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満月に狂う君と  作者: 川端睦月
新たなる事件

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「しかし、自信家の愉快犯という可能性もあるのでは?」


 糸原は意地悪な質問を投げかけてみた。


「もちろんその可能性もあります」


 葛西は大仰に頷いた。


 ですが、と葛西は彼にしては珍しく曖昧な表情を浮かべた。


「遺体の表情が、眠っているように安らかでした。愉快犯のような人間の仕業であれば、そうはいかないと思ったものですから」


 確固たる自信があるわけではなく、葛西の刑事の勘なのだろう。


 しかし、確かに、閉塞の症状が出ていたのなら、痛みや自覚症状が現れていたはずだ。死に至るほどの状態であれば、相当な苦痛があったとしてもおかしくない。

 それなのに、安らかな顔だったということは、苦しまずに亡くなったのだろう。遺体から検出された睡眠薬は、痛みや恐怖を感じさせないためのものなのかもしれない。


 そう考えると、葛西の言うことも納得がいった。


 テーブルに並べられた、目を覆いたくなるほどの壊疽に侵された被害者の最後が、安らかなものだったことにせめてもの救いを覚える。




「ところで、瑞樹くんはまだ入院されているのでしょうか?」


 ふと、思い出したように、葛西が尋ねた。


「いえ、二週間ほど前に退院しました。今は一時的にうちで預かっています」

「糸原さんの家で、ですか?」

「ええ。最終的には菜緒子さんが引き取る予定ですが、学校のこととか、色々あるんで。菜緒子さんの方が落ち着くまで、預かることにしたんです」

「そうでしたか。……久しぶりにお見舞いに伺おうと思っていたのですが」


 残念です、と葛西は少し寂しそうな顔を見せた。


「しかし、奥様は大丈夫なのですか?」

「妻、ですか?」


 急に葛西が由佳を話題に上げたので、糸原は面食らって、聞き返した。


「ええ。ご懐妊中だとお聞きしていましたが。慣れない子育ては、お身体に触らないでしょうか」


 心配顔で言う。


「はっ?」


 糸原は驚いて、葛西を凝視した。


「その話、誰から聞きました?」


 由佳の妊娠は、廉の事件の後、念のため行った検査で判明した。現在は妊娠三ヶ月目に入ったところだ。由佳と話し合って、安定期に入るまでは伏せておくつもりだった。

 なので、事情を知っているのは、ごく限られた人間だけである。


「藤田くんです」

「藤田くん?」


 なぜ藤田が、と首を傾げる。


「藤田くんは、ニノ方さんに聞いたようですが」

「ニノ方……」


 糸原は頭を抱えた。ニノ方は検査の担当だったので、当然承知している。


 ──あいつにかかると、秘密なんてあったものではないな。


 糸原は深い溜息をついた。


「もしかして、まだ内緒の話でしたか」

「……その通りです」


 それは失礼いたしました、と葛西が軽く笑ったところに、「葛西さんっ」と呼び声がした。


 噂をすれば影がさすである。嬉しそうに急足で近寄ってくる藤田が見えた。


「葛西さん、わかりましたよ」


 興奮した様子で、藤田は葛西の隣の椅子に腰を下ろした。


「随分早いですね」と葛西は意外そうだ。そんな葛西に藤田は得意げに言う。


「ちょうど、竹浪葵さんのご家族の方が、ご遺体の引き取りで署を訪れていたようで。お話を伺うことができたそうなんです」


 そうですか、と頷いた葛西の表情が少し暗くなる。昔の自分と重ねているのかもしれない。


「それで、父親の敬さんの話によると……」


 葛西の変化に無頓着な藤田は、手帳をめくりながら続けた。


「──たかし?」


「あ、はい。被害者の父親の名前ですね。……なにか?」


 眉を顰めた糸原に、藤田は怪訝そうに尋ねる。


「あ、いえ。……聞き覚えのある名前だったもので。──たしか、二人目の被害者の方は三浦さんでしたよね」


「はい」


「三浦さんの父親の名前は、分かりますか?」


「はい。義史さんです」


「三浦、義史……」


 糸原は少し思案する。その様子を黙って見守る刑事たちの視線に気づいて、糸原は「どうぞ、続けてください」と話を促した。


「えーと、……葵さんは、やはり寝る前に睡眠薬を飲んでいたそうです」


 調子が狂ったと言わんばかりに頭を掻いて、藤田が言った。


「最近、睡眠障害の症状があったそうで」


「睡眠障害……」と呟いて、葛西は首を捻る。「それは、どういうものなのでしょう?」と糸原を見た。


「そうですね、睡眠障害といっても、色々ありますよ。……まあ、一般的には、不眠や過眠、無夢病といったものが挙げられますね」

「なるほど。結構、幅広いものなのですね」

「ええ。葵さんの場合、睡眠薬を服用するほどなので、顕著な症状が現れていたんだと思われます」


 ふむ、と葛西は相槌を打つ。糸原は藤田に視線を向け、「具体的に、どういう症状か聞いてます?」と尋ねた。


 ええっと、と藤田は慌てて手帳を確認し、「徘徊、だそうです」と答えた。


「徘徊ですか。……それは、いつ頃から始まったか、分かります?」

「すみません、そこまではちょっと……」


 藤田は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「そうですか。もう少し詳細を知りたいところですが……」と糸原は腕時計を一瞥する。時刻は午後二時になろうとしていた。


「そろそろ午後の診療が始まります。できれば、仕事終わりにお話ししたいのですが」


 弁当の蓋を閉じながら葛西に尋ねた。


 構いませんよ、と葛西は快諾する。それに追随して藤田も頷いた。


「それなら、『壱番街』という喫茶店はご存じですか?」


 糸原の質問に、葛西は「糸原さんのマンションの向かいにある、古めかしいお店ですか?」と尋ね返した。


「古めかしいって……」と糸原は苦笑した。大正時代に建てられたその建物は、見る人によっては、ただの古ぼけた建物としか映らないのかもしれない。


 しかし、もう少しマシな言い方があるのでは、と思いながら「そうです、そこです」と答えた。


「そこに七時待ち合わせで、どうですか?」との確認に、葛西は、わかりました、と頷いた。


「それから、お話しするにあたって、二、三、確認しておいて欲しいことがあるのですが……」


 糸原は、そう言って、葛西に確認事項を告げたのだった。


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