信を持って言える。



○白竜の月25日 ラグナの日記

 マーヤの捕獲に成功した。

 彼女が泊まりそうな宿の部屋を見つけて半日ほど待ちかまえていたら、まさにやってきた。

 窓から様子を伺った時に見つかったかと思ったが、マーヤがにこにこしながら日記を書いていたのでバレずに済んだ。

 聞けば、俺の真似をして日記を書き始めたらしい。

 なんだか嬉しい。

 まあとにかく。

 マーヤが勝手に出ていった理由を問いつめたが教えてくれない。

 頑固者め。

 彼女が意固地になることはたまにある。作戦が失敗した時にその責任は自分にある、と言って聞かない時などだ。

 だが、今回彼女が意固地になっているのは少し様子が違う。何か深い理由があるのだろうか。

 マーヤを見ながら考えていたら蹴られた。いつもは叩いてくるのに、蹴りとは酷い。そんなに怒っているのだろうか。

 明日サンドイッチをおごるから許してくれ、と言ったらますます怒られた。

 そもそも何で私がここに来るとわかったんだ、と言われたので色々と予想を立てた話をした所、「そんなのは予想じゃない、ただの勘だ」と言い返された。

 仕方ないだろう。俺はただの剣士なんだから。と言い返したらまた蹴られた。

 マーヤがぷんすか怒っているので告白し損ねた。

 仕方ない。明日だ。明日こそ告白するのだ。


 また逃げ出すと行けないので今晩は彼女と俺にロープを結んで逃げないようにした。

 この日記を書いている間にマーヤは寝てしまった。

 寝顔を覗いていたら起きていたらしく、薄目で睨まれた。怖かった。

「ついでに言うが、私がロープを切って逃げてもお前は気づけるのか」と言われた。

 全く考えていなかった。だが、またきっと見つけると思う。

 と正直に返したらまた蹴られた。

 さんざんな夜だ。


○白竜の月25日 マーヤの日記

 最悪だ。ラグナに見つかって、しかも捕まってしまった。

 最悪だ。今、逃げられないようにアイツの体とロープで結ばれている。

 こっそり日記を書いているが、数秒おきにこっちをチラチラ見てくるし、怒っていないのが最悪だ。

 なんでこっそりいなくなった事を怒らないのだ、コイツは。

 しかも、明日はこの街を観光しようとか言い出したし。意味わからない。

 こんな事なら街に滞在せずにさっさと次の街に移動すれば良かった。

 のんびりし過ぎたか。

 けど、明日にはまた逃げ出すチャンスもあるだろう。



○翠竜の月1日 ラグナの日記

 今日はマーヤとハパンの街を観光した。

 キュウゾウとカンナヴィラには悪いが、連日の祝宴会は俺には答える。酒飲めないし。

 マーヤに約束通りサンドイッチを買ってやったりあちこちを歩き回った。

 街の人々は優しいし良い街だ。

 魔王が倒されて魔物の勢いが一気に衰えたのが大きいのだろう。人々の顔が明るい。良いことだ。

 だが、今日だけでもマーヤに7回も蹴られた。

 立派な牧羊犬がいたので撫でていたら蹴られた。マーヤは犬が嫌いなのだろうか。今までそんな事はなかったと思うのだが。

 変な形の笛を買って吹いていたら蹴られた。へたくそなのは認める。

 用を足しに行ったら蹴られた。眼を離した隙に逃げられたら困るので互いの体を結んだロープをトイレの中で引っ張ったのが良くなかったか。これは反省しよう。

 日記を覗こうとしたら蹴られまくった。「お前の日記を見てもいいのか!?」と怒鳴られた。

 一瞬、問題ないと言いそうになったが彼女に告白しようとしている事が書いてあるのでマズい、と思い当たった。

 明日にはジュークに帰らねばならない。

 今日くらいしか二人きりになれないのだが、告白できそうにない。

 ああ、俺の臆病者め。

 けど、告白するには雰囲気が大事だと思うんだよな。

 マーヤの寝顔が可愛いのでちらちら見ていたらまた睨まれた。

 もう逃げないわよ、と言われたがそうではないのだ。

 忘れないように彼女の顔をスケッチしよう。


