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「次は、これを見てください」と紙ファイルの別の付箋を貼り付けたページを開く。それから、二人目の被害者である『三浦悠太』の戸籍謄本をテーブルの上に置いた。
「この悠太くんの父親の名前が、義史さんになっていますが……」と戸籍謄本の名前を指差し、その指を紙ファイルの方へと動かす。
「──三浦義史」と藤田が息を呑んだ。
「そうなんです。やはり、父親の名前と被験者の名前が一致しますよね。年齢も一致します」
そう言って、神妙な面持ちで、二人の刑事を見つめた。
「では、最初の被害者である山崎颯人さんのお父様のお名前も載っているのでしょうか?」と葛西が静かに尋ねた。平静を装ってはいるが、はやる気持ちを必死で抑えているのが見て取れる。
しかし、その期待とは裏腹に、糸原はゆっくりと首を横に振った。
「被験者の中に、山崎という苗字はありませんでした」
そうですか、と葛西が残念そうに肩を落とす。せっかく掴みかけた事件の糸口が、なくなってしまったことにがっかりしたのだろう。
そんな葛西を横目に、糸原は「ですが……」と続けた。
「母親の名前が、旧姓で載ってました」
「お母様ですか?」
葛西はパチパチと目を瞬かせた。
「颯人くんの母親の旧姓は、『小笠原』です。その名前で、日誌に記載されていました」と糸原は該当のページを開き、葛西の前にファイルを置いた。
それを素早く確認し、確かに、と葛西が頷いた。
「つまり、糸原さんは、この対馬教授の実験日誌に載っている被験者の子供たちが、今回の事件の被害者だとお考えなのですね?」と葛西が尋ねた。
糸原は大仰に頷き、「お二人はどう思いますか?」と意見を求めた。
そうですね、と葛西はテーブルの上に両肘をついて手を組み、思案する。対して、藤田は困惑したようにボリボリと頭を掻いて沈黙した。
会話に代わって、憂いを帯びたBGMが、耳をくすぐる。
カラン、とクリームソーダの氷が溶けた音を合図に、葛西が口を開いた。
「私は、糸原さんの意見に賛成ですね」と眼鏡の位置を正しながら言った。
「藤田くんは、どうでしょう?」
葛西にうながされ、藤田は戸惑いながらも、「自分も、無関係ではないような気がします」と答えた。それに、葛西は目を細め、満足そうに頷いた。藤田の成長を喜んでいるようだ。
「ただ、気になることが」と藤田は再びガシガシと頭を掻いた。
葛西は感心したように、ほおっ、と短く息を漏らす。
「気になること?」
糸原は首を傾げた。
「三浦悠太くんですけど」と藤田は戸籍謄本を指差す。
「これを見ると、彼にはお兄さんがいます」
「ええ」
「ターゲットが、被験者の子供なら、悠太くんのお兄さんも狙われるんじゃないですか?」
もっともな質問を投げかけてくる。確かに、糸原の仮説通りなら、被害者の兄弟も危険なはずだ。
しかし、糸原は「それは心配ないと思います」とキッパリと否定した。
「随分はっきり言い切りましたね」と和かな笑みを浮かべ、葛西が真っ直ぐ糸原を見据えた。
「何か根拠があるのでしょうか?」
葛西を見返し、糸原は頷いた。
「実験の日付です」
「実験の日付……」
葛西は日誌の三浦義史のページを開き、「実験日は、十一年前となっていますね」と日付を確認する。
その視線を糸原に移し、「それがどうかしたのでしょうか?」と尋ねた。
「悠太くんは十才で、悠太くんのお兄さんは十四才です。そして、義史さんの実験は、十一年前……」
「そうですね」と葛西が頷いた。
「今回の事件が対馬教授の実験と関わりがあるとすれば、実験前の出来事は関係ないはずです」
なるほど、と葛西は得心したようだ。
「だから、悠太くんのお兄様は安全だとお考えなのですね」
はい、と糸原はコーヒーカップへと手を伸ばした。すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含むと、香ばしい匂いが鼻を抜け、糸原の気持ちを幾分リラックスさせた。
「糸原さんの言いたいことは分かりました」
糸原がコーヒーカップをソーサーに戻すのを見計らって、葛西が言った。
「対馬教授の実験が、事件の発端である可能性も理解しました」
では、と葛西の眼鏡の奥の瞳が鋭い光を宿す。
「教授は一体、何の実験をされていたのでしょう?」
その問いに、糸原はゴクリと喉を鳴らした。




