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満月に狂う君と  作者: 川端睦月
古都の神隠し
14/61

13


「そうか」と糸原は頷いた。「心配かけてすまなかった」と詫びる。


 由佳は小さく首を振った。


「私こそ、一人で大騒ぎしてしまってごめんなさい。晴人さんの無事も確認できたし、そろそろ帰ります」とソファーから立ち上がった。


「ちょっと待って」


 糸原は由佳の手を素早く掴む。


 笹本の死を知った由佳を一人っきりで放り出すわけにはいかない。糸原は必死に引き留める口実を探した。


「……瑞樹くんが、入院してる」

「瑞樹くんが?」


 糸原の言葉に、由佳が眉を寄せた。


「ああ、部長と一緒に運ばれてきて、検査入院をしている」

「検査入院って、どこか怪我でも?」

「いや、怪我はなかった。……ただ、興奮していたから、気持ちが落ち着くまで入院させることにした」


「そうなの」と由佳は安堵の表情を浮かべた。


「由佳が良ければ、瑞樹くんの付き添いを頼みたい」

「……付き添いって、私でいいの?」


 由佳は遠慮がちに尋ねた。


「由佳にしか頼めないんだ。薫さんも、大学病院に搬送されたし、親戚の方も昼過ぎにならないと来られないらしいから」

「薫さんまで病院に?」


「そうなんだ」と糸原は頷いた。


「由佳が側にいると、瑞樹くんも安心するだろうから。……だから、お願いしてもいいかな?」


 最後はほとほと困ったという表情を作り、頼み込む。由佳は戸惑いながらも、「わかりました」と頷いた。


 瑞樹の病室は、静寂に包まれていた。


 見舞客も付き添い人もいないのだから、当然ではあるが、一人で眠る瑞樹の孤独を感じてやるせなくなる。


 由佳は来客用の椅子に腰掛け、瑞樹の頭を撫でながら「大丈夫」と声をかけた。


 大丈夫、か。


 糸原は瑞樹の診察をしながら、その言葉の意味を考えていた。


「大丈夫」は由佳の強がりの言葉だ。自分のマイナスの気持ちを打ち消し、心のバランスを取る為の。


 糸原はそれを歯がゆく感じていた。


 一人で抱え込まないで頼って欲しいと思う。甘えて欲しいとも。

 しかし、由佳は自分の中に気持ちを閉じ込め、隠してしまう。


 自分はそんなに頼りない存在なのかと憤りを覚える。逆に、そんな彼女を愛おしくも思う。


 複雑な気持ちが入り乱れる。


 ちらりと横目で由佳を窺うと、愛おしげに瑞樹を見つめていた。


「うん、問題ないな」


 糸原は聴診器を耳から首に掛け直した。


「良かった」と由佳は瑞樹の布団を整える。その動きに合わせ、ラベンダーの香りが広がり、糸原の鼻腔をくすぐった。由佳のシャンプーの香りだ。


 不意に、衝動に駆られ、糸原は後ろから由佳を抱き寄せた。


「晴人さん……」


 驚いた由佳は腕を解こうとするが、「ごめん、少しだけ……」と更に腕に力を込め、抱き寄せる。


 由佳はコクリと頷き、糸原に身体を預けた。


「ありがとう……」


 由佳の髪に顔を埋め、しばし彼女の温もりを堪能する。


 由佳がどう思っていても、この温もりだけは守りたい──。


 糸原は強く思った。


「……愛してる」


 由佳の髪に軽く口付をし、拘束を解く。由佳は髪の乱れを直しながら、火照った顔で糸原を見上げた。


「そろそろ仕事に戻るよ。お昼にまた来るから」と言い残し、糸原は病室を後にした。


 それから、午前中はあっと言う間に過ぎた。通常の外来業務と病棟の回診の他に、部長の業務も分担して行うことになり、現場は混乱を極めた。新しい人員が配属されるまでは、当分この状態が続くことになりそうだ。


 当直明けのニノ方は帰りそびれて、結局お昼までフル回転で働いていた。


 ようやく昼休憩を取れるようになったのは、午後一時を過ぎてからだった。


 診察室を出て、一旦医局に戻る。ヨレヨレになったニノ方が「お先に失礼します」と力なく帰って行くのを見送り、糸原は瑞樹の病室へと向かった。


 *


「おや、糸原さん」

「……葛西さん」


 小児病棟のナースステーション前で、葛西と遭遇する。隣には藤田と見覚えのある女性が並んでいた。薫の姉の菜緒子だ。


「お久しぶりです、糸原さん」と菜緒子は頭を下げた。四〇代前半の薫によく似た顔立ちの女性である。


「……菜緒子さん」


 いつもは快活な印象の彼女だが、今日は翳りを感じた。


 無理もないな、と糸原は思った。


 妹家族が事件に巻き込まれ、義弟の死を知らされたのだから。


「この度は、ご愁傷様です」と糸原は型通りの言葉と共に頭を下げた。


「恐れいります」と菜緒子が応じる。途端に、彼女の頬を涙が伝った。


「あら、いやだ……」


 そう言って、菜緒子はハンカチで目頭を押さえた。事件の報せを受けてからずっと張り詰めていた糸が切れたのだろう。


「ごめんなさいね。少し安心して……」


 菜緒子は無理に笑顔を取り繕うとする。糸原は首を横に振った。


 どうも糸原の周りの女性は、感情を素直に表すことが苦手らしい。


 糸原は菜緒子の肩に手を置き、顔を覗き込んだ。


「──瑞樹くん、無事ですよ」


 子供を諭すように、目を合わせ、穏やかに告げる。

 瞬間、安堵の表情が彼女の顔を覆い、大きく見開かれた目からは大粒の涙がボロボロと溢れ落ちた。


「よかった、よかった」と心底安心したように、何度も繰り返し言う。

 糸原もそれに合わせて頷きながら、菜緒子の肩を摩った。


「糸原さん、ちょっとよろしいですか?」


 しばらく黙って様子を窺っていた葛西が、口を開いた。


「何か?」と糸原は菜緒子の肩を摩るのを止め、葛西を見返した。


「お忙しいところ大変恐縮ではありますが、二人っきりでお話をしたいので、お時間を頂けませんか?」


 いつも通りのにこやかな顔で尋ねる。言葉は丁寧だが、半ば強制であることは感じ取れた。


 糸原は少し考え、「分かりました」と答えた。


 捜査の進捗状況は、糸原も気になるところだ。しかし、菜緒子や由佳の前で話すべきことではないと思っていた。

 だから、葛西の提案は糸原にしても願ったり叶ったりだった。


「ありがとうございます」


 葛西はニコリと笑う。

 それから、「菊池さんを瑞樹くんの病室まで案内してくれませんか?」と藤田に指示を出した。


 藤田は「はいっ」という体育会系らしい元気のいい返事をし、糸原に代わって菜緒子の手を取った。


「あ、病室は……」と糸原が言いかけたのを、藤田は「知っています」と強い口調で制し、睨みつける。


 突然向けられた藤田の敵意に、糸原は首を傾げた。


 ──何か失礼をしただろうか?


 しかし、思い当たることはなく、糸原は早々に考えるのをやめた。


「……当直室、行きましょうか?」


 葛西を誘い、当直室へと向かった。


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