〈筆者注:ここにマーヤの寝顔らしきものが描かれているが、まるで似ていない。〉



○翠竜の月1日 マーヤの日記

 ハパンでは酢漬けイワナのサンドイッチを食べたり、街一番の教会を眺めたりした。まるで観光客だ。

 街の人間の中には私たちの正体に気付いた様子の人間もいたが、ラグナがあまりに普通の青年のように振る舞うので確信をもてなかったようだ。

 そもそも、私たちのパーティはガタイのでかいキュウゾウと雰囲気が独特過ぎるナヴィラが目立つだけで私とラグナは地味な見てくれだ。

 キュウゾウは何種類もの武具を背負って歩いているし、カンナヴィラは人間離れした容姿と純白のローブを着ている。

 明らかに上位の冒険者然としている。

 今の私はオリハルコン製の手甲と脚甲を魔王との戦闘で失っているからただの旅人に見えた事だろう。私が何を言いたいかと言うと、ラグナは他人の眼を気にしなさすぎるのだ。

 こいつ、今世界で一番注目を集めている人間である自覚はあるのか?

 魔王を倒したんだぞ?

 世界最高の栄誉を獲得したんだぞ?


「マーヤ、でっけえ犬だな!」

 じゃねえ!

「見ろ、マーヤ、あの行商人さん、変な楽器売ってる!」

 買ってんじゃねえ!

「マーヤ、トイレ大丈夫? 俺は行きたい」

 勝手に行け!


 ラグナは全く気にする様子もなくふらふら歩いてハパンの街を満喫していた。

「あ、ロープで繋がったままで変な二人組って思われたかな?」と言われたので、「変な冒険者カップルと思われたでしょうね」と返したら顔を赤くして黙り込みやがった。

 なんなんだコイツ。調子狂う。



○翠竜の月2日 ラグナの日記

 飛翔魔法でジュークの街に戻ってきたら各国の貴族連中に囲まれた。

 二日間だけ街にいなかっただけなのに、すごい剣幕で迫られた。

 誰が約束したのだとか国同士でも揉めている様子だった。

 俺が困っているとキュウゾウが間に入ってくれて部屋に連れて行かれた。助かったよ、と感謝したらキュウゾウにも怒鳴られた。

 どうやら、前に俺が貴族連中の話を聞きながら適当に頷いていたのがよくなかったらしい。

 ロイド鉄心国。

 アリハルバル帝国。

 ノモト連合国。などなど。

 いずれもヒュードラル大陸にある主要国の王様の娘、つまりは王女との結婚が約束されているらしい。

 説明されても未だによくわからないのだが、魔王を討ち取った勇者を義理の息子にする事で国力が増大するのを狙っているだとか。つまりはセージリヨウしようとしているんだとか。

 そもそも勇者って何だ? 俺はただの双剣士だ。盾が買えない貧乏冒険者とか盗賊に多い役職だ(筆者注:当時の金属加工技術は現代に比べて稚拙で高い技術を持つ人間も少なかった。そのため、全身鎧や盾など大型な防具はどうしても高額だった)。

 いずれは国王になってもらうとかも言われたが、政治も何もわからないし。そもそも王女と結婚と言われても。そのうちの誰とも会ったことが無いのに。

 立ち寄った事はある国ばかりだが、大概は首都には行っていない。ましてや王族に会うわけがない。

「いいじゃない。一夫多妻制のヨーラム教に入信したら? それで解決よ。ノモトではそういうのをギャクタマノコシって言うんでしょ?」

 と立ち去るマーヤに言われて、泣きかけた。

 大体、そんな事が魔王を討ち取った報酬になるんなら他のメンバーはどうなんだ。

 キュウゾウは魔軍の幹部を倒した数では一番だし、魔王戦でも彼の時間稼ぎがなかったら負けていた。

 マーヤは旅の中で一番の功労者だ。野営する時の周囲の警戒やら薬作りや街の情報収集でも必要不可欠だった。あと可愛い。

 カンナヴィラは何を考えているのかわからない時はあるが、俺の魔法と剣術の師匠だし、そもそも彼がいなかったら俺はこうした旅もせずあの村でのたれ死んでいたはずだ。

 王女と結婚したいならキュウゾウがすればいい、と言ったらキュウゾウは「俺のような筋肉人間と王女が釣り合うわけないだろ。お前みたいなやつが丁度いいんだ」と言い返された。

