つかむ、つかませる、…つかむ
「・・・あーあー、へたこいたー!やらかしちまったよ!!ついついうっかりと、死んじまった!おっかしいなあ、どこで間違ったかな。くっそー次に生まれるときはぜって―俺は勝ち組になるからな!!」
ついさっき、酒に酔って道に躍り出た俺は、通りかかったトラックに轢かれてぺっちゃんこになってしまった。
「醜く潰れる自分の姿なんざ見たくねえな…どっか眺めのいい場所に行こ!」
俺は風にのっかって、辺りをふわふわと漂い始めた。
せっかく死んだんだ、自由にいろいろと飛び回るくらいは…させてくれってね。
中途半端な都会の一角、なんとなくぼんやりとした締まらない街並み。
超高層ビルなんかどこにもないが、それなりに近代的な建物がボチボチ並んでいて、遠くには公園の緑がちらほら。
つまんねえ人生を生きてきたが、死んじまったら案外キレイな世の中ってのが見えてくるんだなあ…。
なんてことの無い街並みが、緑が、やけに輝いて見えやがる。
なんてことの無い晴れた空が、やけに目に沁みやがる。
青い、青い、空。
雲がぽっかり、浮かんでら…。
風に身を任せ、俺はどんどん、流されてゆく。
道を行く車が、おもちゃみたいに見える。
俺、おもちゃの車、好きだったんだよな。
…クソオヤジのせいで全然買ってもらえなかったけど。
…いっぱいパクって喜んでたなあ。
結局全部捨てたけどさ。
空から見ると、ずいぶん地上ってのはごちゃごちゃしてるもんなんだな。
信号でわらわらと動く人の群れが…ありんこみたいで、やけに目に付く。
あんなキモいもんが偉そうな事ぬかしながら金をじゃぶじゃぶ使って生きてるんだな、世の中って。
…まあ、俺はじゃぶじゃぶ使えなかったわけだけども。
稼いだ金稼いだ金すべてクソオヤジとクソババアに根こそぎ奪われて。
あーあー、ホントツマんねえ一生だったよ。
生きて損したわ。
そんなことを考えながら、風に流されていたら。
まあまあ高いビルの屋上で、大の字になって空を見上げてる兄ちゃんが、目に入った。
こぎれいな兄ちゃんだ。
こぎれいにできるくらい余裕あんだな。
ふん、恵まれたやつだ。
俺なんざ、年がら年中破れたジーパンに変色してよれよれになったTシャツと作業用の上着一枚で過ごしてたってのにさ。
どうせオメーは汚れ仕事のひとつもしたことねーんだろってね。
見てるだけで腹が立つ。
苦労を知らない腑抜けた兄ちゃんに苛立った。
風の流れに逆らって、兄ちゃんの横に浮いてみる。
兄ちゃんが、手を、空に向かって差し出した。
兄ちゃんが、何も言わずに、手を、握る。
・・・こいつ。
野望でも、摑もうとしているのか?
幸運でも、摑もうとしているのか?
運命でも、摑もうとしているのか?
「はっ!!!ははは!!!!!!」
思わず、笑っちまった。
…こいつ、俺とおんなじことしてやがる!
俺も、何度も何度も…空に手を伸ばして、何かを摑めたらいいなと、願った。
俺も、何度も何度も…空に手を伸ばして、何も摑めず、唾を吐いた。
変えたい、変えられない、変わらない、生活。
何一つ変えることができず、俺は死んじまった。
オメーが手を伸ばしたところで、何一つ手につかめるものなんざ、ねーんだよ!
無性に、腹が立つ。
何の苦労もしてねえくせに。
何の努力もしてねえくせに。
無性に、ぶちのめしたくなった。
手を伸ばすだけで手に入れようとする図々しさが気に入らねえ。
手を伸ばすだけで変えることができると思うヌルさが気に入らねえ。
・・・摑ませてやりてえな。
襲いかかる、不幸ってやつをさ。
ありえないほどの、不幸ってやつをさ。
逃げることのできない、不幸ってやつをさ。
苦労も努力もしないで、手を伸ばして幸せが摑めると思ってる、甘ちゃんのお坊ちゃんにはぴったりの薬になると思うぜ?
