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満月に狂う君と  作者: 川端睦月
新たなる事件

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 ガシャーンとガラスの割れる音に目を覚ました。


 竹浪(たけなみ)(たかし)は、その音の出どころが子供部屋であることに、胸騒ぎを覚える。


 つい最近、西城市内で子供の誘拐事件が相次いでいると、ニュースで見たからだ。


 誘拐事件はもうすでに二件起きている。いずれも犯人は捕まっておらず、身代金を要求する電話もない。何の手掛かりもないまま、誘拐された子供は、数日のうちに、遺体で発見される。胸が締め付けられる事件だった。


 まさか、と思った。しかし、嫌な予感は強まるばかりだ。


 竹浪は横に眠る妻を叩き起こすと、警察に報せるよう指示をした。そして、ベッドルームを飛び出す。


 子供部屋は二階だ。もつれる足で階段を駆け上がり、息を切らしながら、部屋の前に辿り着く。


 竹浪は息を整え、ゴクリ、と唾を飲んだ。


 震える手でドアノブを握り、勢いよく扉開ける。


(あおい)っ」


 娘の名を呼んだ。


 ベッドを見ると、もぬけの殻だった。


 葵、と再び名前を呼びながら、部屋の中を見渡す。


 その目の端。ヒラリ、と揺れるカーテンが映った。


 薄いピンク色のカーテンが、風にそよいで揺れている。


 ──風?


 季節は初秋。流石に窓を開けて寝るには肌寒い。


 不審に思い、竹浪は窓へと駆け寄った。足元でジャリジャリと、ガラスが砕ける音と感触が伝わる。


 いよいよ、気持ちは乱れた。ドクドクと高鳴る心音が耳につく。


 竹浪は震える手で、風に揺れるカーテンを捲った。


 飛び込んできたのは、無惨に割れたガラス。


 竹浪はヘナヘナと膝から崩れ落ちた。


「……あおいーっ」


 真夜中の静まり返った部屋に、その声は虚しく響き渡った。


 *


「どう思われますか、糸原さん」


 その問いに、糸原は眼前の男へと視線を向けた。


「つまり、何故、子供は悲鳴を上げなかったのか、ですか……」


 ご飯を頬張り、眉間に皺を寄せ考える。


 ええ、そうです、と和かな笑みの葛西は頷いた。


「子供たちは身の危険を感じたはずなのに、助けを求めなかった」


 不思議に思いませんか、と葛西は問う。


 葛西と会うのは、一ヶ月ぶりだろうか。


 葬儀の後、葛西は毎日のように笹本の事件の報告がてら、瑞樹の様子を見に来ていた。最初は警戒していた瑞樹も徐々に心を開き、葛西の来訪を楽しみに待つようになっていた。


 それが、例の事件が起こってから、パタリと姿を現さなくなった。


 例の事件とは、西城署管内連続拉致変死事件、である。


 犯人が深夜の被害者宅に侵入し、子供を連れ去るという事件だ。連れ去られた子供は、身代金を要求されるでもなく、数日のうちに遺体で発見される。


 糸原には、新聞から得た知識しかないが、犯人は相当肝のすわった人物だと推察できた。なにしろ、被害者の自宅へわざわざ侵入して連れ去っているのだから。

 犯行時刻もそうだ。深夜は、ターゲットが確実に家にいる時間ではあるが、同時に家族も在宅していて、姿を見られる危険性の高い時間でもある。それがますます、犯人の豪胆さを感じさせた。

 被害者は小学生から中学生と、糸原が担当する患者と同世代である。他人事とは思えなかった。


 葛西から連絡があったのは、昨日の夕方だ。突然LINEで「お話を伺えませんか」とメッセージが送られてきた。


 糸原も事件のことは気になっていたので、昼食どきの院内食堂で落ち合う約束をし、今に至る。


「単純に、恐怖のあまり、声が出なかったのではないですか?」

「それも一理あると思います。しかし、三件ともそうだとすると、少し疑問に思ってしまうのです」

「疑問?」

「ええ。──人にはそれぞれ個性があります。三人が三人とも、何の抵抗もなく拐われるというのは、ちょっとどうにも、腑に落ちません」


 そう言って、葛西は首を横に振った。


「たまたま、皆んな、怖がりだったのではないですか?」

「たまたま……」


 葛西は嘲るように笑った。


「何ですか?」と糸原はムッとする。


「その、『たまたま』っていう言葉、私は嫌いです」


 呆れたような視線を向けられ、はぁ、と糸原は生返事をした。


「一度や二度なら、たまたまも通りますが、三度となるとそれは必然である、というのが私の持論でして……」


 急に熱弁を奮う葛西に辟易して、糸原は隣に座る藤田に目を向けた。藤田は申し訳なさそうに目配せをする。


 なるほど、黙って聞いているしかなさそうだ。


「──ですので、たまたまではない、何かいい方法がないか、お聞きしにきた次第です」


 そんなことは素人の自分より鑑識に聞けばいい、と心の中で悪態をつく。しかし、そんな正論がこの男に通じるはずもない事は経験済みだった。

 糸原は仕方がなく、方法を考えてみた。


「そうですね……薬で眠らせたのではないですか?」


 糸原の言葉に、葛西は「やはり薬ですか」と頷いた。


「私は医者ですから、それくらいしか思いつきませんね」


 少し嫌味を込めて言ってみたが、葛西には当然通じない。


「ちなみに、どのような薬かは、おわかりになりますか?」と涼しい顔で質問を続ける。


 糸原は小さく溜息をつき、おそらくですが、と前置きをした。


「人を一瞬で気絶させるような薬は、入手も扱いも困難です」


 ええ、と葛西が相槌を打つ。


「使い方を間違えた場合、死に至らしめる可能性もあります。なので、睡眠薬の類ではないかと、素人考えでは思うのですが」

「睡眠薬、ですか……。確かに、遺体から睡眠薬が検出された、と報告書に書いてありました」

「それなら、なおさら、睡眠薬の可能性が高いのでは。──睡眠薬を服用していたので眠りが深く、侵入者に気づけなかったのだと思います」


 なるほど、と葛西は頷き、「では、その睡眠薬を、犯人はどうやって飲ませたのでしょう?」と新たな疑問を投げかける。


「たぶん、犯人が飲ませたのではないと思いますよ」


 その答えに、葛西は「どういうことですか?」と糸原を見つめた。


「一般的に、子供は薬が嫌いです」

「ええ、それはそうですね」


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