散
薄暗い通路に微かに残る金属の反響音が、緊張を引き延ばすように続いていた。
マーカスが先頭で目を凝らし、無言のまま進む。
背後をついてくる機械長靴の音が少しずつ重くなる。
「……足、遅れてるぞ」
彼の一言に、ゲイルが冗談交じりに口を開いた。
「いやー、さっきの化けモン見た後だと、足取りも慎重になるっての」
「……僕も、あんなの、初めて見たよ……」
ゼンが声を潜めるように言った。
先ほどの遭遇が、まだ頭から離れない。
天井から滴った粘ついた液体。
光を反射しない毛に覆われた体。
眼球のない顔面と、節くれだった無数の脚。
あれは、獣でも、虫でも、ましてや人間でもなかった。
「リオ・ミュータント……原生生物の変異体だ」
マーカスが呟く。
「ミュータントって、もっとこう……獣っぽいヤツじゃなかった?」
ドリーが肩越しに訊く。
「ああ。これまで遭遇した個体はな。だが、今のは違ったろ?異様に長い手足、異常な反応速度……なにより、あの“意志”を持ったような動き……」
「なにかに、影響を受けたのかな……」
ゼンが小さく呟いた。
「……ああ。何かがこいつらを“変えてる”可能性はある。腐敗でも、突然変異でもない。もっと……別の“知性”というか”意思”に近い何かがな」
誰も言葉を返さなかった。
赤茶けた岩壁に囲まれた通路の奥に、空気の“重さ”のようなものが漂っているのを全員が感じていた。
「何にせよ、深追いは禁物だぜ。今回はあくまで探索メインだからな。生きて帰ることが前提だ」
マーカスの言葉に皆が頷き、再び足音だけが通路に鳴り響いていった。
壁に薄く貼り付く苔のような藻が、微かに燐光を放ち、スティーヴンの目に映る。その光は、不思議と心を落ち着かせるのだった。
——だが彼の胸中には、はっきりとした疑問が残っていた。
(あれは本当に“生き物”なのか……? それとも、何か別の……)その思考は霧のように揺らぎ、次第に形を失っていった。
スティーヴたちが辿り着いたのは、かつて広場だった場所だった。
崩れた柱、ひしゃげたベンチ、割れた舗装の間にわずかに残る人工芝の名残。誰かがここで暮らしていた証が、風化と静寂の中に沈んでいた。
朽ちかけたモニターには、かつての謳い文句がホログラムで表示されていた。
──「地を拓け、未来を育め」
だが、肝心の文言は半分以上ノイズと焼け焦げで消えており、その意味を完全に読み取ることはできなかった。
「……ここ、すごく静かだな」
ゲイルが、冗談めかして笑った。
「静かな場所ほど、何かが潜んでいるものだ」
マーカスが、手にした軽機関小銃を軽く構える。
しばらく進むと、古びた建物の入口に電源が通っている扉があった。まだ生きているらしく、アクセスパネルが点滅していた。
「……電力が通ってる?こんなに奥まで……」
ゼンが立体マップを操作して首をかしげる。
「開けられるか?」
「いや、カードキーが必要っぽい。僕たちのIDじゃ無理だ……」
「手頃な爆弾もない……爆破もできねえってわけかい」
ドリーが歯噛みした。
「カードキーなら、責任者の部屋だろうな」
スティーヴは周囲を見回す。
ゼンがマップに手をかざすと、うっすらと地下層への階段が表示された。
「こっち、階下に“管理棟兼ラボ”がある……責任者室があるとすれば、たぶんそこだと思う」
彼らは無言で頷き合い、崩れた広場の隅にあった半ば埋もれた階段を下りていった――――――
――――――階段は深く、まるで地の底へ降りていくかのようだった。
ひび割れた壁。
緑青の浮いたパイプ。
そこかしこに、見覚えのある黒い液体がべったりと付着している。
「……嫌な予感がする」
ドリーは小さくつぶやく。
地下階の入口だったと思しき場所は、かつては自動ドアだったらしい。今は力任せにこじ開けるしかない……
「せーのっ」
スティーヴンとマーカスが同時に押し、金属音を響かせながら開いたその先には……
ギチ、ギチ、ギチギチギチ……
不規則な呼吸音のような音。
群れのざわめきのような振動。
ヤツらが、いた。
黒い、うごめく影が無数に。
空気が腐ったような臭気と熱気を含んでいた。
「おいおい……こりゃ、まるで”巣”じゃねぇか」
ゲイルが吐き捨てる。
息を飲んだ。
彼らはすぐさま物陰に身を潜め、声もなく身振りだけで進む方向を確認し合った。
奥に、部屋らしき扉がある。おそらく責任者の部屋へ通じる扉だろう。一行が慎重に足音を殺して進んでいるときだった。
ドリーが、壁際に積もった埃の中にあった何かに背を預けた。
その瞬間、プツッと鈍い音。
「……?」
ブヨっとした手触りが、ドリーの背中越しに伝わってきた。
振り返った先には、丸く膨らんだ繭のような“卵”。
「あ、やば──」
パカん……!
