第〇七〇話
しまった。みんなと別れの際に親指立てて「アイルビーバック!」って言えば良かった。と思った所で既に後の祭りだった。まぁ、これもみんなには通じない自己満足なだけのネタなんだけれど。
当初、スキーを履いている事だし、開拓村を出たら素直に南下せず、白銀に覆われた道なき道を黒の樹海沿いを南西に向かってショートカットして歩けばいいやと思い立ち進んでいた。
所々、雪の隙間から枯れた節くれ立った葦っぽいのが見え隠れしていたけれど、気にせず途中まで進んだ。までは良かったけれど、ある地点で突然ストックが抵抗なくズボッっと沈み込んだので、慌ててバックしてこんな所に落とし穴か、獣の巣穴か、と穴を覗いて確認した。
樹海から流れ出たのか雪解け水かは判らないけれど、雪の下に暗渠みたく、チロチロと小川が流れていた。枯れた葦っぽいのが広域に見えるので、もしかしたら、辺りには池沼も在るのかもしれない。つか、現在位置の回りにも多少の枯れた葦っぽいのが顔を出している。
私の身体が軽かったから良かったものの、もう少し体重が有ったら、更に踏み込んでいたら、冷たい水に浸かっていた可能性があったかもしれない。春の雪解け時、水死体として揚った事を考えたら背筋がゾッとして周りの温度も少し下がった気がした。
私は慌てて進行方向を南の方へ変えて、辛うじて見える村落のシルエットが見える方へ、街道がある方へ、ストックで足元を確認しながら、慎重に歩いた。
街道に出たけれど、夏場と違い歩く人が少ないのと、前世日本の様に防雪柵、防風柵も無いので殆どが雪に覆われている。辛うじて、街道の所在を示す赤い布が括り付けられたポールが一定の間隔で点々と街道を線で結ぶ感じで立っていた。そのガイドに従い街道を歩く。
歳を追う毎に一年の流れが、時間が短く感じると言うけれど、若い頃は覚える事が多過ぎて時間が幾ら在っても足りないだけなんだと思う。
単純に身体が馴れた行動を無意識に自動化、効率化してしまうので、何も考えなくても何時の間にか終わってる事も多く、実際の活動した時間は同じでも、感覚的に早く感じるんだろう。
何を言いたいかというと、夏場に何度か使って馴れた道の所為か、冬、……もうすぐ春先だけれど、雪で何時もと使い勝手が変って苦労するかなと思っていたのが、身体が効率化したのか、無意識の内にスイスイと進む為、その間、つい余計な思考をしてしまうのだ。
開拓村に、実家に残してきたお風呂の事。私の魔法の代替案として、湯船に水を張ってから、熱した石を投入して暖める方法を上手くやれるだろうか。誤って火傷しないだろうか。とか。前世の記憶を振り返ってみたりとか。
そういえば、前世では酒、煙草、ギャンブル、女すらやってないから、生きた証と言うか、なんて面白みの無い人生だったんだろうか? って。いや、オタク人生は楽しかったよ? 二次元嫁ハーレムだったし。
ただ、その嫁達は共通して眼鏡を掛けていたけれど、段々と姿を思い出せなくなってきて、なんとなく前世の記憶が掠れてきたなぁ。なんて感慨に耽る。こっちに来てもう十一年も経てばそうなるかぁ。……ん?