 どういう意味だ。

 わからん。


 マーヤと結んでいたロープは勝手に切られた。

 不安になったので彼女の部屋に行ったらちゃんと部屋にいた。

 今度こそと思って、大事な話があるんだが、と言ったら、

「どの王女と結婚するかでしょ? 勝手に決めて。私に相談しないでよ」

 とつっけんどんに言われた。

 泣いた。



○翠竜の月2日 マーヤの日記

ジュークの街に連れ戻されたら、ラグナが貴族達にもみくちゃにされていた。

 どうやら、適当に喋って色々な国の王族と結婚する事になっていたらしい。

ラグナは困った様子で、キュウゾウは呆れかえっていた。カンナヴィラはいつものように楽しそうにニコニコしている。

 まあ、どこかの国の王女と結婚するんだろう。聞けば、主要国全部から話は来ている。思うに、ラグナが行った国が大陸を統一するだろう。

 どんな国であろうと、魔王を討ち取った勇者を無碍に出来るわけがない。たとえ国王がラグナのいる国に敵対しようが、その国民はラグナを支持するだろう。これは間違いない。

 あいつは今や英雄。いるだけで数十万人の人間が動く存在なのだ。

 キュウゾウは祝宴会で色々な国の要人と話し込んでいたようだし、何か大きな事業でもやるらしい。事業の内容を聞いたが、あいつらしい、面白い内容だった。あいつは単細胞だが実力と能力はある男だ。きっとうまくやる。

 カンナヴィラはわからないな。祝宴会でものんびりお酒を飲んでいるだけだったし、どこかの魔法院に入る様子もない。ラグナの師匠だからラグナについて行くのかも。

 まあ、どうでもいいか。

 連れ戻されたが、すぐにでも逃げ出してやる。まずは諦めたふりをしよう。ラグナなんてどうせ騙せる。

 あのお人好しは馬鹿だからな。

 どっかの阿呆王女と結婚でもすればいい。馬鹿と阿呆でちょうどいいカップルだ。結婚式は出てやってもいいが、キュウゾウと一緒に滅茶苦茶にしてやる。


 何で私はこんな日記なんか書いているんだろう。ラグナの物真似だと思うと腹立たしく感じる。


 

