火の爆ぜる音がする。呼吸をすると、熱せられた空気が肺まで流れ込み、身体の中から焼かれているように熱い。
男は朦朧とする意識の中、瞼をゆっくりと開けた。
紅く小さな火の粉が舞う。
それは蛍の光を彷彿とさせて、思わず見惚れてしまう。と、同時に絶望もした。
燃え盛る炎が辺りを囲い、さらにその触手を男へ伸ばそうとしていた。
男は死を意識した。
ふと、目の前に転がる携帯電話に気づいた。男は最後の力を振り絞り、携帯電話を引き寄せた。片手で電話帳を操作し、目的の名前を探す。
『大道』
その名前に行き当たり、迷わず発信ボタンを押した。
ほどなく呼び出し音が鳴る。
──一回。
──二回。
男にはとても長い時間に感じた。
数回のそれのあと、電話はようやく繋がった。
「私だ」
間髪入れずに男は名乗った。
「……教授。どうしました?」
眠たげな若い男の声が、怪訝そうに問い返した。
当然のことである。時刻は午前一時を過ぎていた。
「すまない、大道くん」
「いきなり、なんですか?」
大道と呼ばれた相手は突然の謝罪に困惑したようだった。
「あれは、失敗だった」
構わず男は告げた。
「あれ?」
電話の相手は意味がわからず問い返した。
「……私の全てだよ」
その言葉に、電話の向こう側で息を呑むのがわかった。
すまなかった、と男は詫びた。目には涙が浮かんでいた。
「──ちょっと待ってください。失敗って、どういうことですか?」
電話の相手が尋ねた。しかし、それに答えることなく、男は一方的に話を続ける。
「資料は耐火金庫に保管してあるから大丈夫だとは思うが……」
ゴホゴホと咳き込む。
「……教授? 大丈夫ですか?」
気遣わしげに相手が尋ねた。
「サンプルは、どうかな……。助からないかもしれないな」
そう言って、またゴホゴホと咳き込んだ。
「教授っ。一体、何があったんですか?」
少しの沈黙のあと、男が答えた。
「──ちょっと、ヘマをやらかしたようだ。……研究室が燃えている」
「燃えているって……。大丈夫なんですか? 早く避難してくださいっ」
「ああ、そうしたい、ところ、なんだが……。動けないんだ」
息が苦しい。話をするのもやっとだ。
「動けない?」
「爆風で、吹き飛んだ、ロッカーが、……身体の、上に乗っかって」
駄目みたいだ、と男は渇いた笑い声を上げた。
「それなら、僕が今すぐ行きますっ」
電話の相手が息巻いた。
しかし、いいよ、と男は言った。もう、いいよ、と。
「……それより、由佳のこと、よろしく、頼む……」
そこまで言って、男は意識を失った。電話の向こうでは、教授、と必死に呼びかける声が虚しく響いた。