第〇九七話
私が屋根の傍で軽く凹んでいると、エンヤさんが腰を屈めて語り掛けてきた。
「んもー、機嫌直して下さいよー、カノンさん」
「…………」
「私のちょっとしたストレス発……冗談なんですからー、気にしないで下さいよ」
おいっ、今ストレス発散って言おうとしたな!? 絶対弄って楽しんでるだろう!! 相変わらずだなこの死神は!! 私の心は地味に繊細なんだぞ!!
そんな心の暴風雨が吹き荒れている中、今度は洗い場の方から「か、カノンっ、カノンは居るか!?」とオリガさんの呼ぶ声が聞こてきた。
エンヤさんの気配を察知したんだろうなと思いながら、膝に埋めていた顔を上げてエンヤさんに視線を向ける。彼女が頷いたので足場にしていた透明な盾をスルスルと洗い場の入り口まで移動させる。
何食わぬ顔をして透明な盾を降りて洗い場の中に声を掛けると、オリガさん達が「不穏な気配を感じた! イーサが得体の知れない気配にガタガタ震えている。カノンの方は無事か!!」と言って、急いで洗い場から出ようとしていたので「そんな気配は感じませんよー。一応、私が回りを確認してくるので慌てなくてもいいですよー」と暢気な雰囲気で声を掛けて落ち着かせる。
そして暗くなってきたので明かり取り用のランタンを渡して、外に様子を見に出たフリをして、私は透明な盾の足場を使ってエンヤさんに所に行って、事情を説明して場所の移動をお願いした。少し合間を見計らってから洗い場へ戻り、オリガさんは釈然としていない様子だったけれど、私は何事も無かったと報告をした。
既にオリガさんとイーサさんは何かあった場合に備えて着替えを終えていた。二人にはもう少しゆっくりとお湯に浸かっていて欲しかったけれど、不慮の訪問者の所為とは言え、なんとなく申し訳ない事をしてしまった感じがする。
私は洗い場の後片付けをすると申し出て、二人は余裕が有るのであれば商隊を持て成している宴会場に行ってみては、と勧めてみた。
オリガさんはマスロープ村の開墾地での、その後の状況確認をしたいからと宴会場に向かった。イーサさんも一緒に行動するのかなと思っていたら、相方のクリスさんが心配だからと一旦、宿の部屋に様子を見に戻っていった。
私は後片付けを済ませ、エンヤさんが待っている洗い場の入り口から西側へ抜けたロンガータ湖が見える宿の物干し場へ移動した。
太陽は沈んで薄っすらとした微かな光が西の空と雲を照らしている。湖の縁には集落で焚いた灯りか、湖上には漁り火らしき灯りが幾つか浮かび上がっている。それを背景にして、エンヤさんは柵に肘を掛けてこちらを向いて待っていた。
私は手にしたランタンを頼りにエンヤさんの下まで歩いていく。
「お待たせしました。エンヤさん」
「改めまして、カノンさんお久しぶりです。前世では殆ど触れる事が出来なかった女性体の探求に余念が無いのは素晴らしい心掛けです。流石元童貞さん。あ、まだ童貞でしたっけ」
「た、確かに童貞でしたけどー、転生女体化して卒業出来なくなりましたけどー、って相変わらず私の扱いが酷いですね、エンヤさんは。むしろもっと悪化した気がします」
「当然です。女の子の身体はデリケートなんですから、自分の身体でも試してるから判ると思いますけど、自己満足で好き勝手やってちゃダメですよ、最後に取り返しが着かなくなります」
「クリスさんも指名してくるので気持ちのいいマッサージに満足してる筈です。一方的なんて……」
「今のカノンさんは電気マッサージ機やオナホと、ただの気持ちのいい道具と代わらないんですよ。やるならもっと相手の事を考えて、愛情込めて優しく扱いなさい。判りましたか?」
「私の扱いが電気マッサージ機にオナホとか。でもやるなとは言わないんですね。有り難い様な、それでいて覗かれているくさいから有り難くない様なー……」
「判りましたね?」
「……あっ、はい」
「まぁ、いいでしょう。あとドサクサに紛れて、私に甘えようなんて一億万年早いです。カノンさんの考える事は丸っとお見通しですからね」
「……一億万年て。そ、それで今日の訪問は観察官としての挨拶に来ただけなんでしょうか?」
なんとなくこのままエンヤさんに弄り倒されそうな気がするのでさっさと話題を変える事にした。
つか、私も久しぶりなので、このままだと何時もの流れで、普段会えなかった旧友との再会みたく、或いは同窓会みたいなノリで弄りから始まり互いの近況報告、アンド愚痴大会へと移行してしまいそうな気配。むしろ夜通し話していられる自信がある。なので用件は先に済ますべきだろう。
「え、特に何か有った訳ではないですよ。ぶっちゃけカノンさんがイベント終了させた後の方が忙しいくらいです」
な、なんだってーっ! って、死神だから魂の送迎の方が大変なのかな。私の頑張り次第でエンヤさんに楽させる事が出来るんだろう。
「今回は運よくチュートリアル的な扱いで怪我人だけで済みましたけど、本番はペンタグリムです。一応、補充要員も出る予定になっています」
私の楽観視は補充要員と言う単語に否定された。どんだけの被害が出るんだよ、と渋い顔をしてエンヤさんの顔を見る。
「まぁ、どうせカノンさんがイベント発生を知る頃には既に犠牲者が出てるんで、みんなが上手くやれば被害は最小に抑えられるんじゃないかなー、ってな感じです。気にしたら負けです」
気付いた時は既に遅いって、気にしたら負けってキツイなぁ。……ん、チュートリアル? 地味に聞き流していたけれど、その言葉に引っ掛かりを覚えた。教育の手法で一対一、或いは少数へ集中的に教える。教育を施す。だったか。
私としてはゲーム的に操作や知識の予行練習みたいなイメージが大きい。なら今回と似たような事がペンタグリムで起きるのか? 今回の初めてってなんだ?
今日の出来事に思いを馳せ様としてエンヤさんが今回の訪問理由を語り始めた。
「あとタイミング的にカノンさんと話せる機会が今回しかなかった無かったんですよ」
「あ、もしかしてヒントをくれる為に来てくれたんですか?」
「決まってるじゃないですかー」
おぉ、やったね。それこそ有り難い話である。
「当然、愚痴大会開催の為ですよ。お子様はいいですよねー、仕事しなくていいですから」
「いや! 私も前世分で勤め人の苦労をそれこそ過労死したぐらいに知ってるから!!」
この後、間を置いて深夜から、私の言葉は一切届かず挟み込めない程に、エンヤさんの愚痴を滅茶苦茶聞かされた。……全然有り難くもなんともなかったわ。
我が妄想……続き、でした。
読んで頂き有り難うございます。
更新は不定期でマイペースです。