○翠竜の月3日 ラグナの日記

 王女達との婚姻を破棄する妙案を思い付いた。

 俺は既にマーヤと結婚していた事にすればいいのだ。

 魔王を倒す旅の中で二人は結ばれており、目的を達成した後には婚姻を結ぶ約束をしていた、というわけだ。

 二日ほどジュークにいなかったのはその、ええと契りを結んでいたからだ。

 だから皆様の王女様方とは一緒になれませんさようなら。

 仲間全員と口裏を合わせてもらう必要がある。だが、口裏を合わせてもらえれば貴族達にとっては矛盾はない。

 マーヤには聞かれないように細心の注意を払った。カンナヴィラはきっと面白がって乗っかってくれる。

 キュウゾウに話すと、彼はしばらく頭を抱えていたが、協力はしてくれると約束してくれた。

 しかし、お前はそれでいいのかと睨まれた。

 キュウゾウはいつも真剣な助言をくれる時はいつも目つきが鋭くなる。

 これでは貴族達との約束を反故にするために彼女を利用しているだけだ。マーヤを想っている事は間違いないが、彼女への告白に自分が困っている状況を使うのはよくない。

 ううむ。正論だ。

 流石、『女泣かせのキュウゾウ』だ。その男らしさ色々な街で浮き名を知られた男である。やはり女性関係は彼に相談するに限る。

 つまりは、順番だ。

 マーヤにきっちりと告白しよう。

 その上で、王女との婚姻を全部破棄してもらう。

 どんな言葉でマーヤに告白しようかとメモを作ったのだがどこかに無くしてしまった。

 内容は暗記しているのだが、あれがマーヤの手に渡っていたら恥ずかしさで死んでしまうかも知れない。



○翠竜の月3日 マーヤの日記

 今日の午前中はジュークの街をふらふら歩いた。王女の婚姻を結ぼうとしていた大使達を見かけたので、何人か『不可視の糸』で脚をひっかけて転ばしてやった。

 闇の暗殺技術をイタズラに使ってしまうとは、私も落ちぶれたものだ。

 ラグナとキュウゾウはひそひそと隠れながら相談事をしていた。

 どうせ婚姻に関する相談だろう。

 なら私も混ぜればいいのに。いい案を提示してやる。ラグナの馬鹿をもっと酷くしてやれば良い。

 一時間ごとに奇声を上げるクセがあるとか。剣を持つと常に鼻水が垂れるとか。みっともなくて情けないのがいい。

 そうしたら「こんな奴と結婚なんて!」と王女共もいやがるに違いない。

 何を話しているのかこっそり聞いてやろうとしたがカンナヴィラに止められた。

「彼も必死なんだよ」

 と言っていたが、どういう意味なんだろうか。せっかくなのでカンナヴィラと話す事にした。

 4人で旅をしていても、この賢者が口を開く事は少なかった。

 ラグナとキュウゾウが騒いで私が呆れてカンナヴィラはいかにもな優男風に微笑んでいる。そんな風景ばかりだったと思う。

 その優男にハパンにいた時は何をしていたのか、と聞かれたのでその時の話をしてやった。ラグナが馬鹿だったので何回も蹴ってやった話だ。

 賢者はずっとニコニコしていた。

 謎の男だ。年齢不詳。そもそも人間なのかが怪しい。ラグナに剣術と魔法を教えたのは彼だと言うが、魔法はともかく彼自身の剣術の腕は不明だ。4年以上も一緒にいるが、謎である。

 ラグナに文字を教えたのは彼で、日記を書く習慣がつくようになったのも彼の影響らしい。

 ふと気付いたらカンナヴィラが何かのメモを手にしていて、それを見つめていた。

 気になったので見せてくれと言うと、「明日のお楽しみだよ」と断られた。

 どういう意味だろうか。



○翠竜の月4日 ラグナの日記

 大失敗だ。

 こんなに絶望したのは人生で初めてかも知れない。魔軍に包囲された時でもここまで絶望的な気持ちで落ち込んだ事はない。

 整理しよう。失敗はしたが負けたわけではない、とキュウゾウに言われたじゃないか。


 マーヤに告白した。

 場所はジュークの街の外れ。取り壊された教会の跡地だ。今思えば、もっと雰囲気のある場所の方が良かったかも知れない。

 しかし、あの時は誰も来ないし、誰に聞かれない場所である事しか考えてなかった。

 相談がある、とマーヤを呼び出したのは悪くなかった。告白するからこっちに来てくれ、と言うわけにもいかないし、旅をしている時にマーヤにはこうして話しかけてもいた。

 マーヤに、いつもよりトゲトゲしく「何だよ相談って」と言われた時、緊張してしまったのが良くなかっただろうか?

 いや、その後の言葉は噛まずに言えたから、そこはそんなに原因にならないはずだ。

 告白する前に何気ない会話を振るべきだっただろうか。天気とか、今日の朝食とか、カンナヴィラの寝癖に気付いた? とか。無理だな。とってつけたような印象になる。

 告白の言葉が悪かったのだろうか。今朝になって紛失していたメモが見つかって、いくつかあった候補の一つに赤丸がしてあったのでそれを使ったのだ。

 今気付いたが、これはカンナヴィラがいつも使う羽根ペンじゃないか? あの賢者め、明日問いつめよう。

 ああ、くそう。無性に悲しくなってきた。

「結婚してくれ」

 とマーヤに言ったのだ。

 この言葉だ。この言葉が原因でまたマーヤは逃げ出そうとした。間違いない。もっと最初は付き合ってくれ、と言えば良かったのだろうか。

 逃げようとする、マーヤの腕を掴んだのが良くなかったのか。じゃあどこを掴めばいいんだよ。胴体か。胸か。あいつ胸無いぞ。

 あははは。

 泣きたい。

 泣いてる。

 腕を掴んだ、と思ったら地面が目前に迫っていた。

 あ、投げられた。と思った瞬間には俺は大地に叩きつけられていた。マーヤの投げ技は効く。実際、俺はしばらく立てなかった。

 とにかく、一番重要なのは、ここからだ。

「マーヤ!」と俺は叫んだ。確か、待ってくれと言おうとしたのだが、それが彼女に聞こえていたのか不明だ。

 マーヤは、確かに「断る!」と言った。

 この「断る」が「結婚してくれ」を「断る」なのか、「待ってくれ」を「断る」なのかがわからない。

 どっちを断ったのだ。

 後者であってくれ。頼む。


〈筆者注:見開き二ページに文字にならないインクの染みが続く〉

 

 あー、くそう。明日はまたいなくなったマーヤを追いかけないといけない。

 いろんな国の大使達は無視する。知ったことか。



○翠竜の月4日 マーヤの日記

〈筆者注:インクの染みがいくつか落ちている〉

 意味がわからない。

 ラグナに、なんと言われたんだっけ?

