8
先程、糸原は必要以上の情報を与えないと決めたばかりだが、どうやら彼にこの手は通じないらしい。彼が興味を持った情報を提供しない限り、話は終わらないようだ。
糸原は諦めて、素直に話に応じることにした。
「部長と妻は古くからの知り合いでして。私も妻が大学の後輩だったので顔見知りではあったのですが、結婚に至ったのは部長の紹介があったからです」
「笹本さんと奥様が知り合いだったというのは、どういう経緯で?」
「妻の父は西城大学の教授をしていましたので、その頃の教え子だったそうです。目をかけて貰っていたようで、家にも何度か招かれたと。それで、妻とも仲良くなったそうです」
「なるほど……。奥様のお父様はまだ現役で教授をされているのですか?」
「いえ、七年前に亡くなっています」
「七年前というと……」
少し考え込んだ葛西は何かに思い当たったようだ。
「もしや、大学で起きたあの火災で亡くなったのでしょうか?」
「ええ」という糸原の答えに、葛西は「なるほど、なるほど」と大きく頷いた。
七年前、西城大学の研究棟の一室で火災が発生した。その研究室全体が丸々焼失するという、大きな火災だった。焼け跡からは、妻の父である対馬教授の遺体が発見された。普段は火の気のない研究室だっただけに、放火を疑う声が上がったが、調査の結果、事故で決着がついた。
「とても興味深いですねぇ。奥様の身近な方が二人も事件絡みで亡くなっているとは」
葛西の無神経な言葉は、糸原の癇に障った。
「葛西さんは、私の妻を疑っているんですか?」
強い言葉で言い返す。葛西はキョトンとした顔で糸原を見つめた。それから相好を崩し、「いえ、疑ってはいないです」と首を振った。
「ただ、犯人ではないにしても、二人も身近な人間が事件で亡くなっているのなら、それは何かしらの意味があるのでは、と考えるのは当然です。……糸原さんはそうは思いませんか?」
「私は刑事ではないので、そんな風に考えません」
「そうですか。刑事特有の考え方なのですね」と葛西は笑い、「気分を害したのなら、申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
「……ちなみに、警察が疑っているのは、笹本さんのご子息の廉くんです。できれば廉くんの情報をいただきたいのですが」
余りにもあけすけに葛西が言う。それに狼狽したのは、糸原よりも一緒にいた藤田の方だった。
「ちょっ、葛西さん……勝手に捜査情報漏らさないで下さいよっ」と非難の声を上げる。
葛西は「どうして?」と笑顔で応じた。
やはり、この男は、苦手だ──。
刑事同士の遣り取りでも、一向に笑顔を崩さない葛西を眺め、糸原は思った。
「なぜ、警察は廉くんを疑っているのでしょうか?」
糸原の問いに、二人は話を止め、向き直る。
「何か根拠があって、おっしゃっているのでしょうか?」
「根拠ですか……」
葛西は首を捻り、「根拠はないです」とあっさりと答えた。
「ない?」
「はい。ただ、家庭内で事件が起きたのにその場にいなかった。だから探している。ただそれだけです」
「それなら、廉くんを疑っているわけではないんですね?」
「いえ、疑ってもいます。事件に巻き込まれて連れ去られた可能性も考えています。あらゆる可能性を考え、捜査しているのです」
「そうですか……」
「糸原さんは、廉くんの行き先に心当たりがないですか?」
葛西が余計なことを言い出す前にと、藤田が話を引き受ける。
「ないですね……」
「近くに笹本さんの身内や親しい方はいらっしゃいますか?」
藤田は葛西と違って、通り一遍の質問をするタイプのようだ。
「いいえ。近くに頼れるような身内はいなかったはずです。部長は一人っ子で、ご両親は既に亡くなられていますし、奥さんは県外の出身ですから。親族がいても県外になってしまいます」
「そうですか。それなら、どこに行ったのかな? お友達の家かな?」
「すみません、交友関係までは、私も分からないです」
「そうですよね。あ、ご親戚の連絡先は分かりますか?」
「事務の方で把握してると思います」
「事務ですね、分かりました」と藤田は手帳を閉じた。
「すみません、お時間を取らせまして」
藤田は頭を下げ、立ち上がった。しかし、葛西はソファーに座ったまま、優雅にコーヒーを啜っている。
「葛西さん、行きますよっ」と藤田が急かすのを、「どうぞ、どうぞ」と葛西はやんわりと断った。
「私はもう少し糸原さんとお話ししていきますので」
瞬間的に、藤田の顔が引き攣る。心の中で「このバカ上司」とでも叫んでそうな顔だ。
「ご迷惑になりますから」と葛西の腕を掴み、立ち上がらせようとする藤田をよそに、葛西は彼の手を引き剥がし、「大丈夫ですよねぇ」と親しげに同意を求める。
呆気に取られ返事に困っていると、「大丈夫なんですね、それじゃあ、事務に行ってきます」と藤田は厄介払いできたとばかりにドアへと小走りに向かう。
その背中に、「ご親戚の方に連絡お願いね」と葛西は手を振り言った。
*
「あの、お話しというのは?」
藤田が出て行ってから、しばらく経つというのに、葛西はのんびりとコーヒーを飲んでは、部屋の中を物色している。痺れを切らして、糸原は尋ねた。
「そうですね……」と葛西は窓の外に目を向けた。
いつの間にか日もだいぶ昇り、外は明るくなっていた。
「糸原さんは廉くんの行方をご存知なのでは?」
「えっ?」
一瞬、昨夜の一件が頭を過ぎる。色々あって、随分前のように感じるが、つい二、三時間前の出来事だ。
「すみません、カマをかけてみました」
ふふっと葛西は笑った。
「──でも、何かご存知なのですね」
一瞬の表情の変化を目敏く捉えた葛西が、珍しく笑いを取り去り、真剣な面持ちを見せた。