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廉を葛西と一緒に支え、駐車場の入り口まで歩く。途中、廉は何度か膝をつきそうになったが、自力で車まで辿り着くことができた。
──だが、体力も痛みも限界なのではないか。
後部座席のシートに廉を凭れさせながら、糸原は思った。
浅く短い呼吸を何度も繰り返し、苦痛に顔を歪める廉は、時折襲ってくる強い痛みだけが、辛うじて意識を保たせているように見えた。
糸原が手を離すと、廉はズルズルとシートに倒れ込んだ。自分を支える力すら残っていないらしい。
反対側のドアから後部座席に乗り込み、「大丈夫かい?」と声をかける。廉はわずかに頭を動かし、頷いた。
「み……ずき、は……」
声を絞り出し、尋ねる。
糸原はスマートフォンを手に取り、追跡アプリを立ち上げた。
ややあって、瑞樹の位置情報が表示される。ここから少し離れた丘の上の住宅街の中を走っているようだ。
糸原も何度となく通った道である。その道の先にあるのは──
「西城大学……」
糸原が呟いた。
「やはり、西城大学ですか」
葛西が糸原の声に反応し、車を急発進させる。タイヤを軋ませながら車体を半回転させ、道路へと合流した。
あまりに乱暴な運転に、廉が後部座席から転げ落ちそうになり、糸原は慌てて廉の体を抑えた。
廉は眉間に皺を寄せたまま、荒い呼吸を繰り返す。糸原はそっと頭を撫でた。
西城大学へはここから、十分ほどだろうか。
それまで、廉が持ち堪えられるかは微妙である。壊疽は既に肘の辺りまで広がり、まるで生き物のように更なる侵食を続ける。
「……い、と、……さん」
苦しげに廉が言葉を発した。
「ごめ、ん……」
「ごめんって、何が?」
廉の真意を掴みかねて、糸原は聞き返した。
「ぼく……いっ、ぱい、ひどい……ことした、よね……」
──暴走してた記憶が残っているのか。
糸原は頭を撫でる手を止め、押し黙った。
自分の意思に反して人を傷付けたのだから、思い出したくない記憶だろうに、と糸原は眉をひそめた。
「ゆか、ちゃん、……だいじょう、ぶだった?」
ああ、と糸原は頷いた。
「おなか、のこ、も?」
「……お腹の子?」
驚いて、廉を凝視する。
なぜ、それを知っているのだろう?
由佳の妊娠は、廉が失踪したあとで分かったことだから、彼が知るはずもない。しかし、廉は当たり前のように『お腹の子』と言った。
もしかしたら、と糸原は運転席の葛西の横顔を見つめた。
*
「廉くんは、感染者の居場所が分かるのだと思います」
寝室に防犯ブザーを取り付けながら、葛西が言った。
「居場所が分かる?」
突拍子のない言葉に、糸原は聞き返した。
「なぜ、そう思うんですか?」
「被害者を探し当てて、連れ去っているからです」
葛西は作業を続けたままこともなげに言った。
「それは住所を知ってさえいれば可能なことなのでは?」
糸原の疑問に、葛西は首を振った。
「では、仮に、糸原さんが私の家の住所を知っていたとします」
「ええ」
「訪問時に、私がキッチンにいるかリビングにいるか、はたまたお風呂にいるか、分かりますか?」
「あ」
葛西の質問に、確かにそうだ、と糸原は納得した。
「住所を知っていたとしても、目的の人物のいる部屋をピンポイントで当てることは、難しいでしょう。しかし、侵入者はそれをやってのけた」
葛西は作業の手を止め、糸原を見つめた。
「私は、感染者同士で呼び合うのでは、と考えています」
「呼び合う?」
「ええ。『共鳴』というのでしょうか……」
なるほど、と糸原は頷いた。
「ですので、瑞樹くんと由佳さんを別の場所に移動させても無駄だと思いました。それで、守りを固めることにしたのです」
葛西は、悪戯っぽく笑った。
*
感染者同士共鳴するという、葛西の予想は当たっているのか? だから、廉も由佳のお腹に子供がいることを知っていた?
色々尋ねたいことはあるが、苦しんでいる廉に多くのことを聞くのは酷だ。
糸原は、大丈夫だよ、と答えた。それに廉は安心したように微笑む。
それにしても、この壊疽──
糸原はじわじわと拡大を続ける壊疽に顔を顰めた。
被害者の写真では、壊疽は内臓にまで及んでいた。廉も同様の進行をしているのなら、今も意識を保っていられるのが、不思議なくらいだ。
──早く瑞樹を見つけなければ。
糸原の気持ちは急いだ。