 その後、自分が何をしたのか覚えていない。

 とにかく、あいつから逃げ出して、宿の部屋に行って、荷物をまとめて街を出たのはわかる。

 今、私は森で野営している。

 荷物を確認したが、武器と野営する道具と日記は入っていた。食料や水はない。

 お金はわずかだ。数日分の食料は買えないだろう。

 どうしよう、ラグナのせいだ。

 ああ、何なんだあいつは! ここ数日、挙動不審だったのはああいう事か!

 ばかばかばかばーーーーーーーーか!


 日記を書いているとラグナの事を考えてムシャクシャしてしまう。

 精神衛生上良くない。

 私は暗殺者だ。

 落ち着け。闇に潜み、目標を殺す。それが私だ。

 冷静に、冷静に。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、無理。



○翠竜の月5日 ラグナの日記

 マーヤを探す旅に出る。

 今度はハパンの街で見つけたように簡単に行くものではないだろう。長期間に渡る旅だ。

 まずはキュウゾウとカンナヴィラには謝っておいた。しかし、カンナヴィラがニコニコしているのはいつもの事として、キュウゾウが腹を抱えて笑い転げているのが腑に落ちない。

 ジュークの街で貴族達を抑えてもらうわけだから、彼には感謝しないといけないのだが、無性に腹立たしい。

 あと、カンナヴィラがメモを盗んでいたことを問いつめたら、「弟子が難敵に挑むのを黙ってみていられなかったのです」と言われた。

 くそうくそう。

 ~のです、と言う時のカンナヴィラはふざけている時のカンナヴィラだ。俺は長い付き合いだから知り尽くしているんだ。

 まあいい。これは些細な事だ。

 マーヤの部屋に残されてたものからしてあまり金銭は持って行ってないハズだ。しかし、彼女がどこに向かったのか皆目検討がつかない。でも見つけるまでこの旅は終わらないのだ。いつ終わるかもわからない。

 ならば、

 ああ、考えがまとまらない。今すぐ飛翔魔法でマーヤを探し出したい。

 でも今は夜だ。夜に行動するリスクはマーヤにさんざん教えてもらった。

 ああ、マーヤ!



○翠竜の月5日 マーヤの日記

 ラグナから逃げおおせる妙案を思い付いた。

 変装だ。

 私の地味な黒髪を金に染めてしまおう。細すぎる体は過剰に食べまくって太ってしまえ。服装も、愛用の黒蛇のスーツではなく、街の女の子が着る普通のワンピースだ。

 それでどこかの街で何でもない人生を送ってしまおう。

 変装と言うより、人を変えるのだ。

 マーヤという女はもういない。

 偽名を考えてそれを名乗ろう。

 幸い魔軍の影響で混乱している地域もあるから、そこに行ってしまえば別人の人生を歩めるだろう。

 嘘を付くのは得意だ。

 どっかの馬鹿とは違う。私は優秀な暗殺者。世間が思っているような勇者のパーティにいる女武術家ではないのだから。

 何でもない女になって何でもない生活を送って生きよう。今までの人生こそ嘘だったのだと思える人生を生きよう。

 それで、きっとどうしようもない男と出会って適当に結婚するのだ。

 そうだ。私にあんないい男は不釣り合いだ。

 何だよ、100年も人類を苦しめた魔王を討ち取った勇者って。おとぎ話みたいじゃないか。嘘みたいな存在じゃないか。

 仲間思いで差別をしなくって強くて勇敢で物怖じしなくて人見知りしなくって前向きで料理が得意で子供が好きで老人に優しくて争いが嫌いで毎日日記を書くくらいまめな性格で手が温かくて脚が早くて細身だけど筋肉質で大食漢で嫌いな食べ物が無くって夕日を浴びると赤毛が静かに燃えているように綺麗で考え込む時に顎をイジる癖があってそれが様になってて馬鹿みたいに笑って何があっても挫けなくって諦めが悪くて