泣けよ。
叫べよ。
藻掻けよ。
諦めろよ。
逃げるなよ?
逃げられねえぜ?
死んだらこんなに楽になれるんだ、それまでせいぜい苦しみ続けるがいいさ。
俺のどす黒い感情が、真っ黒い靄になってあふれだした。
・・・ああ、ちょうどいい。
「お前に、摑ませてやるよ!!!」
右手を差し出す兄ちゃんに、靄の塊を、ポンと…投げた。
兄ちゃんは、そのもやを摑んで…胸元に。
「困りますねえ…何勝手な事、してるんですか。」
!!!!!!!!!!
俺の後ろ?から、やけに落ち着いた声が、聞こえてきた。
「な!!なんだ、てめえは!!!急に出てくんじゃねーよ!!ぶっ殺すぞ!」
「…おお、怖い、それは、失礼?」
ふり返ると、細身の白いスーツを着た男が、浮かんでいる。
…死神か?ずいぶん遅いお出ましだなあ、おい!
「あなた、…探しましたよ?勝手に飛んで行ってもらっては、困ります。」
「知るか!!」
死んだらその場に止まらねばならないなんて聞いてねえからな!
「あなた、ずいぶん自分の立場分かってらっしゃらないみたいですけど。…死んだってことは、理解できてます?」
「飛んでってまずいなら死んだ直後に来いや!!いまさらごちゃごちゃうるせーんだよ!!」
腕を組んでこちらを見る男に、文句を垂れる。
「…直後はね、あなたに会う事が、出来なかったものですから、ええ。」
「じゃあそっちが悪いんだろうが!!バーカ!!」
俺は、再び、風に乗ってどこかに行こうと。
「ああ、ダメですよ、あなたは…もうわたくし共の管轄になりましたので。」
「・・・はあ?」
…青空の、彩度が…どんどん、落ちて…来やがった。
「責任を、取っていただきますのでね。」
…青空の、明度が…どんどん、低く…なる。
「責任って!俺は何も…」
闇に、包まれた、俺は。
「青年に、不幸を握らせたでしょう?」
「あれは!!甘ちゃんのあいつに勉強させてやろうと!!」
「あまちゃん?あの青年の事を、何一つ知らないくせに?勉強させてやる?へえ、勉強してこなかった、あなたが?」
「見ず知らずの人に、不幸を握らせた罪は。」
重 い で す よ ?
兄ちゃんの、人生が、見える。
恵まれない、家庭環境。
いつも孤独に過ごす、日々。
願う事を知らない、生き方。
無茶を止めるすべを持たない、不器用さ。
逃げ出すことで落ち着きを得る…不安定な心。
人 の 運 命 に 介 入 し た 罪 は 重 い で す よ …
兄ちゃんは、ホストをしている。
酒を毎日かっ喰らって、ぼろぼろになりながら金を稼ぐ。
ある日、なじみの客が赤ん坊を置いていった。
兄ちゃんの子だそうだ。
孤独だった兄ちゃんは、子供を引き取って、夢を描く。
俺の孤独を埋めてくれる唯一。
俺と不安を乗り越えてくれる唯一。
俺を信頼してくれる唯一。
俺が守ってやらねばならない、唯一。
夢は、現実化しない。
都合の悪い時ばかり問題を起こす子供がめんどくさくなる。
都合のいい時に都合のいい言葉をくれない子供に腹を立てる。
都合の悪い時に横にいる子供がうっとおしくなる。
都合のいい時だけ親父風を吹かせる自分に吐き気がする。
都合のいい子供に育てるために、徹底的に学ばせる。
悪い事をしたら体罰を与える。
気に入らないことをしたら無視をする。
つまらない事を言ったら暴言でねじ伏せる。
都合の悪い事はすべて目を逸らして、我関せず。
勉強を教えてと言ったら自分で何とかしろと突っぱねる。
服を買ってと言ったら自分でパクって来いと放り出す。
金がないと言ったらツレの親に媚びて来いと叩きだす。
やがて兄ちゃんは体を壊し、手足が震えるようになった頃、交通事故を起こす。
