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満月に狂う君と  作者: 川端睦月
野辺送りの参列者
31/61

30


「おはようございます、糸原さん」


 葬儀会場の入り口で受付の準備をしていると、声をかけられた。


 葬儀の開始時刻までまだ一時間以上はあるはずなのに、随分と気の早い参列者だな、と声の方を振り返る。


「葛西さん……」


 そこには、お決まりの和かな笑みを浮かべた葛西が佇んでいた。ゲンナリと脱力感に襲われる。


 葛西の二歩後ろには、藤田が申し訳なさそうに控えていた。自分たちが歓迎された存在でないことは、重々承知しているのだろう。


「おはようございます」


 葛西の後ろから遠慮がちに、藤田がお辞儀をした。葬儀ということもあり、二人とも礼服に黒のネクタイ姿だ。


 おはようございます、と素っ気なく挨拶を返し、糸原は再び受付の準備へと戻った。


「昨夜は大変だったようですね」


 忙しく動いている糸原を横目に、葛西はマイペースに話しかけてくる。


「何のことでしょう?」


 用件は大体想像がついたが、糸原はわざととぼけて見せた。


「警護の警官から報告がありました」


 葛西は特に気にした様子もなく続けて言った。


「瑞樹くんの病室に侵入者があったそうですね」


「ああ……」と糸原はさも今分かった、とばかりに頷く。


 あのことですか、と呟いた。


 あの後、連絡を受けた霊安室の警官が、慌てて病室へと駆けつけてきた。しかし、侵入者は既に立ち去っていたので、彼は手持ち無沙汰そうに辺りを見渡し、現場保存を指示するくらいしかなかった。


 もっとも、指示がなくても、ガラスが飛散し、窓が開きっぱなしとなった病室に、瑞樹と由佳を留めて置くわけにもいかない。なので、二人には別の個室に移ってもらった。


「窓を割って侵入してきたそうで──」


 報告があったということは、粗方の事情は知っているのだろう。葛西は侵入方法に言及し、「奥様と瑞樹くんにお怪我はありませんでしたか?」と心配顔で尋ねた。


「お気遣いありがとうございます」と糸原は頭を下げた。


「二人とも軽い怪我を負いましたが、元気にしてます。念の為、検査は受けてもらいますが」


 そうですか、それなら安心ですね、と糸原の答えに葛西は安堵したようだ。胸のつっかえが取れたらしく、いつもの張りついた笑みを浮かべた。


「話は代わりますが、瑞樹くんの病室は六階にありましたよね?」

「ええ。それが何か?」


 いえ、と葛西は首を捻った。


「六階といえば、相当な高さですよね。……十八メートルくらいですか。そんな高さの部屋にどうやって侵入したのでしょう」


 誰に質問するわけでもなく独りごちた。


「道具を使用した形跡はなかったと、現場検証では言われました」


 糸原は葬儀会場に来る前、警察の依頼を受けて現場検証に立ち会った。


 鑑識係らしき人物が、「窓やその周辺の壁には細工が施されたり、器具が取り付けられた形跡はない」と言っていたのを覚えていた。


 そうなのですか、と葛西が納得する。どうやらこの情報はまだ伝わっていなかったらしい。


「病室にベランダはありませんでしたよね」と更に葛西は尋ねた。


「ええ。うちの病院では、どの病室にもベランダは付いていません」

「そうであれば、空いている病室からベランダ伝いに侵入するという方法は使えませんね……」


 葛西は眉根を寄せた。


「ほかには、外壁を地上から登ってくるか、屋上から降りてくるかのどちらかしか思いつきませんが……」

「屋上は立ち入り禁止です。普段から鍵がかけられています」

「そうですか。それなら、地上から登ってきたと考えるのが妥当ですね」


 葛西はそこで言葉を切って、顎に手を当てた。


「自分の力だけで十八メートルの壁を登ったとなると──まるでスパイダーマンのようですね」


 最後の方は、冗談めかすように言って、苦笑した。


 ──スパイダーマン。確かに、そうかもしれない。


 以前テレビ番組で見た映像が頭に思い浮かんだ。ボルダリングのチャンピオンが自分の身体だけで、地上から外壁を登って目的地である屋上まで辿り着くというものだ。

 生身の人間でも出来なくはないが、それ相応の技術や体力がなければ不可能だ。


 陸上部の廉にボルダリングの経験があるとは思えないし、あったとしても素人レベルだろう。外壁を登って侵入するのは不可能に思えた。


 だが、廉はそれをやってのけた──。


 ところで、とより一層和かさを増した葛西の目が、糸原を捉えた。


 糸原は嫌な予感がして、ゴクリと唾を飲み込み、葛西を凝視した。


「聞いたところによると、侵入者は笹本さんのご長男の廉くん、だそうですね」


 まるで頭の中を見透かされたようなタイミングで廉の名前を出され、糸原は葛西に不気味なものを感じた。


 それに昨夜の侵入者についても、警察には「見たことのない男」と伝えていたので、葛西がその事実を知るはずもない。


 色々考えを巡らせていると、「やはりそうでしたか」と葛西は満足そうに頷いた。対照的に糸原は渋面を作った。


 ──また、引っかかってしまった、と。


「まあまあ、そんな顔なさらずとも」と葛西は小さく笑う。


 しかし、糸原にしてみれば笑い事ではない。二度も同じ手に引っかかる自分を情け無く思った。


 ふいっと葛西から視線を外し、糸原は受付の準備に戻る。


「お気に障ったのなら謝ります。申し訳ありませんでした」


 葛西は謝辞を述べ、頭を下げた。しかし糸原は無言を貫く。下手に反応して、これ以上情報を引き出されるのは、好ましくない。


 頑なな糸原に、葛西は溜息を一つこぼし、肩を竦めた。それから、苦笑と共に「こちらからも情報があります」と告げた。


「情報?」


 糸原は胡散臭そうに葛西を眺めた。ええ、と葛西が頷いた。


「例の血液の鑑定結果です」

「鑑定結果……」


 糸原は葛西に向き直り、尋ねた。


「結果が分かったんですか?」


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