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数分もすると、最初の参列者はやって来た。糸原も顔見知りの西城中央病院の職員である。外は相当暑くなっているのだろう。額に滲む汗をハンカチで拭いながら、記帳を済ませた。
それを先頭に続々と参列者がやって来た。誰も彼も見知った顔である。葛西のいうような怪しい人物は見当たらない。
「やはり多いですね」
参列者の切れ間に葛西が芳名帳を見ながら呟いた。名前を数えると五〇人程だろうか。
少ない方だ、と糸原は思った。これが事件性のないもので、通常通りに訃報を報せることができたのなら、参列者はこの数倍にはなるだろう。
それだけ笹本は皆から慕われていた。
「もう参列の方はいらっしゃらないですかね……」
葛西が腕時計を見て言った。あと五分もすれば葬儀の始まる時刻である。
「そうですね」
糸原の予想通り、参列者は西城中央病院の関係者だけだった。
受付の片付けに入ろうと、確認のため、葬儀場の入り口に目を向ける。
その視線の先。
自動ドアの向こうに、陽炎のように揺らぐ人影を見つけた。
一瞬、亡霊でも現れたのかと、糸原は背筋を寒くする。
亡霊は徐々に入り口へと近づくにつれ、生身の人間であることが分かった。
喪服を着た長身の男であった。
晩夏とはいえ、日焼けの痕跡すら見えない蒼白な顔と、最低限の筋肉だけ備えた華奢な体つきが儚げな印象で、糸原にそう感じさせたのだった。
男は自動ドアの前で立ち止まり、時間を気にして腕時計を確認する。
ゆっくりと開く自動ドアの隙間を足早に通り抜け、エントランスホールへと入ってきた。
遮る物がなくなり、はっきりと男の顔を確認できた。
糸原の心臓が、ドクンッと大きく脈打つ。
「……大道」
驚きと共に、言葉が口からこぼれる。
その名前に反応し、葛西が糸原の視線を追った。
「久しぶりだな、糸原」
糸原を目で捉えた男が、軽く会釈をする。その顔がわずかに綻んだ。
「久しぶり」と糸原も笑みを浮かべたが、心中は穏やかではなかった。
──まさか葛西の予想通りになるとは。
横目で葛西を見ると、満足そうに頷いている。
「元気にしていたか?」
駆け寄りながら大道が尋ねた。
ああ、と答えた糸原は、彼の変化に眉を顰めた。
「……少し、痩せたか?」
痩せたというよりは、やつれたと言った方が相応しいかもしれない。
学生時代は、登山だ、キャンプだ、とアウトドアな人間で、健康にも気を使っていた男だったから、意外に思った。
「ああ、そうかもしれないな。なにせ、忙しくてな」と白い歯を見せる。
「まぁ、お前と違って、上手い飯を食べさせててくれる嫁さんもいないしな」
軽い冗談のように、大道は言った。しかし、糸原は気まずさを覚え、沈黙する。
「なんだ、気にしてるのか?」
糸原の変化に気づいた大道がおかしそうに声を上げた。
「そりゃ、気にするだろ」
大道にも結婚の報せは送ったから、由佳との結婚は知っているはずだ。妻の元彼に、どんな顔で妻の話をすればいいのか、悩ましいところだ。
「お前なぁ、そんなの気にするくらいなら、結婚の知らせなんか送ってくるなよ」
大道は呆れ顔だ。
「しかも写真付きで。……バカップルかと思ったわ」
言われて、今更ながら赤面する。確かに、写真付きの結婚報告の葉書は、空気を読んでいないな、と思った。由佳が渋い顔をしたのも無理がない。
「ところで、由佳は元気か?」と懐の香典を取り出しながら、大道が尋ねた。
「ああ、元気にしてる」
「そうか」と大道は懐かしそうに笑った。それから、ペンを手にし、芳名帳へと記帳する。
「でも、部長からお前の名前を聞いたことはなかったが、知り合いだったのか」
滑らかに文字を描いていた大道の指が、一瞬ピタリと止まった。一拍置いて、再び文字を綴り始める。
「まさか、笹本さんも、奥さんの元彼の話題を出すわけにはいかないだろう」
手元を見つめたまま、答える。
「まぁ、それもそうだな」
「由佳と付き合っていた頃は、よく笹本さんの家にお邪魔させてもらったよ。それで、酒なんか飲んで、はしゃいでさ。薫さんには、迷惑かけたなぁ」
名前を書き終えた大道は、顔を上げ、過去を懐かしむように目を細めた。その顔に、少しだけ影が差したように、糸原は感じた。
「それだけですか?」
突然のあらぬ方向からの問いかけに、大道は怪訝そうに声の方を見る。
「あなたは?」
見覚えのない男に首を傾げた。
「失礼しました。私、県警捜査一課の葛西と申します」
懐から警察手帳を取り出し、葛西は和かにお辞儀をした。
「刑事さん?」
「はい。笹本さんの事件を調べております」
ああ、と大道は声を上げた。
「笹本さんの。……それは、お疲れ様です」と労いの言葉をかける。それから辺りを見渡し、「こんなところで何をされているんですか?」と尋ねた。
「情報収集です」
「情報収集……」
「はい。葬儀には普段お目にかかれない方もいらっしゃいますので。……例えば、大道さんのような」
「私、ですか」
大道は面食らって、苦笑した。
「私に何かお話でも?」
「はい。ご参考までにお聞かせ願えればと思いまして」
葛西はニコニコと笑った。
「構いませんよ。──ただ、そろそろ葬儀が始まる時間だ。手短にお願いします」
分かりました、と葛西が頷く。
「それでは、さっそくなのですが、笹本さんとのご関係をお教えください」
葛西の質問に、大道は面倒くさそうに溜息を一つ吐いた。
「さっきも言いましたが、昔よく笹本さんの家にお邪魔させていただいた、というだけです」