 全部私の真逆じゃないか。諦めろよ、私なんて。

 たまには逆境に挫けろ、馬鹿。



○翠竜の月6日 ラグナの日記 

マーヤを探してウェンドゥの街にやってきた。ジュークを出るときに相当慌てていたらしく、金銭をあまり持って行っていないはずだ。

 となれば、比較的栄えているこの街で稼いでから旅にでるのではないだろうかと推測してやってきたのだが。

 大通りの武具屋でマーヤが愛用していた黒蛇のスーツが売りに出されていた。見間違えようがない。何しろ毎日見ていたのだから。

 驚きながら店主に聞くと、売りにやってきた女が来たらしい。間違いなくマーヤだ。

 当然買い取った。龍の火炎すら防ぐ一品のためか、かなり高額だった。

 これは女物だぞ、と言われたが、そんなのは分かり切っている。

 匂いを嗅いだが間違いなくマーヤの匂いだ。間違えようがない。何度も嗅いだので間違いない。

 しかし、これでマーヤはある程度の路銀を手にしたことになる。次はどうする?

 今度は二度目の逃走だ。隠れきる策を練っているに違いない。


 そんな事を考えながら街の定食屋で飯を食っていたら、近くにマーヤに似た女がいた。

 思わず見つめてしまったが、髪は金髪だし服は普通のワンピースだった。ドレスの胸元がはだけていて、巨乳だったのでマーヤではない。

 眼鏡をかけていたが、鋭い目つきはマーヤによく似ていた。

 どうにもいかん。マーヤの事ばかり考えてしまってみんなマーヤに見えてしまう。病気みたいだ。

 子供の頃から風邪一つひいたことがないのが自慢だったのだが。



○翠竜の月6日 マーヤの日記 

 ウェンドゥの街にやって来た。

 この街はこの地域ではかなり発達しているので、色々な商流や人間が交わる場所でもある。ハパンの街のように呆気なく見つかる事はないだろう。

 まず変装だ。

 服は全て買える。安いドレスを買い、使えない装備は売り払った。スーツはもったいない気もしたが、あれは世界に一つしかないものだ。身につけていたら仲間にはすぐにバレる。売った金で適当な手甲と脚甲を買い直した。まあ、駆け出マーヤ冒険者っぽく見えるだろう。

