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「……ニノ方」
瑞樹の病室には、さっき帰ったはずのニノ方がいて、糸原は唖然とする。
ベッド代わりにもなるソファーに腰掛け、コンビニ弁当を美味しそうに頬張っている。隣には、刑事の藤田が肩身が狭そうに座っていた。
「帰ったんじゃないのか?」
「帰ろうと……思ったん、ですけど……」
口をもぐもぐと動かしながらニノ方は言う。口に詰め込みすぎているせいで、何を言っているのか分かりにくい。
「ごめんなさい、晴人さん。私が呼んだの」
ニノ方に代わり、由佳が助け船を出した。窓際に佇み、申し訳なさそうな顔をしている。
「瑞樹くんが目を覚ましたから、ナースコールで看護師さんに知らせて。そしたら、ニノ方さんが診察しに来てくださって……」
それはニノ方が勝手にやって来たというのでは、と思ったが、口にしないでおく。
「徹夜でお疲れのところ、ありがとうございます」とベッド横の椅子に腰掛けた菜緒子が頭を下げた。
女性二人からちやほやされ、ニノ方は満足げだ。
しかし、個室とは言え、狭い部屋に子供一人と大人六人が収まっているのだから、窮屈この上ない。互いの居場所を求めるのにも一苦労である。それでも、朝とは違う賑やかな病室に、糸原は目を細めた。
「大丈夫かい、瑞樹くん」
ベッドで身体を起こし、ちょこんと体育座りをしている瑞樹に声を掛ける。点滴はもう外れていた。
「うん」と瑞樹は笑顔で答える。
「由佳ちゃんがいるから大丈夫っ」
そう言って、由佳を振り返る。由佳は瑞樹の頭を撫で、ニコリと笑い返した。
「……いいっ」
心の声ダダ漏れで、ニノ方と藤田が由佳をじっと凝視する。
何を考えているかを想像すると、ちょっとしたカオスだ。
糸原は苦笑いし、瑞樹の傍へと移動した。
「少しだけ診察させて」
声をかけ、脈の確認と顔色を観察する。顔色は昨夜に比べると、断然良くなった。顔の表情も俄然明るい。
「問題ないようだね」
糸原はニコリと笑って瑞樹の頭をガシガシと掻き回した。瑞樹は子供らしく声を上げて笑う。
「そういえば、由佳も菜緒子さんもお昼は食べました?」
瑞樹と戯れる手を止め、どちらともなく尋ねた。
「そういえば、まだでしたね」と由佳が菜緒子に同意を求める。菜緒子も頷いた。
「それなら食堂に行ってくるといいですよ。……ニノ方、案内を頼む」
まだ弁当を掻き込んでいるニノ方に呆れながら指示を出す。
「は、はいっ」
ニノ方はソファーから飛び上がると、弁当のカラをレジ袋に入れ、隣の藤田に渡した。藤田は目を丸くしながらも、それを黙って受け取り、ソファーの片隅に置いた。
「それでは案内しますので、僕の後に付いて来てください」
なぜか得意げに胸を張るニノ方に、由佳と菜緒子は顔を見合わせ笑う。
やはりニノ方は女性を癒す能力を備えているらしい。
「それでは、お言葉に甘えて」と菜緒子が立ち上がる。それに由佳も従い、ニノ方と共に病室を出て行った。
途端に、室内は静まり返る。瑞樹はつまらなそうに病室のドアを見つめた。
「さて」と葛西が口を開いた。
「糸原さん、瑞樹くんに少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」
「いいかな、瑞樹くん?」
念のため、瑞樹に確認を取る。身体的には大丈夫な状態ではあるが、本人が嫌がる事は極力避けたい。
瑞樹は初めて見る二人の男に不安そうな表情を浮かべた。
「この人達は、西城警察署の刑事さんで、お父さんの事件を調べているんだ」
糸原はフォローを兼ねて二人を紹介する。
「右から葛西さんと藤田さん」
葛西と藤田を順番に手で示す。
藤田は、ソファーから立ち上がり、「よろしくお願いしますっ」と元気良く頭を下げた。
葛西はベッドサイドに移動し、「よろしくね、瑞樹くん」と和かな顔で瑞樹に手を差し出した。
瑞樹は戸惑いながらも握手を交わす。
「少しだけで構いませんので、お話しさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
葛西は改めて瑞樹に尋ねた。彼は緊張しながらも、コクリと頷いた。
──とりあえず、第一関門はクリアしたようだ。
糸原はホッと息を吐いた。それから、「どうぞ」と葛西に椅子を勧める。
ありがとうございます、と礼を述べ、葛西は椅子に座った。
「答えにくい事は答えなくても結構です。答えられる範囲で構わないので、教えて下さると助かります」
椅子に座るなり葛西は、いつものバカ丁寧な物言いで話し始める。
糸原は窓辺のヘリへ寄り掛かり、二人の会話に耳を傾けた。
「昨日の夜ですが、瑞樹くんの家で何があったか覚えていますか?」
瑞樹はおずおずと頷いた。
「その話をしてはもらえませんか?」
葛西の問いに、瑞樹は顔を歪める。それから、折り曲げていた膝にポスッと顔を埋めた。
「だめですか……」
葛西は肩を竦めて、糸原を見上げた。
「……きのう」
しばしの沈黙の後、不意に瑞樹が口を開いた。
「昨日、一階がうるさかったんだ。……だから僕、様子を見に行ったの」
泣いているのだろうか。瑞樹の身体が小さく震えているのが分かった。
「それは、何時くらいのことか分かりますか?」
瑞樹は首を横に振った。
「一階に行ったら、お父さんとお母さんが倒れていて……」
瑞樹の声が所どころ掠れる。
「知らないおじさんが、お父さんのこと助けていたの」
「……瑞樹くんは、そのおじさんがお父さんのことを助けているって、どうして分かったのでしょう?」
『知らないおじさん』という言葉に糸原も藤田も色めき立ったが、葛西は特に触れることなく続きを促す。




