過去形⇔現在進行形
今年も、夏の終わりを告げるセミの死骸が辺りに散らばっている。
昼過ぎの駅のホーム。
サンサンと照らす太陽から視界をそらすように前方を見ると、知っている背中が目に入った。
「よっ!」
「……」
「おいおい無視かよ……。小学校からの付き合いじゃんか」
「……高校上がってからは話してないから実質赤の他人よ」
「二年という時日が俺とかれんの間に大きな溝を……」
ため息を着く俺を横目に、かれんは歩幅を広げる。
昔はどんな些細なことでも笑顔で話に付き合ってくれたのに……。
「なんでこんな尖った性格に……」
「漏れてるわよ」
「え、まじ?」
「はぁ……心の声よ……。恥ずかしいから下半身確認するのやめてもらえるかしら」
「すまん……」
駅は人が多い。
こんな人ごみの中で下半身さわさわしてた自分を想像するとかれんが申し訳なく思ってくる。
「こんな刺々しい私をかつて好きだった物好きさんがいたらしいわね」
「……誰のことでしょうね?」
好きだった、か。
「かれんの中では過去形なんだな」
「……それってどういう」
「深い意味は無いさ」
ちなみにその物好きとやらは俺のことだろう。
かれんはそう言っているが、当時は容姿も性格もクラスで一二を争うほどだった。(クラスの男子調べ)
時とは残酷なもので、ものの数年で人を変えてしまう。
一緒に過ごしたあの頃の思い出は、今も心に焼き付いて離れない。
小四の夏。蝉の鳴く頃になると思い出す。
……冒頭でセミの死骸の話しちゃったけど。
「かれんも今日は部活だったのか?」
「今日は教室で自習してたわ」
「さすがだわ。てことは課題とかって」
「もう休みも終盤なんだから、終わってない方がおかしいわ」
ちなみにここで言うおかしい人に勿論俺は該当する。
部活が忙しかったわけじゃない。
なんからゆるすぎて片手ほどしか参加した記憶がない。
「……終わってないんでしょ」
「……少しだけ、ね」
そう言って課題リストを取り出す。
ちなみに俺は終わったものにチェックをつける派。
「ほぼ全部じゃない……」
ここに来て今日初めてかれんの表情が動く。
出来れば笑うとか、可愛い顔して欲しかった。
苦笑いを通り越してドン引きするかれん。
ちなみに夏休みはあと一週間。
「本当は今日の午後俺も教室で勉強しようと思って道具持ってきたんだが、制服を持ってくるのを忘れて……。なんでいちいち制服着る必要が……」
「珍しく同感だわ。暑くてやってられないわね」
電車が駅のホームを通過し、爆音とともに生ぬるい風が押し寄せる。
「……和真はこの後予定あったりするのかしら」
「いや、無いけど。……かれんに名前呼ばれるのすげぇ久しぶりな気がする」
平日ということもあって電車は空いていたが、一駅で降りるためドア付近に立つ。
かれんも気を使ってか反対側に立った。
「私はこれから駅前のカフェによって行く予定だけど」
一緒にどうかしら?ということなのだろうか。
かれんの表情は疑問を浮かべていた。
「勉強道具持ってきたのに何もせずに帰るのも虚しいしなぁ。着いてっていいか?」
「別に構わないわ」
その声と重なるように電車が駅へと到着した。
「お好きな席へどうぞ」
着いたのは駅前のカフェというイメージとは少し変わった、落ち着いた雰囲気のある店だった。
「よくここには来るのか?」
「考査前とかはよく来たりしているわ」
店内は紅茶の匂いだろうか?
甘い香りが漂っている。
「へぇ、色んなメニューがあるんだな」
渡されたメニューには、見覚えのないものが並んでいた。
Assam
seroin
Darjeeling
wet nurse
dhinbura
Earl Grey……等々。
「……ちなみにかれんのおすすめは?」
素人が直感で頼むより、有識者に聞いた方が良い。
かれんは少し悩んだ後、
「やっぱりこれかしら」
指さしたのはアッサムという紅茶だった。
「じゃあそれにしようかな。かれんは?」
「私も同じの」
注文を済ませ、教材をバッグから取り出して紅茶が来るのを待った。
「ねぇ?」
「んー?」
「ここの問題、分かるかしら?」
かれんが分からないものが俺をわかるはずがないだろ、と思いつつも一応問題に目を通す。
席を立ってかれんの後ろに回るとシャンプーのいい香りが鼻腔をくすぐった。
「あー、エラトステネスの測定か。要するにアレキサンドリアとシエネは実際には同緯線上にはないんだけどこの頃は正確に図る方法がなかったから……っ!」
「……?どうしたの……って!〜ッ///どこ見てるのよ!」
かれんは咄嗟に距離を取り胸元を手で覆う。
夏服のためいつもより胸元が緩くなっている。
「いや、ちがっ……」
「最っ低!」
「見ようとしたわけじゃない!たまたまだ、たまたま!」
「てことはやっぱり見たんじゃない!……変態っ」
……こういう時ってありますよね?
こういう時、謝るのが丸いんですかね?
教えてくれ全国のラッキースケベ達。
微妙な空気のまま時は過ぎていった。
この駅はロータリーを挟んで向こう側には平野が広がっていて、遠くにある山に日が隠れていくのが確認できる。
この辺りでは有名なフォトスポットだ。
そんな場所でカフェを出た俺たちはぼんやりと夕日を見ていた。
「今日は、その……」
「ん?」
かれんが足を止め口をもごもごさせる。
「その、声掛けてくれて、ありがとう」
俯いているかれんは小さく、だけどはっきりとそう告げた。
「俺の方こそありがとな。久々に充実した一日だったよ」
そういうとかれんが「私も」と顔を逸らしたまま言う。
「それじゃ、俺こっちだから。また一緒に勉強しような」
そう言って和真はその場を離れようとしたその時、不意に腕を引っ張られた。
「どした?……かれん?」
かれんの手は震えていた。
何かを言いたげにしているのは見ればわかる。
だが、喉につっかえて出てこない。
そんな感じだった。
それを和真は静かを待つ。
そして──、
「今日会った時、あなた"かれんの中では過去形なんだな"って言ったじゃない?」
「……あー、」
「あのね……」
かれんが顔を上げる。
その表情はまるでかつての──、
「………ん」
初めてのキスはレモンの味。
そんな前提が覆された。
初めてのキスはさっきの店で飲んだ紅茶の味がした。
紅茶の花言葉確か……純愛だったような。
「私の中では……現在進行形……だから……」
そう言って歩き出すかれんの肩を引く。
「俺だって──」
たとえひと夏の恋だとしても、
この気持ちは一生心にあり続けるだろう。