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満月に狂う君と  作者: 川端睦月
野辺送りの参列者
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「それは何年前ですか?」

「大体、七年ほど前だと思います」


 そうですか、と葛西は首を傾げた。


「七年も前の、たったそれだけのご関係なのに、わざわざお葬式に出席されるのですか?」


 葛西の言葉に大道はカチンときたらしい。


 憮然とした顔で「偶然、亡くなったと聞いたものですから。それに、今日はたまたま予定もなかったので」と投げやりに答えた。


「そうですか」

「はい」


 大道は煩そうに相槌を打った。


「誰からお聞きになりました?」

「はっ?」

「笹本さんが亡くなったことは、誰からお聞きになったのでしょう?」


 葛西の質問に、いよいよ大道の顔が険しくなる。


「大学の同期だった西城中央病院の谷川です」


「ご存知ですか?」と葛西は糸原に言質を取る。


 ええ、と糸原は頷いた。


 谷川は整形外科の医師だ。ただ、糸原の記憶では、大道とはそれほど親しくなかったはずである。何の理由があって、今日この日に連絡を取ったのだろう、と不思議に思った。


「納得してもらえたでしょうか」

「はい。ご協力ありがとうございます」


 葛西は和かに答えた。


「納得していただいたのなら、失礼しますよ」


 大道はクルリと踵を返した。しかし、二、三歩進んだところで立ち止まる。


「県警の葛西って……」


 口の中で呟いて、振り返った。


「葛西さんの奥さんは、大学病院に入院されてます?」


 瞬間、葛西の表情が固くなるのが分かった。


 ええ、とためらいがちに頷く。


「ああ、やっぱり」と途端に大道の顔に哀れみの表情が浮かんだ。


「毎日、お見舞いされてるそうですね」


 またしても葛西は、ええ、と答えた。


「今回のように、事件の捜査がある時は、大変なのではないですか?」

「……顔を見ると落ち着きますから」


 葛西は陰りのある笑いを浮かべた。


「もしかしたら、奥さんのことで力になれるかもしれません。今度ゆっくりお話しさせてください」と大道は、さっきまで煩わしそうにしていた葛西に名刺を差し出す。


 葛西はそれを無言で受け取り、会場へ向かう彼の背中を見送った。


 糸原も大道が会場の中に入るのを見届けてから、受付の片付けを始める。


「葛西さんは先に会場に入って下さい」と作業をしながら、葛西に声をかける。が、返事がない。


 糸原は不思議に思って、葛西に目を向けた。


「葛西さん?」


 葛西はボンヤリと大道の名刺を眺めていた。が、糸原の呼びかけに我に返り、名刺をクシャリと握り潰した。


「あ、はい。どうしました?」といつもの張り付いた笑みを向ける。


「先に中に入って下さい」


 会場を指差し、ジェスチャーを混じえ、伝える。


 それに、わかりました、と答え、葛西は会場の中へと消えていった。


 ──なんだ、あれ。


 糸原は、明らかに様子のおかしい葛西に首を傾げた。


 自分の奥さんのことで力になれるかも、と言われたのなら、もう少し喜んでも良さそうなものなのに、と。


 しかし、葛西は奥さんの話題が出た途端、魂が抜け出たみたいに虚ろな目になった。よほど触れて欲しくない話らしい。


 人のプライバシーにはズカズカと遠慮なく踏み込んで根ほり葉ほりのくせに、と糸原は呆れる。


 しかし、それでいて同情も覚えた。


 大道の話では葛西の奥さんは大学病院に入院しているらしい。そして、藤田によると奥さんは十年前の誘拐事件の際、頭を打ち、意識不明の重体だ。


 二つの情報を合わせると、葛西の奥さんは十年前の誘拐事件以来、意識が戻っていない、ということが想像できた。


 この仮説が事実だとすれば、非常に酷なことだな、と糸原は思った。


 本来なら二人で乗り越えるはずの娘の死を、葛西は一人で背負ったことになる。そして、未だ目を覚まさない妻に対しての負い目も。どれほどの重圧だろうか。


 少なくとも糸原には耐えられる自信がない。


 葛西があれほど傍若無人である理由が、少し分かった気がした。


 片付けを終えて会場に入ると、既に僧侶が読経を始めていた。


 糸原は最後尾に鎮座する葛西の隣に座る。糸原に気づいて軽く会釈をした彼は、いつも通りの葛西だった。


 葬儀は粛々とつつがなく進行していく。


 読経が終わり、焼香の段になると、参列者は三々五々に焼香台に沿って集まり、列を作った。


 その列の中に、大道を見つけた。


 周囲の者が背中を丸め俯き加減に歩みを進める中、大道は背筋をピンと伸ばし、真っ直ぐ遺影を見つめていた。


 遺影の笹本は穏やかな笑みを浮かべる。今となっては、全ての悩みから解放され、安穏とした表情にも思える。


 対照的に、大道の顔は憔悴しきっていた。落ち窪み、愁いを帯びた目からは涙を流すことはないが、深い悲しみが伝わってきた。


 七年前に途絶えた関係でありながら、その悲しみは、ここにいる誰よりも深いように思えた。


 焼香の順番が回ってくると、大道は遺族席に深々と一礼をし、一歩前へと進んだ。それから、遺影に向かって深く頭を下げる。


 抹香をつまみ、額に押し当てから香炉へ落とすと、白煙が立ち昇り、ふんわりと広がった。


 大道は恭しく両手を合わせ、目を閉じた。そして、かなり長い時間黙祷を捧げる。その口が、何か言葉を発するように動いた。それから優しい笑みを浮かべ、笹本の遺影を見直す。


 瞬間、糸原は直感した。


 ──大道と部長の関係は、今現在も続いていたのだ、と。


 由佳とは関係のないところで、二人は繋がっていた。しかし、何故か大道はそれを隠している。


 糸原は、反対方向に去っていく大道に声をかけようと焼香の列を離脱した。しかし、大道は足早に出口へと向かい、追いつくことは出来なかった。


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