「やぁ、元気にしていたかな、カノンさん」
「……っ!?」
いい感じに思考が飛んでいたので、突然横に現れた黒い気配と掛けられた声に、思わず吃驚してしまった。
見上げると、黒一色で統一された装束。丸い形の帽子を被り、ビシッと決まった詰襟学生服の様な制服を着て、何故か対照的にボロボロの外套を纏っている糸目が特徴の男。
過去に二度、今回で三度目。私の前に現れたエンヤさんの上司の死神だ。
「うん。洒落た物を履いているね。手作りスキー、かな。前世冬場での、割とポピュラーな履き物だね。この世界では……確かブリタニア帝国の北東にある大陸半島が発祥だったか」
……おうっ、マジか。この世界にもスキーが有ったのかぁ。開拓村でドヤ顔で自慢していた私はとても恥かしいヤツじゃないか。
「この世界は情報網が発達していないからね。この地域で知られてないだけで、似た様な技術なんて似た様な環境の元、時間が経てば必要に応じて出来るものだよ」
私の心情を汲み取ったような言葉が出てきた。……心を読まれたか? 表情に出てたか? むしろこの死神、エンヤさんの上司は、何をしに出てきた?
しかし、この男、私の横を一緒に進んでいるんだけれど、足跡すら付けずに軽やかに雪上を歩いているんだけど。本当、物質に囚われていない存在だとよく判る事象だ。
「……お久しぶりです。突然声を掛けられて吃驚しましたよ」
「私達は何時も君達の隣に立っているんだけれどねぇ」
怖っ。死のストーカーかよ!? 四六時中、死と隣り合わせで見られているなら彼是と変な事出来ないじゃないかっ!!
「ああ、私には生物の欲望、生存本能には興味は無いからね。気にせず欲望に忠実に好きに生きればいいよ」
なにこれ。やっぱ心読まれてる!? 現状この雪に覆われた街道は、実は時空間から切り離されて、神の部屋とか漂白した世界だった、なんて事は無いですよね? 今が本当の転生スタートじゃないですよね?
「まぁ、安心はしていいよ。私達は基本的に生命の始まりと終わりを触れるだけの観測者。鑑賞するだけで干渉しないからね。カノンさんが女性のオネショに興味が無い事は知っているつもりだよ?」
「あ、はい」
や、決してオネショに興味無いからっ、お漏らしに興味無いからっ! そんな風に見られてたんですか私っ!? 確かに前世で変態紳士的なオタクでしたけれどもーっ!!! つか、クリスさんとイーサさんのオネショは彼女達の名誉に掛けて無かった事だからね。って、何気にしれっと自分は神発言、理外の存在発言してるんですかー。
……遠くに灰色の空と黒々とした樹海、村の影が見えるけれど、既に何本もの赤い布がはためくポールを過ぎたけれど、後ろには私の歩いてきたスキーの線が二本見えるけれど、ここはやっぱ空間が切り出された神の座、白い世界なんですかねぇ。
「それで、ですね。カノンさんに少々留意して欲しい事が有ってきたんですよ」
「留意、ですか? 凄く嫌な予感しかないんだけれど……」
「この世界では基本自由行動で構いません。好きに生活して大丈夫ですよ。何かしらの行動制限が在る訳でもないですし、ちょっと気に留めて置いて欲しいだけですので」
と言いつつ、これはもうフラグだ。巻き込まれるとか、首突っ込んでしまうとか、自由選択とか言いながら道は一つしかない。そんなパターンだ。
「雪が溶けたらイヨムロに向かうでしょう。その途中で寄るペンタグリムでちょっとした災害が発生するので注意して下さい」
えっ、いや、まだオリガさん達と合流していないのに、スケジュールや何処のルートを通ってシスイ侯爵の領都イヨムロに向かうかって話すらも聞いていない現状で、エンヤさんの上司、死神の彼は場所を断定して言うのか。……私が貰った死神のデータベースからデチューンされた<鑑定>。その最上位版、魂の情報が詳細に記載されたアーカイブという言葉が頭の片隅を過ぎる。
「……それは決定事項なんですね?」
「はい。ちょっとした誤差で多少の歪みは在りましたが、ね」
彼は糸目を薄っすらと開け、その瞳は笑っていないけれど、口元に笑みを浮かべて私を見下ろしていた。
我が妄想。読んで頂き有り難うございます。
更新は気分的に、マイペースに、です。