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満月に狂う君と  作者: 川端睦月
被験者
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「では、改めてお聞きしますが」と葛西の鋭い視線が糸原を捉えた。

 糸原はすっかり萎縮し、葛西の口から言葉が発せられるのをじっと待った。


「──対馬教授の被験者となられた方は、全部で何人いらっしゃるのでしょう?」


 葛西の質問に、糸原は記憶を呼び起こす。


「確か、七人です」

「なるほど。その中には、糸原さんの奥様も含まれるのでしょうか?」


 はい、と糸原は答えた。それから、ただ、と言葉を継ぐ。


「全ての被験者を把握しているわけではありません。日誌は九年前で止まっているので。そこから教授が亡くなるまでの二年間の情報は分かっていません」


 そうですか、と葛西は眉間に皺を寄せた。


「何故、ニ年分の日誌がないのでしょう?」

「私が持ってる日誌はコピーなので、なんとも言えませんが、教授が書くのをやめたか、部長が二年分を隠したのか……」

「隠した?」


 思わぬ言葉に、葛西が目を瞬かせ、「何故そう思われるのでしょう?」と尋ねた。


「以前、由佳が言ってたんです。『父は仕事の虫で、家でも暇さえあれば仕事ばかり。特に、亡くなるまでの二年間は研究室に篭りっぱなしだった』と」


 なるほど、と葛西が頷く。


「つまり、亡くなるまで研究に没頭していたということですね。確かに、そう考えると、日誌には続きがありそうです」

「ええ。しかし、部長から託された日誌は、九年前で終わっています。部長が伝えたかったことは、九年前までの分で事足りるのでしょうが……」


 何故、わざわざ、隠したりしたのでしょう、と糸原は首を捻った。


「隠す理由は明確です」と葛西はキッパリと言い切り、眼鏡を正した。


「それは……」

「それは?」


 糸原は葛西を凝視する。


「知られたくないからです」と葛西は当然のことをのたまった。呆気に取られる糸原を横目に、それよりも、と葛西は続けた。


「隠された情報より、今ある情報の方を見るべきです。知られたくないことを隠してまで、教えてくれたわけですから」


 確かに葛西の言う通りである。糸原は改めて日誌を見つめた。


「部長が伝えたかったことですか……」

「おそらくですが、笹本さんが伝えたかったことは、MA1ウィルスの存在と、被験者の情報だったのではないでしょうか?」


 葛西の推論に、糸原は、そうですね、と同意する。葛西は更に続ける。


「そうであるなら、被験者は、今判明している方々で全てだと思われます。中途半端に被験者の情報を隠すくらいなら、最初から見せなければいいだけなのですから」


 葛西の言うことはいちいちもっともである。普段の傍若無人ぶりも、この優秀さがあってこそ許されるのだろう。


「あの、ちょっと、質問があります」と藤田が授業中の生徒よろしく、手を挙げ、話に割り込んだ。

 葛西は話の腰を折られて不機嫌そうに藤田を見たが、藤田は特に気にした様子もなく続ける。


「由佳さんは、何の病気だったんですか?」


 捜査上必要なのか、個人的関心からなのか、心配そうな顔で尋ねる。糸原はどっちらとも判断が付かず、「『拡張型心筋症』です」と聞かれるままに答えた。


「拡張型心筋症?」


 告げられた病名に藤田は戸惑い、頭を掻いた。

 当然の反応である。医者ではないのだから、病名を伝えただけで通じるはずがない。


「拡張性心筋症は、心臓の筋肉の収縮機能が低下して、左心室が大きくなってしまう病気です。原因は様々ですが、由佳の場合は、遺伝です」


 糸原は病状を掻い摘んで説明した。


「遺伝?」


 藤田がキョトンとする。


「ええ。由佳の母親も同じ病気で、彼女が小学校に上がる前に亡くなっています」


「そんな……」と藤田が肩を落とし、「お気の毒に」と葛西も眉を顰める。


「拡張性心筋症は、薬や手術で良くなる場合もありますが、最悪の場合、移植が必要となります」

「由佳さんは最悪の状態だったのですよね?」


 葛西が尋ねる。糸原は、そうです、と頷いた。


「であれば、対馬教授は相当追い詰められたことでしょうね」


 葛西の目に同情の色が浮かぶ。


「由佳さんは移植をしなければ、いつ亡くなるともしれない。しかし、ドナーは見つからない。──彼がMA1ウィルスに頼ってしまった気持ちは分からなくはないですが……」


 独りごちて、糸原を見据えた。


「しかし、規則は守らなければなりません」


 元弁護士らしい意見を述べた。


「確かにそうですね……」と糸原はうな垂れた。


 対馬が規則を守り、もっと慎重にことを進めていたのなら、今回の事件は起こらなかったのかもしれない。しかし、それも今となっては後の祭りである。


「ちなみに、日誌の続きが存在するとしたら、どなたがお持ちになっているのでしょう?」

「部長の家では見つからなかったのでしょうか?」

「ええ。そのような話は聞いてません」


 だとすると、と糸原は考えを巡らせた。


「おそらく、大道が持っているはずです。彼が教授の研究を引き継いだので」


「大道さんですか……」と呟き、葛西は眉間に皺を寄せた。どうやら、大道に苦手意識があるようだ。


「その日誌、見せてもらうことは可能なのでしょうか?」


 葛西は、すぐに能面のような顔に戻り尋ねる。


「どうですかね」と糸原は首を傾げた。


「大道もやましいことがなければ、見せてくれるでしょうが……。ウィルスについては当然知っているわけですし、それが原因だとなれば──」

「シラを切られますか」


 葛西は、再び眉間に皺を寄せた。


「そういえば……」


 思い出したように藤田が口を開いた。


「糸原さんに言われて、被害者の病歴を調べたんですけど」と手帳をめくる。


「被害者は三人とも睡眠障害で、西城大学病院に通っていました。それでですね……」と勿体ぶるようにそこで話を止め、二人を交互に見た。


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