表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
満月に狂う君と  作者: 川端睦月
糸口

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/61

41


「西城大学の場合、この臨床研究を行う前に、『臨床研究審査委員会』の承認を得なければなりません」

「なるほど、対馬教授は、その委員会の承認を得ていない、ということなのですね」


 すっかり溶けたバニラアイスをスプーンでかき混ぜながら、葛西が言った。糸原は無言で頷いた。


「対馬教授は誠実な方です。自分の研究のために、むやみに人の命を危険に晒すことはしません。委員会の承認を得てからでもよければ、そうしたでしょう」

「では、なぜそんな暴挙に出たのでしょう? 何か急がなければならない理由でもあったのでしょうか?」


 葛西の問いに、糸原は少し躊躇い、「──由佳です」と答えた。


「由佳さん?」

「由佳が中学生になって、すぐに、心臓は最悪の状態になりました。移植するほかに治療方法がなかったんです」

「心臓移植ですか……」

「しかし、適合する心臓が見つかるまでには時間もかかりますし、何より当時は子供からの臓器提供もありませんでした」


 なるほど、と葛西は頷いた。


「だから、MA1ウィルスを使用したと。つまり、MA1ウィルスというのは、心臓に効果のあるものなのですね?」


 葛西の問いに、糸原は、いいえ、と首を振った。


「MA1ウィルスは、万能薬です」


「万能薬?」


 いまいちピンときてない顔で、葛西が糸原を見つめた。藤田も同様である。


「お二人は、iPS細胞をご存知ですか?」


 糸原の問いに、藤田は「名前だけなら」と答えた。


「確か、人体のあらゆるものに変化できる細胞ですよね」


葛西は記憶を探るように視線を彷徨わせて言った。


「大体、当ってます」と糸原は小さく笑い、少し考えをまとめる。


「──例えば、皮膚や筋肉を構成する細胞は、『体細胞』と呼ばれます。体細胞は、皮膚から筋肉になるといった変化、正しくは『分化』というのですが、これができません」


 そこまで説明して、糸原は二人の様子を窺った。話を理解したようで、うんうんと頷いている。


「一方で、様々な組織や臓器に分化できる細胞を『多能性幹細胞』と言います。多能性幹細胞は人の体の中にも存在しますが、人工的に作り出したものを『iPS細胞』と呼んでいるのです」


 ここまで、理解できましたか、と二人を見ると、藤田は微妙な顔をした。対して、葛西は、ええ、と事もなげに頷いた。とりあえず、葛西が理解しているようなので、話を進める。


「このiPS細胞は『再生医療』、つまり、欠損部位や病変のある臓器の代替を新たに作りだせないかと、近年研究が勧められています」


 糸原の説明に、葛西は、なるほど、と相槌を打った。


「iPS細胞の話は理解できました。しかし、それと対馬教授の実験がどう結びつくのでしょう?」


 もっともな疑問を投げてくる。


「MA1ウィルスは、感染することによって、それ自体がiPS細胞のような役割を果たすことが分かっています」

「それ自体が、iPS細胞の役割を果たすとは?」

「簡単に言えば、感染することで、再生能力が身につく、ということです」

「再生能力……。随分と話が飛躍しましたね」


 葛西は面食らったように笑う。


「まぁ、にわかには、信じらない話ですよね」と糸原はコーヒーを啜り、間を置いた。


「しかし、事実なのです。──対馬教授の実験では、マウスのちぎれた尻尾が、翌日には生えてきた、となっています」

「それは、素晴らしいですね」


 葛西が大袈裟に感心して見せた。


 それから、すぐに真顔に戻り、「ですが、どのような素晴らしいウィルスでも、事件の原因となってしまっては、よろしくありません」と苦言を吐いた。


「まったくその通りです」


 人を救うはずの医療が、命を奪う原因となってしまったのでは、本末転倒だ、と糸原も思う。


 対馬は娘のことを愛するあまり、医者としてはあるまじき行為をしてしまった。反面、糸原には、その気持ちが分からなくもない。

 もし、由佳が命の危機に陥ったとしたら、自分も対馬と同じことをするだろう。


 ──実際、今だってそうだ。


 由佳の気持ちを重んじるあまり、葛西に相談しなかったことが、三件もの事件を招いてしまった。


 結局、自分も医者失格だな、と糸原は心の中で自分を嘲た。


 糸原さん、と葛西が穏やかな声で呼びかける。葛西はいつも通りの和かな顔のまま、「大変貴重な情報をご提供頂き、ありがとうございます」と綽々と頭を下げた。


「……いえ、もっと早く、葛西さんに相談していれば、未然に防げる事件があったかもしれません」と糸原は唇を噛んだ。


「それは無理です」


 糸原の後悔を、葛西はあっさりと否定した。


「拉致変死事件と実験日誌の内容が結びつくなど、誰も思いつきません。糸原さんが気付いたのも、単なる偶然にすぎません」


 悔やむ糸原に、葛西は淡々と告げる。


「ですから、あまりご自分を責めないでください。──身内の罪を暴くことは、簡単に出来ることではありません。しかし、糸原さんは包み隠さず話してくれました」


 それだけで充分です、と葛西は笑った。


「ただ、糸原さんからお聞きしたお話は、ここだけの話に留めておくつもりですが、万が一の場合は……」


 わかりますよね、と鋭い視線を糸原に向けた。


「それは、覚悟しています」とキッパリと言い切った糸原に、葛西は満足そうに頷いた。


「では、対馬教授の実験について、もう少し詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 葛西が改めて尋ねる。どうぞ、と糸原はまな板の鯉のような気持ちで、葛西の質問を待った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