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「だって、おじさん、『大丈夫ですよ』って、お父さんに言ってたから。それに、ここを押さえていたから」
瑞樹は顔を上げ、心臓の辺りを手で押さえた。彼は泣いていなかった。
「そうなんですか」
「でも、すごくいっぱい血が出ていて。お父さん、『助からない』って。だから、僕、泣きながらお父さんに走ってたの」
瑞樹は泣きそうな顔になったが、ギュッと歯を食いしばり我慢をする。
「……そしたら、お父さん、『泣くな』って。『泣いてたら、お母さんのこと守れないだろ』って。『強くなれ』って。……そのあと、黙っちゃった……」
それが何を意味するのか、薄々気づいているのだろう。瑞樹は糸原を見上げた。
「ねぇ、糸さん、お父さん、大丈夫なの? お父さん、生きてるの?」
瑞樹の問いに、糸原は目を伏せた。
ここで自分が部長の死を伝えてしまっていいのだろうか、と躊躇した。
自分よりもっと父親の死を告げるに相応しい人物がいるのではないだろうか。もっと甘えられる人がいる時に告げるべきではないのだろうか。
「──お父様は亡くなりました」
そんな糸原の考えを嘲笑うかのように、葛西は淡々とした調子で、瑞樹に告げた。
瞬間、彼の顔から表情が消える。そして、そのまま項垂れ、「やっぱり」と呟いた。
「それから、お母様とお兄様も行方不明になっています」
葛西が継いだ言葉に、瑞樹は顔を上げ、彼を凝視した。信じられないといった様子だ。
糸原は眉を顰めた。
どうして葛西は、こうも重大なことを、いとも簡単に言ってしまうのだろう──。
もっと瑞樹の気持ちを考えて、やんわりと伝えてあげるべきではないのか。
わざわざ馬鹿正直に、厳しい現実を突きつける必要があるのだろうか。
糸原は、葛西に腹立たしさを覚えた。しかし、そんな糸原の考えはどこ吹く風で、葛西は続ける。
「いいですか、瑞樹くん。お父様のことはもう取り返しがつきません。……ですが、お母様とお兄様はまだ助けることができるのです。その為には、瑞樹くんの協力が必要なのです」
優しく、諭すように葛西は訴える。瑞樹はそれに、何かを決心したように、凛とした表情を浮かべた。
それで、糸原は自分の考えが浅はかだったと認識する。
結局のところ、自分は逃げていたのだ。
瑞樹を傷付けることを恐れ、誰かにそれを肩代わりしてもらおうと、目を背けていただけだった。
父親の死は絶対に伝えなければならない事実で、隠しようがない。だから、そのことを伝えた上で、瑞樹に希望を与えてやらなければいけなかった。
今、まさに、葛西がそうしたように、だ。
糸原は密かに自分を恥じた。
「それでは、先程のお話しの続きをお聞きしたいのですが……」
そこで言葉を区切って、葛西は瑞樹の様子を窺う。瑞樹は意を決したように大きく頷いた。
「瑞樹くんのペースで大丈夫ですので、何でもおっしゃってください」
瑞樹は、えーと、と視線を宙に彷徨わせ、何かに行き当たって、葛西に向き直った。
「おじさん、電話をかけたんだ」
「電話ですか。それは、瑞樹くんのお家の電話を使ってかけていたのでしょうか?」
「ううん、スマホだよ」
瑞樹はブルブルと首を横に振って、答えた。
「スマホですか……」
「そしたら、もう一人、男の人が来たんだ」
「もう一人……。後から来られた方は、一人だけだったのですか?」
「うん、一人だけだったよ」
瑞樹は記憶を辿り答える。葛西は視線を静かに糸原へと向けた。その視線を受けて糸原も頷く。
葛西の言わんとしている事は理解できた。
通常、救急隊は三人一組のチームで活動する。単独で救急車を出動させることは、まずあり得ない。
後から現れたのが、瑞樹の言葉通り男一人だけだったとすれば、それは消防署に属する救急隊員ではないという可能性が高い。
「後から来た男の方は、どんな格好をされていましたか?」
瑞樹は、うーん、と眉根を寄せた。
「何か制服みたいなの着てた」
「制服ですか?」
「うん、水色っぽいやつ。背中に、……確か、西城大学病院って書いてた」
「西城大学病院、ですか?」
うん、と瑞樹が頷く。
葛西と糸原は顔を見合わせた。もはや、西城大学病院が関わりあることは疑いようがない。
「それでね、二人はお父さんのこと、助けてたみたい」
「助けてたみたい、と言うのは?」
「僕もよく分からないんだ。……二人がお父さんの傍で何かやってて。……でも、僕、その辺りのこと、よく覚えてないんだ」
瑞樹は淋しそうに目を伏せた。
「──気がついたら、病院で、糸さんが傍に居たの」
そう言って、糸原を見上げた。糸原は瑞樹の頭を撫で、「頑張ったな」と声を掛けた。
「なるほど、状況は良く分かりました。瑞樹くん、ご協力ありがとうございます」
葛西は深々と頭を下げた。
「僕、役に立てた?」
「ええ、充分です」
瑞樹は嬉しそうに、良かった、と呟いた。大きな役目を終えた充足感に満ちた顔をしていた。
「さて、もう少し、お話しを伺いたいところですが、今日はもうお疲れですよね?」
葛西が瑞樹の身体を気遣い、話を切り上げる。
「そうですね」と糸原も頷き、凭れかかっていた窓から、身体を起こした。
「僕なら、まだ大丈夫」
それを瑞樹が引き止めた。




