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満月に狂う君と  作者: 川端睦月
古都の神隠し
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14


「奥様、とても綺麗な方ですね」


 当直室でソファーに座るなり、葛西が言う。


「妻と会ったんですか?」


 糸原は眉を顰めた。


「ええ、マンションの玄関口でお会いしました。ちょうどお出かけになるところだったようで。挨拶をさせてもらいました」

「挨拶って……。本当に、挨拶だけですか?」


 糸原はジロリと葛西を睨んだ。朝のように傍若無人な質問を由佳にしたのではと浮き足立つ。


「挨拶だけです」と葛西は涼しい顔で頷いた。


「奥様は大変お急ぎでしたので。お引き止めするのは気が引けました」

「そうですか」


 糸原は胸を撫で下ろした。目の前のカップを持ち上げ、コーヒーを啜る。


 その様子を黙って見ていた葛西が、「ミス西城だったそうですね」と思わぬ言葉を発した。


「は?」

「奥様です」


 糸原は目をパチクリとさせた。


「一体、どこからそんな情報を……」

「藤田くんが言っていました。彼、西城大学の出身なので。奥様のことを知っていたようです」

「そう、ですか……」


 それで得心した。あの藤田のトゲトゲしい態度は、嫉妬からくるものだった。糸原が思っているよりも『ミス西城』は偉大なものなのかもしれない。


「それで、お話とはなんでしょう?」


 改めて糸原は尋ねた。


「そうですね……」と葛西は少し考え、首を捻った。


「笹本さんの奥様は、西城大学病院に運ばれたのですよね?」


「ええ、そう聞いています」と糸原は頷いた。


「実はこちらに来る前に、大学病院を訪ねたのですが……」と葛西は一呼吸おく。珍しく眉に皺を寄せ、張り付いた笑顔を崩す。どう言い表すべきか迷っているようだ。


 しばらくの沈黙の後、「薫さん、いませんでした」と葛西は告げた。


「いませんでした?」


 糸原は葛西の放った言葉の意味を瞬時には理解できず、オウム返しする。


「ええ」と葛西も答えながら、困惑しているようだった。


「案内係の方に尋ねましたところ、患者の記録に笹本薫という名前は見当たらない、と言われました」

「それなら、別の名前で登録されている可能性があるのでは……」


 実際、うちの病院がそうだった。


「そうですね。その可能性はあります」と葛西は頷いた。


「そう思いまして、昨夜の搬送の記録を見せてもらったのですが……」


 そこで言葉を区切り、葛西は糸原を見据えた。


「昨夜の午前十二時から午前四時までの間、救急車の受け入れはありませんでした」

「病院の登録ミスの可能性は?」

「確かに、その可能性もあるのですが……」


 葛西は首を横に振った。


「消防署に連絡しましたところ、救急車の出動記録の確認は取れまして。笹本邸へは、一台、出動したとのことでした」

「一台?」

「ええ、そうです」

「それはおかしいですね」


 糸原は首を捻った。


「もし救急車が一台だったとすれば、部長と一緒に搬送するのが当然でしょうから」


 何か裏があるのでは、と考えを巡らせる。

ふと、病院の入り口ですれ違った救急隊員を思い出した。


「……救急隊員はどうですか? 彼らはなんと言っているんですか?」

「そちらはまだお話できていません。夜勤明けでお休みを頂いているそうで、連絡が取れていない状況です」


「そうですか……」と糸原は肩を落とした。


「そこで糸原さんの知恵お借りしたいのですが……」


 葛西は姿勢を正し、膝の上で手を組んだ。


「どのような方法でしたら、救急隊員に疑われることなく、重傷の患者をその場から拉致することが出来るのでしょうか?」

「拉致って……」


 糸原は、葛西が口にした強い言葉に面食らった。


「少し大袈裟なのでは?」


 しかし、葛西は至って真剣だ。


「糸原さん、これは立派な犯罪です。公衆の面前で、人を一人、堂々と拐っていったのですから」と能面のような顔で言う。


 相変わらず、表情や言動から葛西の感情を読むことは難しい。しかし、それでも、犯人に対する静かな怒りは伝わってきた。


「今現在、薫さんの居場所の手がかりはなく、傷の状態も、生死も分からない状況です。どんなことでもいいのです。何か手がかりになるようなことがあればご教示頂けませんか?」


 葛西はそう言って、深々と頭を下げた。


「そういうの、やめてください」


 糸原は葛西の行動を制した。そもそも、葛西に言われるまでもなく、薫の消息は糸原も憂慮しているところだ。わざわざ頼み込まれなくても、出来ることがあれば喜んで協力する。


 糸原は腕を胸の前で組み、宙へと視線を這わせた。


「……まず、救急隊員は『重傷者を大学病院に搬送する』とうちの病院に伝えてきました」


「ええ」と葛西は顔を上げ、頷いた。


「つまり、救急隊員は大学病院に搬送すると聞いた、またはその状況を見たということになります」


 そう言って、糸原は葛西の反応を窺った。葛西は軽く相槌を打ち、口を開く。


「仮に話を聞いたとした場合、どなたから聞いたのかということになりますね。……瑞樹くんは興奮して話せる状態ではないし、笹本さんも然り」


 糸原は大きく頷いた。


「つまり、現場には、部長と瑞樹くん、それから救急隊員のほかに、第三者がいたと考えるべきでしょう」


「なるほど」と葛西は言うが、そこまでは織り込み済みのようである。糸原は続けた。


「仮に第三者がいたとして。救急隊員が、重傷の薫さんを何の保障もない人に引き渡すことはありえない」

「確かにそうですね。身元のはっきりしない方に預けることはしないですね」


 葛西は同意した。


「そして、その人が自家用車やタクシーを使って連れていく、と言ったら、隊員は患者の安全を考え、救急車で運ぶよう促すでしょうね」

「とすると、やはり、現場には救急車がもう一台いた可能性が高いわけですね……。そうだとすれば、その救急車は一体、どちらから来たのでしょう?」


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