食べること
「田中さーん、昼ごはん来ましたよ」
目の前に出された病院食を、本当に食事として認識しているのかも分からない。無理もないかもしれない。こんなペースト状にされた固まり見せられたってさ。私だって、この緑のドロドロは何の葉っぱですかって聞かれても答えられないもん。
ベッドの頭側を上げて、エプロン着けて、セッティングして、スプーン持たせたところで自分では食べてくれないから、看護師や助手が介助する他ないのだ。それでも、この人は食べたそうにしているから食べてもらっている。しわしわになった口元を震わせて、頑張って咀嚼してくれるのだ。本当に末期まで進行してしまうと、それすらできなくなる。
経口摂取であれば本人が食べたがっているのか、そうじゃないのか。意思疎通が図れないなら、手探りでやっていくしかない現状だ。
田中さんが、おかずを飲みこんでから盛大にムセた。たまにこういうことがある。
「あらあらあら、大丈夫?」
高齢者の中には、ムセないでそのまま気管に食べ物が入ってしまう人もいる。そのまま肺炎を引き起こしてしまうから恐ろしい。もちろんちゃんとムセてくれる人であろうと、誤嚥性肺炎のリスクはある。
『食べるのが大好きな母だったんです。ぜひ最後まで食べさせてあげてください』
数日前に聞いた長女さんの話を思い出す。意思疎通困難な末期患者への栄養方法の選択というのは、永遠の課題だと思っている。
ーー口から食べることで誤嚥して、肺炎になるリスクはあります。食べさせますか? 食べさせませんか? 他に、胃瘻といって栄養剤を入れる方法や、点滴だけで自然にみていく方法もあります。
先生の説明に、頭を悩ませる家族たち。一体、「食べる」とはどこからどこまでの範囲をさすのだろう。医療技術の進歩によって胃瘻栄養や高カロリー輸液の投与が可能になった今、「食べる」の定義が大きく揺らいでいる気がするのだ…………。