 髪は金髪に染めた。それと眼鏡をかけて印象を変える。

 それでギルドに行って冒険者登録をした。偽名はサラ・デオンだ。

 サラ・デオン。田舎者っぽくてありふれていていいじゃないか。これが私の新しい人生だ。

 これからの身の振り方を考えながら街の定食屋で食事をしていたら、ラグナが来やがった。

 あいつ、なんて勘をしているんだ。しかも、私をジロジロ見てきた。もうバレたのかと思ったが、首をひねりながらどこかに行った。

 良かった。変装は完璧なようだ。

 これでこの街から出て行ってくれるといいのだが。

 うん。出て行け。最悪、出て行くようにし向けないといけないか。

 と考えながらスーツを売った武具屋の前を通ったら、スーツが無くなっていた。どこかの誰かが買ってくれたか。それなら嬉しいが。

 それはともかく。

 明日からサラ・デオンとしての新生活が始まる。



○翠竜の月7日 ラグナの日記

 マーヤを探してウェンドゥの街のギルドにやってきた。人相を伝えたのだがそれらしい人物はいない。

 彼女ならこの辺りの街で路銀を稼ぐのではないだろうかと思っていたが、もう少し粘るか別の街に移動するか悩む。

 ここでないなら東のモーレが候補になる。が、確かモーレで彼女がギルドマスターの文句を言っていたので、そこではない気がする。

 どうしようか悩んでいると、マスターに声をかけられた。

 何でも、魔王が討ち取られた事で各地の冒険者達が放浪の旅を止めていろいろな街のギルドに登録する拠点持ち冒険者になっているらしい。

 だが、彼らは荒くれ者が多く、ギルドとしても扱いに困っているらしい。登録を拒めば街で暴れかねないし、登録したらしたで協調性のある行動が取れない困り者連中のようだ。

 そこで、俺のような人間に監督役を頼みたいらしい。ん? そう言えば俺のような人間ってどういう意味だろう。聞いていなかったから、明日聞いてみよう。

 俺としてはマーヤが見つかればいい。適当に新入りを訓練して教育してやればいいだろう。

 教育役はしたことがないが、要するにカンナヴィラが俺にしてくれた事をやればいいだろう。

 手始めに何人かの冒険者をあしらってやった。実力は認めてくれたようだ。

 とりあえず、サラ・デオンという新人冒険者の教育係を任された。

 いかにも上京したてといった感じの女の子だ。年は俺と変わらないくらいだろうか。武術家だというのに眼鏡をかけている。どこかで会った事があるか、と聞いたら定食屋ですれ違ったらしい。すごい偶然だ。

 戦闘時に危ないから眼鏡を外せと言ったが頑なに拒まれた。

 拒まれるとマーヤの事を思い出す。何となく、サラを見ているとマーヤの事を考えてしまう。



○翠竜の月7日 マーヤの日記

 ラグナが私の教育係になってしまった。

 マズい。

 とりあえず、事の経緯を整理しよう。

 まず、ウェンドゥのギルドに登録しに行った。経歴は適当にフェイクを考えていたので問題はない。村の武術道場で修行をしていた体にして新人として登録してもらった。

 この街にある問題が起こっているらしい。放浪していた冒険者が魔王討伐以降に拠点持ち冒険者になり、街の冒険者があぶれているらしい。あぶれた連中が街で問題を起こしかねないし、そいつらを御せる実力者が欲しいようだ。

 私がその気になればそんな連中など相手にならない。が、新人で登録している私がいきなり熟練者を叩きのめすわけにも行かない。

 もう少し事前情報を取っておくべきだったな、と反省していたらギルドにラグナがやってきた。

 やはり私を捜しているようだ。諦めの悪い奴だ。

 近くにいた私の事をまじまじと見てきたが、変装を看破できなかったようだ。

 何だろう。変装術の腕に自信が持てるけど、4年以上も毎日一緒にいた男に気付かれないのは、それはそれで傷つくな。いや、傷つく必要はないんだけど。

 マスターは即座にラグナの実力を見抜いたようだ。いや、それもそうだ。

 使い込まれた白飛龍の皮鎧に、細かい傷が多い使い込まれたアテナ合金のブーツ。両手剣をいつでも抜けるように両手は自然に力が抜けている。

 熟練の冒険者に決まってる。

 何より、潜在魔力が尋常じゃない。私は常に横にいたから何とも思わないが、素の状態で上位龍種と同等の魔力なのだ。初めて奴を見る人間が魔力量を探ったら度肝を抜かれるだろう。

 このギルドマスターはどこかで武勲を上げた騎士か冒険者なのだろう。ラグナは考えもしないだろうが。

 マスターはラグナに実力を見せてくれと依頼して、例の問題ある連中を連れてきた。明らかに荒くれ者、といった風体だったが、体躯と武具の具合からして明らかな手練れだ。魔軍の侵攻を最前線で支えていた冒険者だ。魔物将軍レベルは無理でも、一対多なら隊長辺りは倒せるだろう。

 でも、ラグナの相手ではない。何しろ魔王と渡り合った男だ。

 双剣も抜かずに倒してしまった。やられた方は心が折れるだろう。ああいった手合いはプライドが高いから、街を出て行くに違いない。

 そんな風にラグナの様子を眺めていたら、マスターが彼を教育係に雇うことになっていた。

 そこにちょうと登録したばかりの私がいて、「じゃ、彼女をよろしく」と決まってしまった。

 マズい。バレる。

 冒険者としての心得とか野営の仕方などの基本的な教養を教わる事になるらしい。

 いや、こいつに教えたの私なんだけど。ラグナもカンナヴィラも、魔物除けの魔香とかたき火の仕方も知らなかったから私が一から教えたんだけど。

 呆気に取られているうちに決まってしまった。ああ、くそう。これならモーレの街に行った方がよかったか。でもあそこのギルドマスターは口が臭くって嫌いなんだよな。

 ラグナが「よろしく」と握手を求めてきたので、緊張したフリをして素っ気なくしてしまった。

 戦闘中は危ないから眼鏡を外した方が良い、と言われたのだが、外すとバレる気がするので頑なに拒否した。

 それにしても、あいつの視線が私の胸に集中しているような気がする。

 気のせいか?  