老人夫婦を轢いて、軽症を負わせた。
無保険車を運転していたため、保険金が下りず子供が世話をすることになる。
中学卒業と同時に、見ず知らずの他人の介護を始める、子供。
暴言を吐く老夫婦に、ただただ仕える、子供。
働けずに毎日軽犯罪を起こす父親の世話をしつつ、老夫婦を看取った。
働けずに毎日犯罪を犯す父親に殴られ、意識を失った子供。
子供は、無意識に、手を伸ばし。
黒い、靄を、摑んだ。
「さあ、予習は、出来ましたね?」
真っ黒い、闇の中、白いスーツの男が、輝いている。
「何を…言っている?」
「あなたには・・・そうですね。健康な体と、揺るがぬ信念を与えましょう。」
―――どれほど打ちのめされても、立ち上がることができる強靭な肉体。
―――どれほど打ちのめされても、病むことのできない健康な心。
―――どれほど打ちのめされても、いつか報われる時が来ると信じ続ける固執。
―――どれほど打ちのめされても、自分だけがこの困難を乗り越えられると思い込む驕り。
「あの青年が怪我をさせる老夫婦ね、あなたのご両親ですよ。」
―――使えねえ息子が死にやがった!
―――親不孝者!面倒な事ばかり起こす!
―――保険金も出ねえとかふざけんな!
―――運転手が死んでてどこからも金が毟れないじゃない!
「よかったですね、親孝行、出来そうですよ?死んでなおご両親に使われるとか、最高でしょう?」
―――あざができた、一生もんの傷つけやがって!
―――年寄りを何だと思ってるんだ、もっと労わらんか!
―――もっと金持ちに轢かれりゃよかった。
―――せいぜいこき使って憂さ晴らししてやろう。
「死にたてほやほやの時、あなたのおばあちゃんがね、迎えに来てたんですよね。」
―――かわいそうな子。
―――私は、あんたの事だけが、気がかりで。
―――いつも、見守って、いたんだよ?
「さんざん親に扱き使われて…徳も積んでたし、上に行けそうだったのに、ねえ?」
―――一緒に、上がろうと、迎えに来たんだよ?
―――気が付いてくれなくて…悲しかった。
―――あんたは、一人で飛んで行ってしまって。
「いろいろと、気付けなくて、残念でしたねえ?」
―――人の不幸を悲しんでいたあんたが。
―――人の不幸を望むようになっていたなんて。
「ま。」
―――残念で、ならないよ…。
「そのおかげで、わたくしが、あなたの担当になれたわけですから。…ありがたいことです。」
いろんな声が、交差して。
すこぶる、気分が…悪い。
逃げ出したいのに、動けない。
消えてしまいたいのに、しっかり存在している。
ただ、受け入れる事しか許されない、この世の中の、システムが。
俺に・・・圧し掛かる。
「…これから、長い付き合いになりそうなのでね。」
よ ろ し く お ね が い し ま す ね ?
ぐ、ぐぐぐ・・・。
ただ広がっていた、闇が…動き始めた。
「・・・そろそろ次の運命が始まります。」
ぐぐ、ぐるん、ぐるん・・・。
俺の融け込んでいる、闇が、ねじれ始めた。
「あなたが、いつか摑む靄は・・・。」
ぐぐぐ、ぐるん、ぐるんぐるん・・・。
闇のねじれの端から、青い空が、混じり始めた。
「・・・いったい誰が。」
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐ・・・・!!!!
闇が、空にねじ込まれて…!!!ま、眩しすぎて…!!!
「恵んでくれるんでしょうねえ…?」
ア、ア、ア、ああああああああアアアアアアアアアア!!!!!
―――元気な男の子ですよ!
―――エー!いらね!!
「ア、ア、ア、ああああああああアアアアアアアアアア!!!!!」