小さく鋭利な脚が現れ、ガラスのような音を立てて殻を突き破った。
ドリーがすぐさま短刀で斬りつける。
しぶきとともに、孵化したばかりのそれが絶命する。
が──遅かった。
ギチギチギチギチギチギチ!!
巣全体が反応した。
周囲の卵が一斉にざわめき、殻が揺れる。
「まずい!スティーヴ!!」
「逃げろッ!!!」
怒声が響く。
四方八方から殻が弾け、孵化したばかりの幼体が次々と現れた。
ゲイルが四方八方にブッ放す!
が、全く処理できる量では無い。
「もういい!行くぞゲイル!」
スティーヴンがゲイルを諭し、無駄な発砲を辞めさせた。
抵抗が無意味だと誰もが解るほど、無数のミュータントがギチギチと音を立てて襲ってくる。
「部屋を目指せ!責任者の部屋まで駆け抜けるぞッ!!」
彼らは一斉に走り出した。
混乱の中で進路を分ける分岐があり、
──バンッ!!
ドリーとスティーヴは右、
マーカスとゼンとゲイルは左へと分断されてしまった。
スティーヴは、荒い呼吸を抑えながら薄暗い通路を振り返る。
「……ちっ、最悪だな」
彼は背後にいるドリーを確認しながら、再びマシンライフルを構え直した。
「ゼン……」
やはり姉ということもあってか、彼女は少し心配してるみたいだった。
「きっと大丈夫さ、行こう」
「ああ……」
スティーヴとドリーは薄暗い通路を進んでいた。
壁には古びたサインプレートが斜めに傾いて残っており、所々に腐蝕した照明の名残が見えた。
広がる静寂は、不自然なほどに耳に痛い。
「……部屋、ずいぶん分かれてるな」
「責任者って、たぶん一番奥じゃん?そういうのってさ、だいたい偉い奴ほど奥にいるし」
小声のやりとりを交えつつ、足音を殺しながら、2人はひとつひとつのドアを確認していく。隣のフロアから壁越しに、くぐもった発砲音が響いた。
スティーヴが足を止めると、ドリーも眉をひそめて耳を澄ませた。
「……ゼンたちだよ、たぶん」
彼女の声が微かに震えていた。勝気なドリーが、唯一見せる脆さ。弟のこととなると、無関心ではいられないらしい。
「行こう。こっちが終われば、すぐ合流できる」
「……わかってる」
進むごとに、床には空薬莢が散らばり、壁には弾痕が刻まれていた。使えそうな機械式手榴弾も見つかった。
スティーヴは軽く手の中で重さを確かめる。
「……こいつが使われてたってことは、ここも戦場だったんだな」
「生体反応、ほんとあてになんない……」
最奥のドアに辿り着いた2人は、息を合わせてそれをこじ開けた。中は薄暗く、埃の匂いと何か焦げたような鉄の臭いが漂っていた。簡素な机、散乱した書類、そして……血の跡。
「何か……残っててくれよ」
スティーヴは引き出しを一つずつ開け、机の下も覗いたが、何もない。
懐中ライトがあった。
まだ使えるが……
「クソ……空振りか」
その時、机の先でドリーの声がした。
「……人、いた」
壁際に打ち捨てられた遺骸があった。
血染めの骨まで剥き出しにされたそれは、例の黒い液体にまみれ、既に正体も判別できなかった。
だが、胸ポケットに挟まれたカードが目に入った。
「スティーヴン……これ、カードキー……!」
「やったな……!」
短く喜びを分かち合うと、スティーヴンは天井を見上げた。排気用のダクトがあった。カバーは老朽化しており、どうにかこじ開けられそうだった。
「……ここ、通れるかもな。とりあえずアイツらと合流しよう」
「少し狭いけど、やってみるしかないわね」
落ちてた工具を使ってダクトを開け、2人は順に滑り込んだ。
無骨な金属の中を慎重に進んでいく。
どこかに繋がっているはず……
やがて、一つの部屋の天井に出た。
「……ここ、いけそうだ」
ドリーの言葉に頷き、スティーヴは蹴りを入れてカバーを外す。2人は慎重に部屋に降り立った。
そこは広く、見渡せる空間だった。だが、違和感があった。
「……さっきまでの、銃声が……止んでる」
沈黙が、妙に重くのしかかる……
その時、部屋の奥から声がした。
「ドリ〜!ここだよぉ」