○翠竜の月8日 ラグナの日記

 サラを連れて基礎訓練をしてきた。

 彼女は飲み込みがいい。野営の仕方などは父親と狩りの同行で覚えてしまったらしい。

 武術についても田舎の道場で修行をしてきたようだが、基礎は仕上がっているし時折見せる蹴り技は素人とは思えない。俺が昨日戦った冒険者など相手にならないだろう。

 一瞬素人ではないのか、と思ったのだが本人が素人だと言うのだから素人に違いあるまい。

 眼鏡を外せと再三言ったのだが断られた。眼鏡を外すとマズいのだろうか。

 いや、それにしても彼女は胸が大きい。

 昨日からちらちら見てしまう。バレると怒られる。何より、そんな事がマーヤに知られたら軽蔑される。

 告白した相手を追いかけてる間に出会った女の子の胸を見ている男。誰がそんな奴と結婚してくれるのだろうか。

 しかし、サラの胸がマーヤにあったら完璧だな、と思い付いてしまって罪悪感が一気に膨れ上がってしまった。

 それが原因というわけではないのだが、訓練の休憩中に、サラにマーヤとの事を話してしまった。

 俺が魔王を討ち取ったとかの話は伏せて、告白した女の子を追って旅をしている、という話にした。

 あくまで、サラに意見を求めるつもりだ。当然だが、大きい胸を見つめていた罪悪感とかは伏せた。

 サラは顔を真っ赤にして聞いてくれたが、俺がマーヤを追いかけた方がいいのかは答えてくれなかった。

 その話をしてからサラは体調と崩してしまい、彼女の訓練は明日になった。

 悪い事をしてしまったかな。



○翠竜の月8日 マーヤの日記

 こんなに悶え苦しんだ一日は、かつてなかった。

 何なんだ、あのバカは。世界最高のバカなんではないだろうか。いや、間違いなくそうだ。


〈インクのシミがのたうち回っている〉 


 午前中の訓練は適度に手を抜いて素人感を出していたが、手を抜いたポイントを的確に見抜いて指摘された。

 思えば、あいつに体術を教えた事がたびたびあった。大概の技術を教えるとあいつの方が上手になって悔しかった記憶がある。

 それはともかく。

 午後に昼食を食べながらマーヤについての相談をされた。

 あのバカは出会ったばかりの私に洗いざらい喋りやがって、私との出会いだとか魔軍との戦いだとか。

 大馬鹿でもなければ「こいつ、魔王を倒した勇者じゃないか?」ってバレるぞ。いや、そもそもこいつギルドに登録したの本名だったな。隠す気がないのだ。確実に馬鹿だ。

 マーヤの可愛いポイント10個の下りで私が死にそうになってしまった。つらい。こんな間抜けと私は冒険していたのか。ちっとも私の正体に気付く様子がないし。

「いやあ、君と話してると他人な気がしなくって、話しきってしまった」とか笑い出した。

 こっちは恥ずかしくって死にそうなんだよ。実際、訓練をサボって宿で恥ずかしさで転げ回っていた。


 しかし、これを続けるのは無理だ。

 この生活は無理がある。サラ・デオンとして生きていくプランを考えていたわけだが、ラグナは私を諦めないだろう。

 思い返せば、あの馬鹿に各国の王女からの婚姻話が来まくっていた時、私は奴に嫉妬していたのではないだろうか。

 一度逃げ出したのは、私の出自がどうこうではなく、あいつが誰かと結婚するのを見たくなかったからだ。

 告白された時、私が逃げ出したのは、うまく言葉に出来ないが、私も思っていた深い想いを言い当てられたような気がしたからではないだろうか。

 ラグナに心の弱点を突かれて、怖くなってしまったのではないだろうか。

 私は、ラグナ・ローランドが異性として好きなのだ。



 書いてみたら冷静になれた気がする。

 明日はギルドに行ったら眼鏡を外してしまおう。金髪はすぐにどうにもならないが、眼を見たらラグナもわかるだろう。

 その後は、まあ、なるようになれだ。

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