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白血病だと分かったのは、二年前の春だった。
それ以前から、体の不調には気づいていた。
妙に疲れやすかったり、風邪をひきやすくなったり。
しかし、研究に夢中になるあまり、後回しにしていた。
桜が芽吹き、開花の報せが各地から届き始めた頃、倒れた。
検査で急性骨盤性白血病と診断された。成人がかかりやすいタイプの白血病だ。
治療はすぐに始められた。白血病の治療は早ければ早いほど効果が期待できるからだ。
一年ほど入院し、化学療法を受けた。しかし、病状はほとんど改善されなかった。更に体がこれ以上の治療に耐えられないと言われ、治療もできなくなった。
自分は死ぬのか、と思い至った時、MA1ウィルスの存在を思い出した。
あれなら、病気を治せるのではないか──
笹本と相談し、MA1ウィルスの投与を行った。
が、効果は現れなかった。
一週間経っても、一ヶ月経っても、体調は優れないままだ。
原因を探ろうと研究を続けるうちに、MA1ウィルスの弱点を見つけた。
MA1ウィルスの感染方法は特殊だ。
彼らは、まず、新しい傷口の組織に感染する。そして、傷口を塞ごうと現れた血小板を捕らえ、己の遺伝子を血小板へとコピーする。
これは、HIVなどのレトロウィルスにも見られる性質だ。
自身のRNAを逆転写酵素によって二本鎖DNAに変換し、宿主となる細胞のDNAを乗っ取るというものだ。そうすることで、ウィルスは、宿主細胞を自由に操れるようになる。
まさに、MA1ウィルスもそうなのだろう。血小板を自由に操れる術を手に入れたそれは、次なる段階として、体内への侵入を試みる。
フィブリンと重合することで血餅となり、血液の流れに乗って、肝臓を目指す。そして、肝臓に辿り着くと、肝臓組織への侵略を始めるのだ。
MA1ウィルスの体内感染は、必ず肝臓から始まる。彼らにとって、そこが侵略を拡げるために重要な役割を果たすからである。
本来なら、血小板と結びつくとか、フィブリンと重合するとか、まどろっこしい方法を使わなくても感染できればいい。
しかし、残念なことに、MA1ウィルスは白血球、特にリンパ球に非常に弱いという性質を持つ。
故に、血液中を移動するためには、血小板とフィブリンを利用して攻撃されない鎧を纏う必要があるのだ。
単なる輸血で感染しないのは、この性質のせいだ。
その後は、肝臓から血餅となり移動し、じわりじわり感染範囲を広げていく。MA1ウィルスの感染には、血小板とフィブリンが必須で、肝臓はその両方を揃え易い場所なのだ。
MA1ウィルスは、大道が知っているウィルスの中でも、かなりの戦略家だった。
前述した通り、MA1ウィルスの感染には、血小板が不可欠だ。
しかし、骨髄性白血病の場合、リンパ球以外の血液細胞を作る骨髄芽球が、がん化してしまう。
つまり、正常な血小板を作ることが難しくなるのだ。感染に不可欠である血小板は少なくなるのに、ライバルのリンパ球は以前のまま。
これでは感染するのは無理な話である。
この白血病の状態を作り出すことが出来れば、ウィルスを排除することができるのでは、と大道は考えた。
そこで、笹本の協力を得て、MA1ウィルスの対抗薬を開発していたのである。
また、その過程で他の収穫もあった。
がん化した骨髄芽球(白血病細胞という)もMA1ウィルスの天敵になる、ということだ。
新たな有効成分も発見し、研究は軌道に乗っていた。
笹本からの申し出があったのは、一年ほどの研究を経て、マウスでの成果が見えてきた時期のことだった。
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どうやら、笹本の体調に変化はなさそうだ。
血液の状態を確認すると、MA1ウィルスを包む血小板や血餅を、試薬に含まれる白血病細胞が内部に取り込み、吸収していた。
上手くいけば、このままMA1ウィルスだけを取り除いてくれるだろう。
一週間後の検査を約束して、笹本は帰路についた。




